歳時記 六月
6月は、別名 水無月と言われます。水無月は、水の無い月ではなくて、田水之月(たみのつき)つまり、田に水を一杯にたたえる月のことです。
6月の異名・異称
- 水無月
- 水月
- 青水無月
- 風待月
- 季月
- 建末月
- 焦月
- 涼暮月
- 弥涼暮月
- 蝉羽月
- 旦月
- 常夏月
- 遯月
- 未月
- 鳴雷月
- 鳴神月
- 晩月
- 伏月
- 季夏
- 晩夏
- 松風月
- 長夏
- 名越の月
- 大六月
- 溽暑
- 林鐘
- 葵月
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『月名の雅語・古語』一覧 |陰暦の名称・別名・異名・異称
6月の風物詩・行事・食べ物
更衣
6月1日は更衣(ころもがえ)です。黒っぽい冬服から白い夏服に、街の色まで一変してしまいます。女生徒の白のセーラー服が、彼女達の瑞々しい若さとあいまってまぶしく輝く季節です。
現在のように夏服が6月1日~9月30日、 冬服が10月1日~5月31日と定められたのは、明治になってからで、今の国家公務員にあたる人達の制服が定められ、夏服と冬服の更衣の時期も制定されてからのことです。ちょうど新暦が採用され、これが学生服にも及び一般の人たちにも定着していきました。
そもそも更衣は、陰暦四月朔日と十月朔日とに、時節に応じた衣服に着替えるのが慣わしで、4月を更衣と呼ぶのに対し、10月を後の更衣と呼びます。
平安中期のころには、宮中の年中行事のひとつとして定着していましたが、昔は、四季の衣裳を一々更ることはなくて、冬装束と夏装束を下着などで調整していました。4月1日から袷を着て、寒ければ白重(しろがさね)といって、下に白小袖を重ねてきていました。この時代には、夫の装束を整えるのは正妻の大事な役割で、どれだけの品を揃えられるかは妻の実家の力や姫君の衣服への感性、趣味などが問われるもので、「北の方」としての権勢を示す機会であったのです。
室町時代以降は、5月5日から帷子(かたびら)を、8月15日から生絹(すずし)、9月9日から綿入れまたは小袖、10月1日から練衣(ねりぎぬ)を着るようになりました。江戸時代には、旧暦の4月1日~5月4日が袷(あわせ)小袖、5月5日~8月末日 が麻の単衣(ひとえ)の帷子(かたびら)、9月1日~9月8日が袷、9月9日~3月末日が 綿入れの小袖とされました。
伊勢神宮では、古来、神衣祭 (かんみそさい) として4月と9月の14日に神衣を新たに調進し、古いものと取りかえる儀式が行われています。他にも京都上賀茂神社の更衣祭 (ころもがえのまつり) 、名古屋市熱田神宮の御衣祭 (おんぞさい) 、また各地で、御更祭(ごこうさい)などの名で同様の行事があります。
夏越の祓え
陰暦の六月の晦日を夏越(なごし・なごせ・わごせ。地方によって呼び方は違い「名越」とも)といい、各神社では7月の祖霊祭の物忌として禊の儀式がおこなわれてきました。
現在では、新暦の6月末(多くが25日~30日)や月遅れの7月の晦日に行われることが多いようで「夏越の祓え」とか「水無月祓」と呼ばれています。「大祓(おおはらえ)の詞」を唱え、ついで列をなして「茅(ち)の輪」をくぐり抜けます。そして神苑の春の山に進み、人形(ひとがた)を「禊(みそぎ)の小川」に流します。こうして半年の間の罪や汚れを祓い捨てて心身を清浄にし、これからの暑さに負けないよう、また残り半年の無病息災を祈願します。
茅の輪をくぐって厄除けするという法要は、前半年分の厄落としで、後半年の厄落としとして年末に「年越祓い」という法要がありましたが、こちらのほうは現在ではほとんど廃れてしまっています。
「茅の輪」(または「菅貫(すがぬき)」)くぐりは、茅萱で作った大きな輪をくぐることで罪・穢れを祓う行事ですが、くぐり方は「水無月(みなつき)の夏越しの祓する人はちとせの命のぶというなり」(「拾遺集」巻五)という古歌を唱えつつ、左まわり・右まわり・左まわりと、八の宇を書くように三度くぐり抜けます。これは疫病神とされている牛頭天王(ごずてんのう)が一夜の宿に困っていた時に泊めてくれた貧しい「蘇民将来(そみんしょうらい)」という男にお礼に授けた秘法とされています。
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