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【7月といえば】日本の伝統行事・食べ物・風物詩【歳時記】

【7月といえば】日本の伝統行事・食べ物・風物詩【歳時記】 伝統
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歳時記 七月

7月は、別名 文月と言われます。文月は、もとは布美月と云い、保布布美月を省いたものです。稲は七月に「穂を含めり」ということからついた呼び名です。また、七夕のとき牽牛、織女に詩歌の文を供えて祭ることから文月となりました。

 

7月の異名・異称

文月(ふみづき・ふづき)
文ひらき月
文披月(ふみひろげづき)
涼月(りょうげつ)
七夕月(たなばたづき)
七夜月(ななよづき)
愛逢月(めであいづき)
袖合月(そであいづき)
蘭月(らんげつ)
女郎花月(おみなえしづき)
親月(おやづき)
初秋月(はつあきづき)
孟秋(もうしゅう)
初秋(しょしゅう)
早秋(そうしゅう)
新秋(しんしゅう)
夷則(いそく)
瓜時(かじ)など

さらに詳しく
『月名の雅語・古語』一覧 |陰暦の名称・別名・異名・異称

 

7月の風物詩・行事・食べ物

 

七夕

毎年7月7日の夕、織女、牽牛の二星を祭る星祭りです。七日の夕べに祭るので、七夕祭(『万葉集』では、七夕と書いて七日の夜と読ませている)といい、「タナバタ」は棚機津女(たなばたつめ)の略で、織女の和訓です。

この夜は、空に輝く七日の月の御舟に乗って、天の川を渡った彦星と織姫が、一年に一度の逢瀬を楽しみます。また二星(たなばた)は、「鵲(かささぎ)の渡せる橋」や「もみぢのかけ橋」で天の川を渡るともいいます。

旧暦7月7日の星祭は、五節句のひとつで様々な形で祭られてきましたが、起源は大きく2つあるといわれています。

一つは、中国の宮廷行事の乞功奠(きっこうでん)が伝来したもの。
天帝の娘織女(こと座のヴェガ)と牽牛(わし座のアルタイル)の星の恋物語にちなんだ星祭で、星をながめ、祭壇に針などをささげて工芸の上達を願うものです。七夕の物語は、中国の伝説で、類話は、東南アジア~朝鮮半島・中国・西日本の広範囲に見られます。この祭を中国の宮廷では乞巧奠といいましたが、日本の朝廷もこの乞巧奠にそって七夕を祭りました。民間に広まったのは室町時代以降といわれています。

もう一つは、日本古来の民間信仰と結びついているというもので、 折口信夫氏によると、古来日本では、盆(7/15)に来臨する神様の衣をつくるために、神女が川縁や湖の畔の棚(たな)で機織り(はたおり)をして神の降臨を待ったという「棚織津女(または棚機女)(たなばたつめ)」伝説があり、巫女が、水辺で「礫ぎ(みそぎ)」の行事(また、一説には、盂蘭盆(お盆のこと.旧7月15日前後)の準備のためのみそぎ)をおこなっていたものが七夕になったいうものです。
なお、笹竹に色紙や文字を書いた短冊をつけて軒先に立てる現在の笹飾りの形になったのは江戸時代のことで、日本独特のものだといわれます。

 

盂蘭盆会

先祖供養の代表的行事として一般に広く知られているのが盂蘭盆会です。お盆中は先祖が各家庭に戻ってくる期間であると言われ、その先祖諸霊を家にお迎えする行事が迎え盆で、ご供養した諸霊を霊界へお送りする行事が送り盆です。

盂蘭盆会の「うらぽん」は梵語ウラムバナのことで、倒懸(とうけん)と訳されます。
釈迦の弟子目連(もくれん)尊者が、餓鬼道で頭下足上の苦(逆さ吊りの刑)をうけ苦しむ母を透視し、その母を救うために釈尊に教えられて、7月15日の自恣(じし)のおり、比丘たちに百味の飲食を供養したという『盂蘭盆経』の故事に基づき、旧暦の7月15日に行われてきました。現在では、そのまま7月15日に行われる地域の他、月遅れの8月15日に行われる地方もかなり多くなっています。

わが国では、古来、お盆とお正月は、先祖を迎えて親族が集まり、心を通わせる時とされ、1 年に 2 回、お盆と正月だけは、草深い田舎に帰る意から「薮入り」(正月の薮入りに対して盆の薮入りを「あとの薮入り」ともいいます)といって里帰りが許される習慣があり、嫁いだり働きに出て家を離れた人々が故郷に戻ってきました。現在でも、帰省ラッシュは、この時期に重なっています。

