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幕末志士の辞世の句一覧 28選|歴史に残った有名な名言

幕末志士の辞世の句一覧|歴史に残った有名な名言 一覧
幕末志士の辞世の句一覧|歴史に残った有名な名言
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死を悟った人の読む句を辞世の句といい、この世を去ることに思いを馳せた歴史上の多くの有名な人物の辞世の句を残しています。

自らの一生を締めくくる言葉である『辞世の句』には奥深い魅力があります。

 

幕末志士の有名な辞世の句といえば高杉晋作の「おもしろき こともなき世を おもしろく」というのがあり、ランキングでも1位になったり最強の名言として知られています。

季節や色恋について詠まれた句とは違い、死を目前とした極限状態での句は非常に重たい印象を受けるものも多いのですが、読み手の激動の人生を色濃く映し出した、心に響く作品が多いのも事実です。

ここでは幕末の動乱を駆け抜けた志士たちの辞世の句を一覧で紹介していきます。

 

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幕末の有名人の辞世の句 一覧

 

吉田 松陰

よしだ しょういん

日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者。山鹿流兵学師範。一般的に明治維新の精神的指導者・理論者・倒幕論者として知られる。私塾「松下村塾」で、後の明治維新で重要な働きをする多くの若者に思想的影響を与えた。

 

『身はたとえ 武蔵の野辺に くちぬとも 留め置かまし 大和魂』

 

武市半平太 (武市 瑞山)

日本の志士、武士(土佐藩郷士)。土佐勤王党の盟主。通称は半平太で、武市 半平太(たけち はんぺいた)と呼称されることも多い。 坂本龍馬とは遠縁にあたる。
参政・吉田東洋を暗殺して藩論を尊王攘夷に転換させることに成功した。八月十八日の政変により政局が一変すると前藩主・山内容堂によって投獄される。獄中闘争を経て切腹を命じられ、土佐勤王党は壊滅した。

 

『ふたゝひと 返らぬ歳を はかなくも 今は惜しまぬ 身となりにけり』

 

高杉 晋作

たかすぎ しんさく

江戸時代後期の長州藩士。幕末に長州藩の尊王攘夷の志士として活躍した。奇兵隊など諸隊を創設し、長州藩を倒幕に方向付けた。

 

『おもしろき こともなき世をおもしろく』

 

西郷 隆盛

さいごう たかもり

日本の武士(薩摩藩士)・軍人・政治家。(49歳没)

 

『ふたつなき 道にこの身を 捨小船 波たたばとて 風吹かばとて』

 

 

桂小五郎(木戸孝允)

かつら こごろう / きど たかよし

日本の武士(長州藩士)、政治家。位階勲等は贈従一位勲一等。長州藩士として討幕に努め、薩長同盟を推進。明治維新に貢献し、維新の三傑の一人に挙げられた。維新政府では総裁局顧問専任や参議を務め、版籍奉還、廃藩置県を実現。岩倉使節団にも同行した。西南戦争中に病死。(43歳没)

 

『さつきやみ あやめわかたぬ 浮世の中に なくは私しとほととぎす』

 

吉田 稔麿

江戸時代末期(幕末)の長州藩の活動家。名は栄太郎。久坂玄瑞、高杉晋作とともに松陰門下の三秀と称される(入江九一を入れて松門四天王ともいう)。

 

『結べども 又結べども 黒髪の 乱れそめにし世をいかにせん』

 

 

吉村寅太郎 (吉村 虎太郎)

よしむら とらたろう

幕末の土佐藩出身の志士。 孝明天皇の大和行幸の先駆けとなるべく中山忠光を擁立して天誅組を組織して大和国で挙兵するが、八月十八日の政変で情勢が一変して幕府軍の攻撃を受け敗れて戦死した。(天誅組の変)
明治10年(1877年)に名誉回復。明治24年(1881年)、坂本龍馬・中岡慎太郎と共に正四位が贈られた。

 

 

『吉野山 風に乱るる もみじ葉は 我が打つ太刀の 血煙と見よ』

 

 

岡田 以蔵

おかだ いぞう

江戸時代末期の土佐藩郷士。  幕末の四大人斬りの一人。「天誅の名人」と呼ばれている。慶応元年(1865年)閏5月11日に打ち首、獄門となった。享年28。

 

 

『君が為め 尽くす心は 水の泡 消えにし後は 澄みわたる空』

 

近藤 勇

江戸時代末期の武士。新選組局長。後に幕臣に取り立てられ、甲陽鎮撫隊隊長。勇は通称で、諱は昌宜(まさよし)という。慶応4年(1868年)からは大久保剛を名乗り、後にさらに大久保大和と改めた。家紋は丸の内に三つ引。天然理心流四代目宗家。

 

「孤軍援絶作俘囚 顧念君恩涙更流 一片丹衷能殉節 雎陽千古是吾儔」

『孤軍たすけ絶えて俘囚となる 顧みて君恩を思えば涙さらに流る
一片の丹衷よく節に殉ず 雎陽千古これ吾がともがしら』

 

