伝統生活

【4月といえば】日本の伝統行事・食べ物・風物詩【歳時記】

【4月といえば】日本の伝統行事・食べ物・風物詩【歳時記】 伝統
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

歳時記 四月

4月は、別名 卯月と言われます。卯月とは、植え月の略で、稲種を植える月のことです。

 

4月の異名・異称

卯月(うづき)
卯花月(うのはなつき・うのはなづき)
初夏(しょか)
首夏(しゅか)
孟夏 (もうか)
陰月(いんげつ)
畏月 (いげつ)
花残月(はなのこりづき)
麦秋(ばくしゅう)
梅月(ばいげつ)
夏端月(なつはづき)
夏初月 (なつはつき)
夏半(かはん)
仲呂(ちゅうりょ)
木葉採月(このはとりづき)
祭月 (まつりづき)
鳥待月(とりまちづき)
得鳥羽月 (えとりはづき)
鳥来月 (とりくつき)
余月(よげつ)
乏月(ぼうげつ)
清和月(せいわづき)
鎮月 (しづめづき)など

さらに詳しく
『月名の雅語・古語』一覧 |陰暦の名称・別名・異名・異称

 

4月の風物詩・行事・食べ物

 

花祭りとお花見

 

降誕会

中国・朝鮮では旧暦(太陰暦)の4月8日が三仏会(※1)のひとつである「降誕会(こうたんえ)」「仏生会(ぶっしょうえ)」(お釈迦さまの誕生日)ということになっています。

日本でも以前は旧暦4月8日(この日は必ず大安)に降誕会を祝っていましたが、現在は新暦の4月8日が一般的になっています。桜花舞うこの時期の降誕会は、花祭りとも呼ばれお釈迦さまの誕生を今に再現し祝う法会で、花御堂というお堂にお釈迦さまの誕生仏をまつり甘茶を灌ぐ儀式、灌仏会が行われます。

南方の伝説では、誕生日はインド暦第二の月・ヴェーサーカ(太陽暦の4~5月に相当)の満月の日であるとしていますが、お釈迦さまの誕生日を4月8日とするのは、カニシカ王時代の仏教詩人アシュヴァゴーシャ(馬鳴(めみょう):1~2世紀)が書いた『ブッダ・チャリタ』の漢訳本『仏所行讃』というお釈迦さまの誕生から涅槃に至るまでの生涯を描いた叙事詩がもとになっています。

お釈迦さまは、今から約2500年前、現在はネパール領となっていますが、ヒマラヤのふもとのカピラ国ルンビニー苑(※2)で浄飯大王(じょうばんだいおう)、摩耶夫人(まやぶにん)の父母のもとに、花咲き匂う春8日、釈迦族の皇太子としてお生まれになりました。

お生まれになった姿は、太陽のように輝いていましたが、月の光のようにまぶしくなかったということです。お釈迦様が誕生されたとき、天の神々は花びらを散らし、八大竜王は香り高い甘露の産湯の雨を降らして誕生を祝福したといいます。

色とりどりの春の花で飾った美しい御堂(花御堂、はなみどう)の中に誕生仏をおまつりするのは百花繚乱のルンビニ苑で、誕生仏に甘茶をかけるのは、竜王が甘露の雨を降らせ、お釈迦さまの御身を浄めたお話から興ったようです。

一般に、お釈迦さまは誕生されるとすぐ四方に七歩あゆまれたことが伝えられます。
これは四門出遊(青年時代の釈尊が王宮の東門より出て老人を見、南門より出て病人を見、西門より出て死者を見、また北門より出て沙門に出会い、出家の決意に導かれるという逸話)にも通じるもので、人々の老病死の苦悩を滅し聖者の道を確立していく決意と言われます。

大般涅槃経ではさらに深めて

「南行七歩して無量の衆生の為に上福田と作らんと欲するを示現す。西行七歩して生尽きて永く老死を断じ、最後身なるを示現す。北行七歩して已に諸有の生死を度るを示現す。東行七歩して衆生の為に導首と作ることを示現す。四維七歩して種々の煩悩、四魔の種性を断減し如来と成ることを示現す。上行七歩して不浄の物に汚染せざること虚空の如くなるを示現す。下行七歩して法雨地獄の火を滅し安穏楽を受けしむるを示現す」