わが国での起源は 斉明天皇3年(657)7月に、須弥山(しゅみせん)を飛鳥寺の西に作り、盂蘭盆会を設けたのが始まりといわれます。

聖武天皇天平5年(733)7月6日、盂蘭盆の供養を供えさせてより以後、恒例の公事となったようで、朝廷ではこの月の14日、内蔵寮盆供(くらりょうぽんく)を供え、昼御座の南の間に菅円座一枚を敷き、主上茲にて礼拝を行ないました。

室町時代には、14日より16日までの三日間を盂蘭盆会として、幕府では将軍家より禁裏に灯籠を贈りました。民間では15日に精霊祭を行ない、洛東浄土寺等の山上に薪を焚いて大文字を点じました。

迎え盆では、精霊壇を用意して仏花を供え、百味の飲食に相当する供物を整えます。また先祖の乗り物として、牛や馬を茄子と胡瓜で作ります。夕方には、苧殻(おがら)に火をつけて迎え火を焚き、線香を立て諸精霊をお迎えします。先祖や諸霊は、その明りを頼りにそれぞれの家に帰ってくると言われています。

先祖諸霊は法要で手厚い供養を受けた後、16日の送り盆で、霊界へと戻って行くのです。この日は夕方、送り火を焚いて諸霊を送り、精霊壇を片づけます。また灯籠船を浮かべて祖霊を川や海の彼方の浄土へ送る灯籠流しは一般にも行われ、その地域の風物詩となっています。

 

天神祭

大阪の夏祭りを代表する天神祭は、京都の祇園祭、東京の山王祭(神田祭)とともに、日本三大祭の一つに数えられる大阪市北区、大阪天満宮の祭りです。

祭りの中心は、7月24日に行われる鉾流(ほこながし)神事と翌25日に行われる船渡御(ふなとぎょ)です。特に船渡御は、この祭礼のクライマックスで、夕闇の中に篝火や花火で華やかに演出される水上の大パレードで、水の都大阪の水と火の祭典として有名です。

 

大阪天満宮の成立

大阪天満宮の最寄りの駅は地下鉄の「南森町」です。地名のとおり、古くはこの摂津国南中島あたり一帯は樹木の生い茂る森で、大将軍の森と呼ばれていました。

大阪天満宮が創建されたのは、平安後期の天暦3年(949)のことですが、しかし、それ以前からこの森には、大将軍社が祀られていました。大将軍社は、難波長柄豊碕宮の巽(西北)の守護神であったといい伝えられています。

古代の都の造営に際しては、都の四隅の路で疫神や異境の悪神・悪気を攘(はら)う「道響祭(みちあえのまつり)」が行われました。この大将軍社も、白雉元年(650)に難波長柄豊碕宮が遷都された際に、道響祭が行われた場所で、その地に大将軍社が創祀されたものです。現在でも6月・12月の晦日に鬼気(もののけ)や疫病が都へ侵入するのを防ぐ道響祭を受け継いでいます。

約250年後の延喜元年(901)、右大臣菅原道真公は、無実の罪により筑紫(福岡県)太宰府に左遷されます。 道真公は、道明寺(藤井寺市道明寺)の伯母覚寿尼に別れを告げて、太宰府へと船出されましたが、この時、大将軍社に旅路の無事を祈願されました。もともと菅原家は南河内を本拠地とした土師氏を原籍としていて、河内にはゆかりの人々が住んでおり、京都や太宰府とともに、大阪の地も菅原道真公の事跡が多いところです。延喜3年(903)に道真公は太宰府で59歳の生涯を終えられましたが、その約50年後の天暦3年(949)のある夜、 この大将軍社に不思議な出来事が起こりました。突如、社前に七本の松が生え、夜ごとに梢が金色に光り輝いたというのです (七本松伝承)。

時の村上天皇は、これを道真公にゆかりの奇瑞として、当地に天満宮を造営されました。これが大阪天満宮の創祀です。

天神を招いた大将軍社と天満宮はしだいに立場が逆転して、大将軍社は天満宮の摂社になってしまいました。現在は、大将軍社は境内の大工門の近くに地主神として祀られています。そして、大将軍の森は、いつしか天神の森と呼ばれるようになっていきました。

 

