伝統生活

【9月といえば】日本の伝統行事・食べ物・風物詩【歳時記】

【9月といえば】日本の伝統行事・食べ物・風物詩【歳時記】 伝統
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

歳時記 九月

9月は、別名 長月(ながつき)と言われます。夜がだんだん長くなるから「夜長月」あるいは、「稲刈(いなかり)月」、「稲熟月(いなあがりづき)」を略して「なが月」といわれています。 

 

9月の異名・異称

長月(ながつき )
菊月 (きくづき・きくげつ)
小田刈月(おだかりづき)
季秋(きしゅう)
紅葉月(もみじづき)
色取月(いろどりづき)
玄月(げんつき)
寝覚月(ねざめづき)
陰月(いんげつ)
菊見月(きくみづき)
涼秋(りょうしゅう) 

さらに詳しく
『月名の雅語・古語』一覧 |陰暦の名称・別名・異名・異称

 

9月の風物詩・行事・食べ物

 

重陽の節供

菊花

秋を代表する花といえば、やはり菊でしょうか。あちらこちらで、菊花展や菊人形の催しが開かれています。

菊は皇室の紋章でもある日本を代表する花の一つで、葬祭にもひんぱんに用いられる(主に弔意の場合が多いようですが)とてもなじみの深い花ですが、もとから日本にあったわけではありません。

奈良時代に、薬用として中国から入ってきたもので、万葉集には見られず、古今集の頃から文字として現れます。

菊は漢名で、キクはその音読み。和名では加波良与毛木(かわらよもぎ)、寿客(じゅかく)などとも呼ばれます。

また、翁草、齢草(よわいぐさ)、千代見草の別名を持っており、古代中国では、菊は仙境に咲いている花とされ、邪気を払い長生きする効能があると信じられていました。

菊と長寿との結びつきには、昔、中国の山奥で、慈童という少年が、経文を書いた菊の葉にこぼれた露を飲み、700歳以上も生き続けたという、能や歌舞伎舞踊、長唄などで有名な「菊慈童(枕慈童)」の説話が元になっています。

麗懸山(中国河南省)の麓から薬の水が湧き出たというので、勅令を受けた魏の文帝(支那三国時代の魏の曹操の子曹丞)の臣下達が 山中深くやって参りますと、その山奥の菊の咲き乱れた仙境に、慈童という童顔の仙人が現れました。
山奥深くに、人間の姿を見て怪しんだ臣下が問いただしますと、慈童は、太古の周の穆王(ぼくおう)に仕えていた者だが、王の枕をまたいだ罪でこの山に流されたのだといいます。

枕は、眠るときに魂が体を離れて枕の中に宿る神聖なものとされ、日本でも、万葉の頃に、妻は旅先の夫を想い、留守中の夫の枕と枕をくっつけて眠りについたという歌も残されていて、一説に枕の語源は魂倉(たまくら)だもいわれています。

その神聖な王の枕をまたいでこの地に流されたのですが、王は、慈童を哀れんで、法華経の「二句の偈」(法華経観世音菩薩普門品の偈文「具一切巧徳 滋眼視衆生。福聚海無量 是故應頂禮」)を枕に書いて賜ったといいます。

そして、その妙文を菊の葉の上に写して書くと、その葉の露が霊薬となり、それを飲んでいたため、少年は七百年後の今でも若いままで生きながらえていたというのです。

 嵐山の虚空蔵(こくうぞう)法輪寺の「重陽の節会」では「菊慈童」の像を祀って法要が営まれ、能「菊慈童」が奉納されます。

 

重陽の節会

陽を重ねると書いて「重陽」ですが、陽は9月9日の「9」をさします。

陰陽思想では、奇数が陽数、偶数が陰数とされ、9は、陽数のなかでも極みとなる数であり、また、3x3と陽数(奇数)の積となる唯一の1桁の数であることから、陽数を代表する数と考えられました。
 

ちなみに、結婚式の「三三九度の盃」にも同じ意味があり、三三九度は三献ずつ三回という九献(くこん:一献とは酒を盃へ一回つぐこと)のことで、合計九盃、結婚式では一時にこんなに多くは飲めないので、一杯の盃の上で銚子を三回動かして三献ついだことにして、それを三杯飲むことにしています。

また、月の数と日の数が同じ数字となる日を特別の日付と考える重日思想から発した節供では、「陽の極まった数の重日」ということで「重陽」とされ、重陽の節会は、重九(ちょうく)とも呼ばれます。

「重陽の節会」の起源は、ほかの節会と同様、古来中国にさかのぼります。

かつて中国では、節供の際に芳香のある植物を身につけ邪気を払い、山に登って天と地の神を祀るという風習から、この日、「登高(とこう)」とといって、家族や友人などと連れだって近隣の小高い丘に登って菊酒を飲み、女性は茱萸(しゅうゆ(呉茱萸:和名は、カワハジカミ。現在の山椒のこと))の袋を身につけたり、髪にその実を刺して身の災いを払い、自分や家族の長寿と一家の繁栄を祈るという風習がありました。