と、み仏は十方面に歩を運ばれたと説かれています。

つまり七歩とは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六道を一歩踏み越え、迷いの輪廻を解脱して絶対なる真理の世界にいたることを象徴しているといわれています。敢えてお釈迦さまが苦悩多い現世を選ばれてお生まれになったのは、ひとえに大慈大悲のみ心にあると論されるのです。

灌仏会の「灌」とは「そそぐ」という意味です。降誕会の別名をまた「浴仏会(よくぶつえ)」「龍華会(りゅうげえ)」とも呼ぶのも、この甘露の雨の話がもとになっています。

お釈迦さまの生誕の時に降り注いだ甘露水は、神々の飲料で、不死の霊薬とされる「アムリタ」であったという説にもとづいて、降誕会の時に誕生仏に甘い水をかけるのですが、すでに、中国宋代の『東京夢華録(とうけいむかろく)』(12世紀)には、香味料入りの糖水が使われたと記されています。

日本で、これが甘茶になったのは、江戸時代のことだそうです。「甘茶」はアマチャヅル(ウリ科)と混同している人が多いのですが、まったく別の植物でユキノシタ科のアジサイに似た落葉樹で、葉を蒸してもみ、緑汁を除いて乾かしたものです。「かっぽれ かっぽれ 甘茶でかっぽれ」という常磐津(ときわづ)の囃子言葉にも出てくる等、古くから親しまれてきたお茶です。

甘茶は名前の通り甘いお茶ですが、その甘味成分フィルズロチンは市販砂糖の200倍の天然甘味料で、しかもカロリーが殆どないため、糖尿病の人に砂糖の代わりとして用いられたり、歯磨きや口中清涼剤の味付けにも用いられてきました。また、最近では甘茶の持つ「抗酸化作用・抗アレルギー作用」等から健康茶として注目されています。

降誕会は、インドでは古くから行われ、中国では4世紀後趙の石勒が4月8日に行なった記録が残っています。日本では推古天皇14年(606年)に行なったことが記されていて、平安時代に入ると宮中でも行われるようになりました。江戸時代になると、大奥にも花御堂が設けられて行なわれ、この頃から民間にも広く普及していきました。

花祭り

また、降誕会のことを「花祭り」と呼ぶのは浄土宗・浄土真宗系のお寺が多いようですが、明治の後期頃、浄土宗の欧州留学僧たちが言い出した呼び名のようで、これは仏教の降誕会と、民間行事の花祭りとが合体したものだと言われています。

民間行事の花祭りは「花の日」とか「春山入り」とも呼ばれ、4月7、8日の上弦の月の出る頃に山に登って花を摘み、それを長い竹の先につけて庭に立て、これを依り代として山の神様を里に迎え入れまた祖先の霊をまつりるのです。古くから日本では人が死ぬと山へ赴くものと考えられていて、山の花を摘んでくることは、祖霊がその花に憑いてよみがえりつつ、里に下って子孫と相まみえ、農事を守るものと信じられていたのです。

山の神様は春に里に迎えられて田の神様(サオリ:「さ」とは稲または田神)となり、田の神様が田植えの後(地域によっては収穫後)に山に帰って山の神様となる早苗振(サナブリ)または早上り(サノボリ)という信仰が存在しました。つまり、田の神が、天から地上に降りて種まきから稲づくりを司り、田植えが終ると天に帰られます。この天に昇る田の神の神前に早苗と御神酒を供えて田植えが無事終了したことを感謝し、豊作を祈願するのです。

稲の神は日本ではお稲荷さんですが、正式名はウカノミタマノミコト(食稲魂命)で、ウカノメ(食稲魂女)ともいわれる女の神様です。

これが仏教では姿を変えて、花を摘んで先祖を供養する祭になっていき、「花供養」と呼ばれるようになりました。比叡山の花供養では、ふだんは女人禁制の山に女性も登山を許され、花摘に参詣しました。