天神信仰

地神(くにつかみ)に対する天神(あまつかみ)は、もともと雷神として祀られていました。雨は農作物の出来に密接にかかわっていて、農民の死活をにぎっています。このため、天神に祈願し慈雨を得ようと雷神を祀る社が日本各地にたくさんありました。現在でも火雷神としての天神を農耕神として祀って、菅原道真を祭神としない天神社は、全国に少なからず存在しています。

菅原道真公が天神として崇拝されるようになるのは、「あまつかみ」信仰の成立よりかなり後のことです。道真公が延喜3年(903)、没したあと疫病がはやり、彗星が現われ、さらには讒言した藤原時平一族の死去、清涼殿への落雷などの事件が続発するにおよんで、それらが道真の怨霊によるものとする説が流布しました。そこで道真の怨恨の霊をなぐさめるために右大臣の位を復権したり、正二位が贈られたりしたのです。その間に、何人かの人物に神託が下って、道真は天満大自在天神として祀られはじめました。

牛頭天王と同じように、災いをなす神も、きわめて強力な破壊力をもつ崇りが大きい分だけ、いったんこれを信じて帰依するときは強い庇護を受け、災厄から身を護ることができると信じられたのです。

道真公が丑年の生まれであるとか、牛の鳴き声によって刺客から逃れた話、道真公の遺言に従って、亡骸を運んだ牛車が動かなくなったところを墓所とさだめたとか、いくつも道真公と牛の因縁譚があることからも牛頭信仰とのつながりがうかがえます。

そして、ついには天暦元年(947)、道真公を祭神とする北野天満宮が創建され、朝廷は正一位、太政大臣を追贈しました。

もともと北野は雷神が祀られていた地で、そこへ道真公の霊魂が重なり合っていったのです。また、古来、牛をいけにえとして祈雨するという原始的信仰もあり、天神信仰との結びつきが菅公と牛とのかかわりをさらに深くしたようです。

大阪の天神祭には「必ず一度は雨が降る」といういい伝えも、天神(雷神)とのつながりからのものです。

 

天神祭の由来

天神祭が7月25日に定まったのはそう古いことではありません。江戸時代には、菅原道真の生誕の日にちなみ旧暦の6月25日に、天神祭が行われるようになっていましたが、室町時代の公卿の日記『康富卿記』には、宝徳元年(1499)の天神社の祭礼は、7月7日であったと伝えています。

戦国時代の混乱時期に中断していた祭礼が復活した時に、7月7日から、菅原道真公ゆかりの、6月25日に変更されたといわれています。

大阪天満宮の社伝によると、創祀の翌々年にあたる天暦5年(951)6月晦日に鉾流神事が始まったと伝えられています。大将軍社の道饗祭とは別に、天満宮独自の「夏越の祓」の神事として鉾流神事が始められました。この時節の行事としては、全国的に、桟俵や藁馬に赤い御幣を立てて川に流す「疱瘡送り」があり、鉾流神事も同様のいわれを持つもののように思われます。

鉾流神事とは、大阪天満宮の南側を東から西へと流れて大阪湾に注ぐ大川(旧淀川)に神鉾を流して、その漂着地をその年の神霊が遷座すべき斎場(さいじょう)と定めるもので、船渡御はその御旅所に神霊が船で向かう神事祭なのです。当初は、常設の御旅所は設けられていませんでした。

御旅所が常設化されたのは、江戸時代初頭で、その場所は、最初は雑喉場(ざこば:京町堀川流末)に、寛文~延宝(1661~81)頃以降、明治初年までは、下流の戎島とされていました。

当初は、6月晦日の鉾流神事で神鉾が流れ着いた場所に、7月7日の七夕に神霊の船渡御が行われ、「天神之祭」が行われていたのです。

また、七月七日に天神祭が行われたのは、七夕の祭り、星辰信仰との関係が指摘されています。
七夕といえば、牽牛星と織女星の伝説を思い浮かべますが、それは中国の古伝説にもとづくもので、わが国の七夕は、「穢れ祓い」の行事でした。

棚機つ女は、人里離れた水辺の機屋に籠り、そこを斎場として神を迎え、斎い祭り、一夜を過ごします。翌日、神が帰るのを送るに際し、村人は禊を行い、あるいは送り神に託してけがれを持ち去ってもらうのです。

天満宮付近の古地図には、天満宮の北にあった天満山との間に、星合池、七夕池、明星他の、三つの池が措かれていて、昔は、七夕の行事にかかわる「天満三池」があったことがわかります。星合池は文字通り、織り姫星と彦星が出合う、七夕信仰にちなんだ名で、池の辺には七夕神社(現在は、大阪城公園の豊国神社)があり、稲荷大神、稚日女神を祠っていました。「星辰信仰」とそこから派生した「疫神信仰」である大将軍信仰は、天神祭として菅公の天神信仰に受け継がれていったのです。