 

「靡他今日復何言 取義捨生吾所尊 快受電光三尺剣 只将一死報君恩」

『他になびき今日また何をか言わん 義を取り生を捨つるは吾が尊ぶ所
快く受けん電光三尺の剣 只まさに一死をもって君恩に報いん』

 

芹沢 鴨

せりざわ かも

幕末の水戸藩浪士、壬生浪士(新選組)の初代筆頭局長。

 

『雪霜に 色よく花の さきがけて 散りても後に 匂ふ梅が香』

 

土方 歳三

幕末期の幕臣、新選組副長。 近藤勇の右腕として数々の事件で武名を顕し、また隊内に峻厳な規律を実施して鬼の副長と称され、剣豪揃いの隊士たちに恐れられた。戊辰戦争の最後の戦場になった箱館五稜郭防衛戦で、狙撃を受け戦死。享年34歳。

 

『よしや身は蝦夷が島辺に朽ちぬとも魂は東(あずま)の君やまもらむ』

『たとひ身は蝦夷の島根に朽ちるとも魂は東の君やまもらん』

『鉾(ほこ)とりて月見るごとにおもふ哉(かな)あすはかばねの上に照(てる)かと』

 

 

沖田 総司

おきた そうじ

幕末の武士、新選組一番隊組長及び撃剣師範。

 

『動かねば 闇にへだつや 花と水』

 

清河 八郎

きよかわ はちろう

江戸時代末期(幕末)の庄内藩出身の志士。田中河内介とともに九州遊説をして尊王攘夷派の志士を京都に呼び寄せ、一方で浪士組を結成し新選組・新徴組への流れを作り、虎尾の会を率いて明治維新の火付け役となった。享年34。

 

『魁けて またさきがけん 死出の山 迷ひはせまじ 皇(すめらぎ)の道』

 

 

乃木希典

のぎ まれすけ

日本の武士(長府藩士)、軍人、教育者。日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、明治天皇の後を慕って殉死したことで国際的にも著名である。階級は陸軍大将。

「乃木大将」や「乃木将軍」と呼ばれることも多く、「乃木神社」や「乃木坂」に名前を残している。

 

 

『神あがりあがりましぬる大君のみあとはるかにをろがみまつる』

『うつ志世を神去りましゝ大君乃みあと志たひて我はゆくなり』

 

 

武田耕雲斎

たけだ こううんさい

水戸藩の天狗党の首領。敦賀(越前国新保)で幕府軍の追討を受けて降伏した。降伏すると、簡単な取調べを受けた後、小四郎と共に斬首された。享年63。その後、妻・2人の子・3人の孫も斬り殺された。

 

『かたしきて 寝ぬる鎧の 袖の上に おもひぞつもり 越のしら雪』

『討つもはた 討たれるもはた 哀れなり 同じ日本の 乱れとおもえば』

『雨あられ 矢玉のなかは いとはねど 進みかねたる 駒が嶺の雪』

『咲く梅の 花ははかなく 散るとても 馨り(かおり)は君が 袖にうつらん』

『かたしきて 寝ぬる鎧の 袖の上に おもひぞつもる 越のしら雪』

 

河上彦斎

かわかみげんさい

幕末の志士。肥後(ひご)熊本藩士。尊攘派の仲間とともに佐幕派の佐久間象山を刺殺,〈人斬り彦斎〉とよばれた。明治維新後、謀反の容疑をかけられて38歳で処刑された。

 

 

『君が為め 死ぬる骸に 草むさば 赤き心の 花や咲くらん』

『かねてより なき身と知れど 君が世を 思う心ぞ 世に残りける』

『君を思い 君の御法に 死ぬる身を ゆめ見こりなそ つくせ世の人』

 

 

勝海舟

かつ かいしゅう

江戸時代末期(幕末)から明治時代初期の武士(幕臣)、政治家。位階勲等爵位は正二位勲一等伯爵。(75歳没)

戊辰戦争時には幕府軍の軍事総裁となり、徹底抗戦を主張する小栗忠順に対し、早期停戦と江戸城無血開城を主張し実現。山岡鉄舟、高橋泥舟と共に「幕末の三舟」と呼ばれる。

脳溢血により意識不明となり、息を引き取った

 

『コレデオシマイ』

 

 

藤田小四郎

ふじた こしろう

幕末に活躍した水戸藩士。水戸天狗党の首領格。贈従四位。

 

 

『兼て与梨 思ひ初にし真心を けふ大君に 徒希て嬉しき』
(かねてより おもいそめにしまごころを きょうたいくんに つげてうれしき)

 

 

江藤新平

えとうしんぺい

幕末から明治時代の日本の武士(佐賀藩士)、政治家。「維新の十傑」、「佐賀の七賢人」の一人に挙げられる。

 