お花見

この時期は桜を愛でるお花見の季節でもあります。

桜を愛でるお花見は、農民文化の風習が源です。
「サクラ」は、古くは「稲の神様」です。「サ・クラ」のサとは稲(田の神)のことで、クラとは座、つまりサクラの名前は「稲の神の座」を意味するのです。古くは、サクラとは、初春に咲く山の草花のことを指していたのでしょうが、その美しさからいつしか山桜の名前に固定化されてきたものだと思われます。

前述の春山入り(春山行き)は、春先の花が咲く頃に飲食物を持って山や丘にのぼり、祖先を供養するとともに田の神をお迎えする一種の宗教的儀式のようなものですが、このとき、サクラの咲き具合でその年の稲の出来を占っていました。

そして、桜の花の咲くこの時期は、気候の変わり目で寒暖の変化が激しく、疫病がはやる季節でもあるので、強い風が吹いて稲に見立てた桜の花を散らしてしまわないように、万葉の昔から「風神祭」や「鎮花祭」も行われてきました。

京の三奇祭の一つとされる京都紫野、今宮神社の「やすらい祭」は、「夜須礼祭(やすらいまつり)」、「安良居祭(やすらいまつり)」ともいって、「鎮花祭」と「御霊会」とが結びついた花のまつりです。

昔、疫病というのは春の花の飛び交う頃に、疫神が分散して病を与え人を悩ますものだと信じられ、これを鎮めるため奈良朝の昔から花時に鎮花(はなしずめ)の祭儀を行い、疫神を祀って鎮疫安穏を祈願する習わしがありました。

一方、平安時代になると都で、度々疫病が流行し、これを非業の死を遂げた早良親王の祟りとした朝廷は、 それを鎮めるために各地で御霊会を催しました。この御霊会と花鎮めの習わしが一体化したのがやすらい祭といわれています。

一方、貴族文化の方の花見は、かつて中国の宮廷でおこなわれた梅林の宴が日本に伝えられ、それが変形されたものだと言われます。

最初は、梅が咲くころ宴会を催し、和歌や漢詩をつくっていたのが、平安時代に至って桜に座を譲ります。奈良時代の末に編集された「万葉集」では、梅を詠んだ歌は桜の3倍に近く、およそ100~120首にものぼりますが、平安時代の「古今集」では、その位置が逆転し、桜の方が多くなります。

しかしよくいわれるように、これをもって“古代の日本では花を愛でるとは梅のことで、桜は後の時代になってから”というのは、誤解ではないかと思うのです。中国から入ってきた花見の風習が梅を対象としていたために、一時的に感化されたものではないかと思います。桜を愛でるというのが、本来綿々と続いてきた古来よりのものであって、時を経るにつれて、貴族の花見も古来の桜の花を愛でるものに戻っていったのではないかと思うのです。

奈良時代には持統天皇が吉野山へ再三花見に行っているという記録があるそうです。

中国から伝来した梅に代わって日本の野山の桜がしだいに宴会や詩の主役になってきます。
平安京紫宸殿の前には左に桜、右に橘が植えられ、左近の桜右近の橘と云われていますが、これも桓武天皇遷都(794年)の時に最初に植えられたのは桜ではなく梅で、後に(840年頃)梅が枯れたので桜に植え替えたと伝えられています。

文献に現れる最も古い花見の宴は、弘仁3年(812年)2月12日に嵯峨天皇が京都二条城南殿の「神泉苑」(しんせんえん)という庭園でおこなったもので、それ以後春の花見の宴は恒例になったといわれています。

「神泉苑に幸して花樹を見、文人に命じて詩を賦し、禄を賜ること差あり花宴の節ここに始まれり」(日本後記)