「天満宮の渡御は、いにしへに夏越の禊といひ、また鉾流しの神事ともいひ」といわれるように、天神祭は本来「夏越(名越)の祓」なのです。

 

半夏生(はんげしょう)

7月の2日は七十二候の一つで夏至から数えて11日目の半夏生に当たります。
農家ではこの日までに田植えを済ませて、このあとに田植えをしないという
習慣がありました。半夏とは、畑に生えるサトイモ科の多年草の毒草のことで、
この時期に生えます。

 

盛夏(せいか)

夏の暑いさかりを言います。同じ言葉に真夏(まなつ)や夏旺ん(なつさかん)が
あります。梅雨が明けると、とたんに盛夏が訪れて湿度の高い真夏日が続きます。
梅雨と暑い夏との切り替わりで、さらに大暑(7月23日)に向かってさらに気温も
高くなって暑くなってきます。

 

小暑(しょうしょ)

二十四節気の一つで7月7日に当たります。この日から本格的な夏の暑さが
始まります。長かった梅雨もまもなく明けて、風も熱風が吹いて来ます。
ですが、北海道では1年で最も快適な季節を迎えます。

 

七夕(たなばた)

7月7日は七夕。この風習は中国から渡来したもので、古くは
牽牛星(けんぎゅうせい)が農事を、織女星(しょくじょせい)が養蚕や糸、針を
司る星として信仰されていましたが、後に天の川を隔てて恋の伝説が生まれました。
日本には平安時代に渡来し『万葉集』にも紹介され、さらに古来から人里離れた
水辺の機屋にこもり、そこに神を迎えてみそぎを行う『棚機つ女(たなばたつめ)』
の伝統信仰とが習合されてできたものです。江戸時代には庶民にも広まり、願いを
書いた五色の短冊を笹の葉に飾り、星に願いました。当時は7日の前日の夕方から
七夕竹を立てるのが風習でした。

 

極暑(ごくしょ)

人の耐えられる暑さの極限を言った言葉で、たいへん暑いこと。同じ言葉に
酷暑(こくしょ)があります。炎暑(えんしょ)の炎えるような暑さなどや
蒸し暑さなど。今の東京ではアスファルトや建物の照り返しで、まさに
極暑状態。さらに熱帯夜も続き、寝苦しいほどです。その極暑は大暑の
7月23日から8月半ばのお盆過ぎまで続きます。

 

蝉時雨(せみしぐれ)

梅雨が明けて、夏の太陽が照り出すとアブラゼミやニイニイゼミが鳴き出します。
このセミの声を聞くと、いよいよ夏本番の到来です。7月末から8月にかけてが
盛りです。「しぐれ」は「過ぐる」からきた言葉で、しきりに続くもののとして
使われます。

 

大暑(たいしょ)

7月23日は二十四節気の一つ、大暑に当たります。これは7月7日の小暑から
数えて15日目ですが、全国的にも梅雨も明け、字義通りに夏の暑さも真っ盛り。
炎天下での灼けつくような暑さが、秋風の立つ8月中旬頃まで続きます。

 

逃水(にげみず)

アスファルトの道路の前方に水が溜まっているように見える蜃気楼と同じ光りの
屈折現象。暑い日には道路の先に見え、いくら近づいても先へと逃げてしまいます。

 

夏の宵(なつのよい)

夏の夕方で日中の暑さも薄らいで縁台で将棋をしたり、夕涼みを行うなど
日暮れから夜中までの時間帯を指します。

 

土用(どよう)

土用の丑(うし)に代表される土用は、春夏秋冬がありますが、今では夏の
土用を指す言葉になってきています。夏は立秋の日の前の18日間が土用と
呼ばれます。また、『土用丑(うし)の日』は、鰻との関係の諸説は色々と
ありますが、鰻屋が平賀源内に知恵を借りた説や保存の蒲焼作ったら丑の日に
焼いたものだけが色も香りも良かったという説などがあります。
地方によっては「う」の字の付くもので、うめぼしなどを食べる人もいます。

 

暑中見舞(しょちゅうみまい)

日本ほど季節の見舞いの習慣をもつ民族はありませんが、夏に出す、暑中見舞は
立秋(8月8日)の前の18日間の土用に出すのが礼儀です。立秋が過ぎてからは、
いくらまだ猛暑が続いていても残暑見舞になります。ついつい返事をだしそびれても、
旅先などから絵はがきを出すとか、そのまま放置しないのが相手への思いやりです。

