仙狸(センリ)
もともとは中国の妖怪で、一説によると日本に伝わったことで化け猫・妖猫・猫又になったのではないかとも言われています。
「狸(たぬき)」の文字がありますが、これは「ヤマネコ」の意味で、年を重ねて修行を積んだ「ヤマネコ」が神通力を用いて化けたり人間の生気を吸う妖怪なったと言われています。
猫又
尾の先が二股に分かれている猫の妖怪。年をとった飼い猫が変化した妖怪で、人に呪いをかけるとき、猫がまたいで呪いをかけるから、猫又(猫またぎ)という。
人の言葉を理解し話をすることができる。踊り好きで、手ぬぐいをかぶり仲間を誘って踊りに出掛ける民話が多く残されている。
人を喰い殺して、その人に成り代わることもある。
津軽地方の民話『猫じゃ』
昔、津軽藩の侍の娘が一人で留守番をしていると、猫が手ぬぐいをかぶり、「猫じゃ猫じゃとおっしゃいますなぁ 猫は下駄こはいて杖ついで しぼり浴衣こで来るものが。はぁおんにゃがにゃーのにゃ」と歌いながら踊った。猫は娘に、自分が踊ったことを他言すると殺すと言った。しかし娘は母親に話してしまう。翌朝、娘は首を噛みちぎらて死んでいた。猫もそれきり帰らなかった。
猫魈(ねこしょう)
人間とかわらない高い知能と強力な霊力を持ち、猫又や化け猫、魑魅魍魎を従える妖怪です。
しっぽは根元からわかれて3本になり、束ねることでかなり太くなる。
飼い猫が30歳になると猫魈になれると言われている。
猫神(ねこがみ)
鹿児島市磯の仙巌園(せんがんえん)には、日本で唯一猫を祀るという『猫神神社』がある。
「猫神神社縁起」島津義弘公は、文禄・慶長の役(1592~1598年)の際、朝鮮に7匹の猫を連れていき、猫の目の瞳孔の開き具合で時刻を推測したといわれる。この神社には、生還した2匹の猫の霊が祀られており、愛猫家のために、猫長寿祈願と供養祭が行なわれる。
金花猫(きんかねこ)
栃木県塩谷郡藤原町独鈷沢には、「金花猫大明神」という供養塔がある。
江戸時代、会津西街道を行く参勤交代の大名行列が独鈷沢を通りかかった時、殿様の駕籠を横切った猫を無礼打ちにした。猫は尾も真っ二つに切り裂かれ絶命。死体から流れ出たおびただしい血は小沢を赤く染めた、と伝えられる。
江戸へ着いた殿様は、原因不明の高熱にうなされ重篤状態が続いた。祈祷師にみてもらったところ、猫の祟りであることが判明。独鈷沢に供養塔を建立しねんごろに弔った、と言われている。
鞍掛け猫(くらかけみゃ)
沖永良部島・徳之島に伝わる民話・伝説。
夜中に鳴く猫のこと。沖永良部島では夜鳴く猫をこう呼んで恐れる。
徳之島では、島同士の争いを決する時歌われた「サカ歌」にも登場する。
猫南瓜(ねこかぼちゃ)
和歌山の民話で、殺した猫を土に埋めると、その猫の口から南瓜が生えて来るというもの。
この南瓜には毒があり、猫が自分を殺した人間に食べさせるために生えたものだという。
かつお船の網元の家での酒宴で、ある船主が勝手場を通りかかると、大猫が大皿に盛ってある魚を骨ごとばりばりと食っていた。あまりの気味悪さに、船主は網元の家に泊まらず自分の船で寝ていたが、寝苦しくて目をあけると、大猫が飛びかかって来た。船主はモリで一突きし助かった。翌日、話を聞いた網元は猫の骸を家に持ち帰り、裏の畑に埋めた。
次の年、また船主が網元の家で宴に呼ばれた。季節外れの南瓜が出され、不思議に思い聞くと、網元は「これはな、裏の畑で1本だけ芽を出した早なりですに」と答えた。
嫌な予感がし、船主が畑の一角を掘り返すと、あの大猫が真赤な口をあけ、そこから南瓜のつるが伸びていた。
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