当時の花見は現代と異なり、桜を見ながらその思いを詩歌に詠んだり、楽器を奏でたりして楽しむ、風流な趣のある宴であったようです。

桃山時代には、豊臣秀吉が吉野山での花見や大規模な「醍醐の花見」を催しています。
江戸時代になって庶民の間で花見が盛んに行われるようになるのは、徳川吉宗のころからです。吉宗は、吉野山を模して江戸の町に桜の木々を植え、桜の名所を造りだしました。この時代に、桜の花の下で弁当を開いて酒を飲むという現在の形に近い花見が確立しました。江戸の桜の名勝として有名だったのは、上野の山(ただし、飲食、音曲御法度)、飛鳥山(北区)、御殿山、隅田堤、そして関東随一と称えられたのが小金井堤の桜だったそうです。

現在の日本の桜の名勝のうち、最も桜の木の本数が多い所はやはり吉野山で、約3万本を数えます。

難波津にさくやこの花 冬ごもり今は春べと咲くやこの花

 

三仏会(さんぶつえ)

 三仏会とは、仏教徒にとって大切な3つの記念日。

 4月8日 降誕会(こうたんえ)  釈尊の誕生日
12月8日 成道会(じょうどうえ) 悟りを開かれた日
2月15日 涅槃会(ねはんえ)   釈尊の命日

 

四大聖地

釈尊の生涯において重要な意味をもつ「仏教の四大聖地」と呼ばれる場所

ルンビニー     釈尊生誕の地 
ブッダ・ガヤ    悟りを開いた所 
鹿野苑(ろくやおん)初めて説法をされた初転法輪(しょてんぽうりん)の地 
クシナガラ     入滅の地  

 

菜種梅雨(なたねづゆ)

3月末から4月にかけて、菜の花が咲く季節に降る雨のことです。ちょっと
梅雨に似た現象で大陸の移動性高気圧が日本列島の北側に寄って進むと列島に
前線ができ、停滞してできる長雨のことをさします。古くは花を催す雨
『催花雨(さいかう)』とも言われてきました。かっては俳人など限られた
人が使った専門用語だった菜種梅雨は、今では多くの人に使われています。

 

花曇(はなぐもり)

桜の花の季節は、天候が不順で晴れていてもすぐに曇ってしまうことがあります。
またどんよりも曇っていてもあたたかい気候になることもあります。このような
桜の時期の曇り方をいいます。

 

花冷(はなびえ)

桜の時期は陽気が変わりやすく、花見をしているとふいに思わぬ寒さになります。
これが花冷です。とくに京都の桜の時期の底冷えが有名です。

 

花の雨(はなのあめ)

サクラの花が咲くころに降る雨のことですが、咲き誇るサクラの花に降りかかる
雨のこともいいます。この時期には決まって雨が降り、うすら寒い思いをします。
サクラが雨に濡れる姿を見ると晴れた日にはないゆかしさや風情を感じさせて
くれます。この雨によって散る桜の姿を惜しむ人も多いようです。また、桜の
花が散るようすを雨に見立てて言う場合もあり、同じ言葉に『桜雨』があります。

 

清明(せいめい)

二十四節気の一つで、4月5日は清明に当たります。この時期には草や木が芽を
吹き始め、その種類が何か明らかになってくる日です。関東から西はサクラも
満開になり、小鳥もさえずり始めます。また南の国ではツバメの飛来も見られる
頃です。この清明は、清浄明潔(せいじょうめいけつ)の略で万物が清明(清く、
明らかなこと)になると考えられていました。

 

残花(ざんか)

桜の満開の時期が過ぎて終わった後でも散り残った桜のことで「名残(なごり)
の花」「残る花」とも言います。花見の時期が終ったと思う頃に出会う桜は、
いかにもなごりの花と言えます。この言葉に似たもので『花(よか)』や『遅桜
(おそざくら)』などもありますが、これらは散った後に遅れて咲く桜のことです。

 

花筏(はないかだ)

最近は見かけなくなったのがいかだの川下り。川に散った桜の花びらが水面に
浮かびながら吹き寄せられ、そのままいかだのように流れていく姿をいいます。
この時期には川や用水路に帯びを作りながら永遠と続く花びらの流れは、満開の
華やかさとは別にはかなさを感じさせます。

 