 

ヒグラシ

早朝や夕暮れどきにカナカナと鳴く中形のセミ。ツクツクボウシより少し大きい。
北は北海道の南部から九州にかけて分布しており、本州の大部分では地方では
7月上旬から中旬頃に鳴き始める。

 

アブラゼミ

国内ではもっとも多く見られるセミで、北海道から九州まで各地に広く分布
しており、日本のセミの代表といえます。鳴き声はジージ、ギーギーと非常に
強い声で鳴きます。7月半ばから鳴き、下旬になれば日本中どこでも鳴き声を
聞くことができます。

 

夏の風の名前

  • 炎風(えんぷう)真夏の日照りで熱くなって吹く風「熱風」「乾風」の同意語
  • 大南風(おおみなみ)はげしく吹きつける夏の南風
  • 夏嵐(なつあらし)緑の葉が生い茂る木々を揺るがして吹き荒れる風
  • 土用東風(どようこち)夏の土用の時期に吹く東風
  • 夏疾風(なつはやて)突然に吹きだす烈しい夏風
  • 涼風(すすかぜ)晩夏に吹く涼しい風で秋の訪れを告げる

7月のキーワード

【自然】
半夏生、大暑、極暑、干ばつ、集中豪雨、夕凪、熱雷、やませ風、梅雨明、白南風(しろはえ)、光化学スモッグ、不快指数、熱砂

 

【暮らし】
七夕、梅雨明け、暑中見舞、お盆と中元、土用干し、夏休み・夏休みの生活設計、麦茶、網戸、すだれ、クーラー・扇風機、レースのカーテン、縁日、うちわ、扇子、ガラス鉢に生け花、涼しい夏のインテリア、夏祭り、羅(うすもの)、帷子、浴衣、アロハシャツ、サングラス、日傘、打水、行水、昼寝、日焼け、あせも

 

【健康】
食中毒、夏カゼ、夏痩せ、皮膚病、夏バテ、プール病、日射病、冷房病、貧血

 

【花】
蓮、あさがお、ひまわり、やまゆり、おにゆり、くろゆり、きょうちくとう、 ひおうぎ、はまゆう、矢車菊

 

【園芸】
種蒔き(1、2年草、宿根草球根)、土用ざし、アカダニ発生防止薬散布、宿根草の株分け、鉢植えキクの雨よけと日よけ、ダリアの切り戻し・場所の移動

 

【季語】
涼し、大暑、土用、夜の秋、梅雨明、虹、夏の月、炎天、朝凪、青田、滝、兜虫、鍬形虫、金魚、金魚売り、蝉、空蝉、夕立、 驟雨、西日、旱(ひでり)、誘蛾灯、西瓜割り

 

【誕生石】
ルビー(仁愛、情熱)

 

【誕生花】
くちなし(清潔)、ダリア(華麗)、はまなす(悲しく、美しく)

 

【時候の挨拶】
盛夏、真夏、猛暑、灼熱、涼風、稲妻、打ち水、夕立、お盆七夕、中元、蝉しぐれ、山開き

7月の旬【魚】

【疣鯛(いぼだい)】
東北以南の海で獲れる高級魚。煮付け、塩焼き、干物でよく食べられる。とくにヒレ近くの肉は脂がのって旨い。

【穴子(あなご)】
アナゴは味が年間を通して変わらないが、盛んに出回る夏が旬。ウナギは全国的に食べられ、ハモは関西を中心に、アナゴは関東を中心に賞味される。

【鮑(あわび)】
アワビの旬は夏。刺身に向くのはクロアワビ、マダカアワビ、酒蒸しやステーキによいのがメガイアワビ。アワビはコンドロイチンを多く含み、老化の進行を抑えるほか、血枯れを治し、病後の回復・解毒に効果がある。

【ウニ】
ばふんウニは春が旬だが、えぞばふんウニ、紫ウニ、しらひげウニは夏が旬。
ウニの旨さの甘味は、グリシンなど6種類のアミノ酸が醸し出すもの。
タンパク質、脂肪、ビタミンEを多く含む。

【はも】
旬は梅雨明けの頃の6月~7月。関西では夏の魚料理には欠かせぬ魚となっている。
ビタミンAを多く含み、皮には肌や眼の老化防止に役立つというコンドロイチンが含まれており、夏バテの防止や美容によい。