『ますらおの  涙を袖にしぼりつつ  迷う心はただ君がため』

『ただ皇天后土の わが心を知るのみ』

 

 

鵜飼吉左衛門

うがい きちざえもん

江戸時代末期(幕末)の水戸藩士。 藩にくだされた戊午(ぼご)の密勅にかかわる中心人物のひとり。この密勅が安政の大獄のきっかけとなり,幕府に捕らえられて安政6年8月27日処刑された。62歳。

 

『一死もとより覚悟の上。唯心に掛かるは主君(徳川斉昭)の安危なり』

 

 

梅田雲濱

うめだうんぴん

江戸時代末期(幕末)の儒学者。通称は源次郎。
ペリーが来航すると条約反対と外国人排斥による攘夷運動を訴えて尊皇攘夷を求める志士たちの先鋒となり、幕政を激しく批判した。安政の大獄で摘発され、逮捕者となった。

 

『君が代を おもふ心の 一筋に 我が身ありとも 思はざりけり』

 

 

河上彦斎

かわかみげんさい

尊皇攘夷派の熊本藩士。
明治4年12月4日(1872年1月13日)、日本橋小伝馬町にて斬首された。
新政府の方針に従わず、危険な攘夷論者の反乱分子と見なされための処刑と考えられている。

『君が為め 死ぬる骸に 草むさば 赤き心の 花や咲くらん』

『君を思い君の御法に死ぬる身を ゆめ見こりなそつくせ世の人』

『かねてよりなき身と知れど君が世を 思う心ぞ世に残りける』

 

 

 

大村益次郎

おおむら ますじろう

幕末期の長州藩の医師、西洋学者、兵学者。維新の十傑の一人に数えられる。

 

『君のため 捨つる命は 惜しからで ただ思わるる 国の行末』

 

小笠原 長行

おがさわら ながみち

江戸時代後期の江戸幕府の老中、外国事務総裁。 生麦事件の処理にあたり,第2次幕長戦争では九州方面監軍として指揮をとる。戊辰戦争では,、箱館五稜郭で新政府軍に抗戦した。明治24年1月23日死去。70歳。
最後まで譜代の家臣として幕府に忠誠を誓った。

 

 

『夢よ夢 夢てふ夢は夢の夢 浮世は夢の 夢ならぬ夢』

 

 

久坂 玄瑞

くさか げんずい

幕末の長州藩士。妻は吉田松陰の妹。長州藩における尊王攘夷派の中心人物。栄典は贈正四位(1891年)。

 

 

『時鳥 血爾奈く声盤有明能 月与り他爾知る人ぞ那起』

(ほととぎす ちになくこえはありあけの つきよりほかにしるひとぞなき)

 

 

赤禰 武人(赤根武人)

あかね たけと

幕末の長州藩士。高杉晋作(しんさく)らと奇兵隊を組織し、総督となる。

 

 

『真は誠に偽りに似、偽りは以って真に似たり』

 

 

山岡 鉄舟(鐵舟)

やまおか てっしゅう

幕末から明治時代の幕臣、政治家、思想家。剣・禅・書の達人としても知られる。

一刀正伝無刀流(無刀流)の開祖。「幕末の三舟」のひとり。栄典は従三位勲二等子爵。愛刀は粟田口国吉や無名一文字。

 

 

『腹痛や 苦しき中に 明けがらす』

 

 

 

井伊直弼

いい なおすけ

幕末の譜代大名。幕末期の江戸幕府にて大老を務め、日米修好通商条約に調印し、日本の開国近代化を断行した。また、強権をもって国内の反対勢力を粛清したが(安政の大獄)、それらの反動を受けて暗殺された(桜田門外の変)。

 

『咲きかけし たけき心の ひと房は 散りての後ぞ 世に匂ひける』

 

 

中島 三郎助

なかじま さぶろうすけ

江戸時代末期(幕末)の幕臣。江戸幕府浦賀奉行所与力、のち蝦夷共和国箱館奉行並。
箱館市中が新政府軍に占領された後、軍議では降伏を説いたが、中島自身は千代ヶ岡陣屋で討死することを公言しており、五稜郭への撤退勧告も、新政府軍からの降伏勧告も拒否。長男の恒太郎・次男の英次郎・腹心の柴田伸助(浦賀組同心)らと共に戦死。享年49。

 

『ほととぎす われも血を吐く 思い哉』

 

『われもまた 死士と呼ばれん 白牡丹』

 

以上『幕末志士の辞世の句一覧|歴史に残った有名な名言』を紹介しました。

激動の時代を極限状態で戦った志士たちの辞世の句には深く重たい意味が刻まれているように思います。

戦のない日本の現代ではこれらの辞世の句をビジネスに役立つ名言として捉えることもあるようですね。

人生に迷った時やつらい思いをした時などに、偉人たちの辞世の句と彼らの思いに触れてみてはいかがでしょうか。

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