殻雨(こくう)

二十四節気の一つで、4月20日は殻雨に当たります。この日は、百殻を潤す春の
あたたかい雨が降り、穀類の芽が伸びてくる日です。この頃になるとフジ、
ボタンの花も咲き始め、野菜も芽吹きから葉を育てる時期にかかっています。
そして約2週間後には「立夏」を迎えて暦の上では季節は夏になります。

 

行く春(ゆくはる)

まさに終わろうとする春。同じ言葉に「春の果て」「春送る」「春のかたみ」
などがあります。季節を動いて行くものとしてとらえ、サクラの華やかさや
帰っていく鳥など、春のあわただしさが終わると同時に去ってしまうことを惜しむ
心を込めています。

4月のキーワード

【自然】

水ぬるむ春、花曇、花冷え、雪解け、流氷離岸、春塵、蜃気楼、晩霜、穀雨、暖かい雨、モンシロチョウ、アゲハチョウ、蜜蜂、ツバメ、ソメイヨシノ、お玉杓子、雉(きじ)

 

【暮らし】

新年度、入学式、暖房器具をしまう、冬用寝具の始末、冬服のクリーニング、和服の手入れ、障子の張り替え、お花見、花まつり、大型連休の計画、春休み

 

【健康】

ジフテリア、食中毒、百日咳、扁桃腺炎、目の病気(トラコーマなど)
皮膚の手入れ、ぜんそく、花粉症

 

【花】

れんげ草、杜若(かきつばた)、李(すもも)の花、山吹(やまぶき)、八重桜、チューリップ、パンジー、デージー、ヒヤシンス、クロッカス、岩桜、桜草、カラスノエンドウ、梨、杏、巴旦杏(はたんきょう)の花

 

【園芸】

薬剤の散布、宿根草株分け、観葉植物の株分と鉢替、植え込み、バラ新苗の植え付け、生垣作り、椿やツツジの挿し木、春蒔き苗の移植、スイレンの株分け、家庭菜園でトマトを栽培、春植え球根

 

【季語】

暮春、春の昼、春の月、春の星、春風、桃の花、遅桜、芳草、藤の花、馬酔木(あしび)、葱坊主、春の宵、日永、蛙の目借時

 

【誕生石】

ダイヤモンド(無垢)

 

【誕生花】

桜草(希望)、ソメイヨシノ(美人)、ライラック(若き日の思い出)

 

【時候の挨拶】

春暖、陽春、永日、春日、春眠、春雷、花曇り、温暖、花祭り、春風駘蕩、朧月、花冷え

4月の旬【魚】

【蛍烏賊(ほたるいか)】
年中見かける他のイカ類とは違い、店頭に並ぶのは3月後半~6月半ばまでの一時期。
内臓には旨み成分の一つであるアミノ酸が多く含まれているため、腹ワタごとを味わうとおいしい。また、内臓はビタミンAが豊富である。

【鮎並(あいなめ)】
年中出回っているが、旬は春から初夏。白身でありながら脂身が多いが、料理次第であっさりと仕上がりおいしい。

【にしん】
旬は春先。この時期のニシンは脂肪が多く、他の魚と比べても非常にカロリーが高く、ビタミンも豊富となり、栄養価が上がる。カズノコにはタンパク質が多く含まれており、他にリン、鉄分、ビタミンB1、ビタミンB2が豊富である。

【もろこ】
近畿地方に多い淡水魚の小魚。琵琶湖産は本モロコと呼んで珍重される。卵をもった春の物がおいしく、丸ごと煮浸しや甘露煮、フライなどにする。

【鯖】
サバは周年出回っているが、産卵期の4月~6月に獲れる春サバは、脂がのって秋サバ同様に旨い。鮮度が高いのが肝心で、この季節なら締めサバにして刺身や棒ずし、酢の物、和え物にするとさっぱりして食べやすい。