【鱸(すずき)】
6月~9月においしくなる。成長に従い呼び名の変わる出世魚で、夏の魚の代表格。
夏のスズキは脂がたっぷりのり、また脂肪性ビタミンA、Dが豊富で夏のスタミナ回復にもってこいである。

【鯒(こち)】
よく身の締まった白身魚なので、新鮮なものは刺身や洗いにするとよい。煮付けや天ぷら、ちり鍋にも向き、出汁がよく出るのでぶつ切りにして味噌汁にするのも手軽でおいしい食べ方である。

【かんぱち】
アジ科の魚。初夏から秋にかけてがおいしい時期。幼魚は魚体が黄色いことからヒヨッヒ(シオッコ)と呼ばれ、高級魚の仲間に入っている。カンパチは肉が締まっていてコクがあり、脂ののりもよく、舌触りもよい。夏の高級魚の一つである。

【しじみ】
土用シジミとか寒シジミといわれるように夏と冬が旬。肝臓によい働きをする各種のアミノ酸を多く含み、カルシウム、ビタミンB2もたっぷり含んだ栄養豊富な食品である。身を味わいたいなら、煮立った湯に入れると旨みが逃げない。エキスを味わうには、水から入れて煮るとよい。

【虎魚(おこぜ)】
初夏から晩夏がおいしい時。悪相に似合わず、白身の肉は上品で美味。刺身、唐揚げ、わん種、煮付け、ちり鍋にと楽しめる。唐揚げにするときは必ず2度揚げ
すること。

7月の旬【野菜】

【レタス】
レタスは年中出回っているが、7月~8月に出回る高冷地産のものが味がよいとされる。

【枝豆】
旬は7月~8月。大豆と同様にタンパク質が豊富だが、大豆にないビタミンCを多量に含む。また、ビタミンA、B1a2、カルシウムも多い。アルコールから肝臓や胃腸を守るメチオニンを多く含み、ビタミンB1、Cがアルコールの酸化を促し、肝臓の働きを助けるのでビールのつまみとしては最適である。

【ピーマン】
年中出回っているが、栄養価の高い7月~8月が旬。ピーマンのビタミンCは熱にも強く、相性のよい油と一緒に料理すれば、青臭さが抜けてよい。夏のピーマンはメラニン代謝が働き、しみ、そばかす、かぶれ、吹き出物に効果がある。カロテン、ビタミンAが夏バテを防ぎ、血液をきれいにする作用もあるので、皮膚にはりがでて、髪や爪の色艶をよくし、美容によい。

【オクラ】
出荷が多いのは5月~10月で7月~8月の路地物がおいしい。調理の前に塩を少量ふって手でよくもむと、表面の産毛がとれてよい。

【きゅうり】
1年中出回っているが、最盛期は5月~9月。キュウリのおろし汁は美容の面でも肌を引き締め、弱アルカリ性に保つ働きがある。キュウリをおいしく食べる決め手は塩。
生で食べる時には必ず塩をふりかけ、キュウリの板ずりを行い、塩を水で洗い落として切ると、キュウリの緑を鮮やかにする。また、表面の水分が少し抜けることで、酢やドレッシングが馴染みやすくなる。

【とうもろこし】
旬はなんといっても夏。秋口までフレッシュなものが店頭に並ぶ。トウモロコシの甘みは日がたつにつれて薄れてしまうので、新鮮なうちに食べるのがポイント。
トウモロコシの黄色い色はカロテンで、体内でビタミンAに変わるものである。
タンパク質や脂肪、ミネラルも豊富な栄養価の高い野菜。

【夏大根】
7月~10月上旬まで出回るもので、美濃が代表品種。辛みが強く、煮炊きには不向きだが、おろしや漬け物用に夏場も欠かせない。ダイコンはおろして7~8分後が最も辛いので、辛すぎるようなら少し時間をおくか、酢をかけるとよい。

7月の旬【果物】

【すいか】
スイカはカリウムがブドウ糖とバランスよく含まれているので、「スイカを食べたら便所の前で眠れ」といわれるほど利尿作用が高く、腎臓病に効果がある。

【杏】
旬は初夏から夏。別名アプリコット。よく出まわる品種は、平和、山形三号、新潟大実。甘酸っぱい味(クエン酸・リンゴ酸)が好まれている。

【桃】
旬は7月~8月。7月には大久保、8月には白桃、お盆過ぎには白鳳が多く出まわる。
かたいものは室温で追熟させるとよい。ただし、日持ちはよくないので気をつける。

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