【鳥貝】
旬は3月~4月。関西方面のすし種として欠かせない。あっさりしていて、刺身、酢の物に適している。

【桜鯛】
サクラダイは美称で本名はマダイ。くせがなく、甘美で、淡泊。旬の分かりにくい魚だが、春の産卵期を迎え、深みから浅いところへ移動した時が食べ頃。

【めばる】
体色によって赤メバル、黒メバル、黄メバルがあるが、赤メバルが一般的で味も一番よい。皮の赤身が濃いほど新鮮で、古くなると色があせてくる。旬は春から夏。

4月の旬【野菜】

【菜の花】
蕾がかたくて、葉が黄ばんでいないものを選ぶ。店頭でしおれているように見えても、水に浸すとピンとする。かたい茎を除いてから茹(ゆ)で、和え物や炒め物、汁物などに。

【蕗 (ふき)】
フキ特有の香り、緑の色が充実する3月~5月が旬となる。フキノトウの旬は3月早春で、タンパク質やカリウム、リンを含む。フキ独特の香りとほろ苦さが、食欲を増進させる。それだけでなく、食物繊維が多いので、腸の働きをよくする効能がある。

【蕨 (わらび)】
旬は3月~5月頃。アクが強いので、アク抜きしてから食用にする。
ビタミンB1分解酵素を含んでいるので、灰または重曹をかけて熱湯を注ぐ。更に落とし蓋をし、冷めたらよく水洗いをしてサッと茹で、アクを抜くと酵素作用が失われてよい。

【筍】
最盛期は3月半ば~5月上旬。食物繊維を多く含み、カロリーが低いのでダイエット食向き。ワカメと相性が良く、味だけでなく栄養面でも腸の働きをよくする効能がある。

【人参】
春から初夏にかけて柔らかくて甘みのある新ニンジンが出る。葉の付いた葉ニンジンは、葉も柔らかく栄養価が高いので、炒め煮やかき揚げなどに活用するとよい。

【ぜんまい】
旬は春。山菜の王者だが、生ものは手に入りにくい。市場に出回っているものは、採取したものを乾燥させたもの。灰アクで茹でて乾燥させたものを赤干し、茹でずに乾燥させたものを青干しという。市販品は大半が赤干し。生ものはアクを抜いてから調理する。

【たらの芽】
タラの木の若芽のこと。春の代表的な山菜の一つ。自生ものが旨いが、市場に出回っているのはほとんどがハウス栽培。旬は3月~5月。独特の香味があり、天ぷらで最もいきる。焼いて味噌をつけて食べても美味。

【セロリ】
セロリの強い芳香を嫌う人もいるが、その臭いは肉の臭みを消すのに最適。
肉を煮込んだり、スープやビネガーの香料として利用されている。1年中出回っているが、ハウスものは1月~4月が旬。しおれたら氷水を入れたコップに立てておくと生き生きしてくる。

【グリーンピース】
1年中出回っているが、旬は春から初夏。西洋、中国料理に多く使われ、ビタミンB2、Cの他、デンプン、タンパク質も多く含んでいる。
脇役の食べ物だが、料理の彩りを調えるのに貴重な存在。小粒が人気である。

【根三つ葉】
年中出回っているが、路地の物が出る春が香りが強く、味もよい。切り三つ葉よりも根三つ葉の方が栄養価が高く、カロチンやビタミンAは20倍近く多い。

4の旬【果物】

【ぶんたん】【ザボン】
2月~4月が旬。いろいろな種類があるが、業界では果肉が赤紫系の物をザボン、淡黄色系のものをブンタンとして区別している。淡白な独特の風味は、食べなれると味わい深い。皮が非常に厚いので、砂糖漬けに利用される。

【ネーブル】
果汁にビタミンC、ミネラルが豊富に含まれている。皮をむかず、短冊切りにすると食べやすく、また、独特の香りがする。

【イチゴ】
ぶつぶつがはっきりしていて、へたの色が濃いものをえらぶ。ビタミンCを豊富にふくみ、疲労回復によい。ビタミンCをにがさないよう、へたは洗ったあとに取る。

【夏みかん】
春から初夏にかけてが旬。酸味が強い。サラダに散らすと甘酸っぱさが加わってよい。

コメント