「重陽の節会」は、現在では「正月」や「七夕」などの他の節会に比べるとなじみがありませんが、日本では、天武天皇十四年(685)9月9日の重陽の節供に菊花の宴が催されたのが初めてということです。

天皇が出御して宴会を行うものを、「節会(せちえ)」と呼びます。
すでに奈良時代には、養老雑令に、正月1日(元旦)、7日(白馬(あおうま))、16日(踏歌(とうか))、3月3日(上巳(じょうし)・曲水)、 5月5日(端午)、7月7日(七夕・相撲)、11月(大嘗(おおんべ))の「節日」が定められていましたが、このころは、天武天皇の忌日にあたることから9月9日(重陽) が外されていました。

平安時代になり、「元旦」「白馬」「踏歌」「端午」「豊明(とよのあかり)」(新嘗会の翌日)の「御節会」が定められ、平城(へいぜい)天皇の御代(806~809)に重陽の宴が催されるようになりました。この重陽の宴、嵯峨天皇の御代(809~823)には、神泉苑に文人を召して詩を作るという形で行われており、淳和天皇の御代(823~833)の末からは紫宸殿に場を移し、また、仁明天皇の御代(833~850)以後は、内裏の紫宸殿儀として定着するようになったそうです。

旧暦の9月といえば晩秋です。重陽の節会は、衣替えの日でもありました。昔は、この日以後、衣類に綿などを入れて冬衣に変わったそうです。邪気を払い、寒さに向かうこの時期に、無病息災を願い、防寒の意味もこめて、この重陽の節会は行われました。

宮中では、この日、五位または六位以上の諸臣を朝廷に集め、天皇も出席する宴が行われました。「観菊の宴」を開き詩歌など詠み、厄除け・災難よけを願って、端午の節供に御殿の柱に掛けた菖蒲の薬玉をはずし、替わりに茱萸袋(しゅゆふくろ)を掛けました。また、御帳台や長押に茱萸袋や白絹に菊花を包んで掛け、菊の酒を賜って、長寿を祝い災厄をはらいました。

時代が下がるにしたがって、当初は貴族社会のみの行事だったものが、武士から庶民へと徐々に広がっていきました。菊も室町時代には、食用としてもさかんに栽培され、桃山時代から江戸時代にかけて、鉢植草花として発達をし、広く観賞用として栽培されるようになりました。この日の宴会には菊の花を浸した「菊酒」を飲み交わしたり、また、菊合わせという今風に言えば「菊コンクール」に相当する会も盛んに開かれるなど、一般にも寿命を延ばすと信じられていた菊を使って様々な楽しみ方が広まりました。

今では影の薄いこの節供ですが、江戸時代までは五節供の最後を締めくくる節供として最も盛んな節供だったとも言われます。
(「節供」というのは、江戸幕府が制定した正月七日の「人日(じんじつ)」、三月三日の「上巳」、五月五日の「端午」、 七月七日の「七夕」、九月九日の「重陽」の「五節供」のことです)

 

菊酒

五節供は、人日は七草の節供、上巳は桃の節供、端午は菖蒲の節供、重陽は菊の節供などと呼ばれ、季節の営みを象徴する植物と深くかかわり、季節の節目ごとに天地の神への祈りを捧げる祭事でもあります。

そして、祭事に供えた神酒を共飲して御魂(みたま)を戴くという意味から、人日の節句(正月)には 屠蘇酒(とそ)、上己の節句(ひな祭り)には桃酒・白酒、端午の節句にはあやめ酒、七夕の節句には甘酒、重陽の節句には菊花酒と、それぞれの節供酒が飲まれます。

山また山のおくまでも、菊あるや常世なるらん、……

菊慈童の飲んだ菊花の滴は菊酒となり、中国においては、不老長寿の霊薬として太古から珍重され、延命の酒といわれています。

  老いせぬや 老いせぬや 薬の名をも菊の水
  盃も浮み出でて友に逢ふぞ嬉しき この友に逢ふぞ嬉しき 
  御酒と聞く
  御酒と聞く 名も理りや秋風の
  吹けども吹けども
  更に身には寒むからじ
  理りやしら菊の
  理りやしら菊の 着せ綿を温めて酒をいざや酌もうよ

 

猩々(しょうじょう)の一節を想いながら、秋の夜長に友達と飲むのも良いものです。

本格的な菊酒でなくとも、酒の上に菊の花を浮かべ菊の香りを楽しむだけの簡単なものでも雰囲気は十分に味わえます。

  盃や 山路の菊と これをほす (芭蕉)

 

菊の被綿(きせわた)

中国には無い日本独特の風習としては、重陽の節供の前日から菊の花に綿を巻き(被綿:着綿とも)、菊の香りと菊の花に着く露をその綿に移して、翌9日の朝、この菊の露入りの綿で身を清めるというものがあります。千年の老いを拭い取るという長寿のおまじないです。この綿は、木綿ではなく「真綿」つまり蚕の繭からとった絹綿のことです。

被綿は、平安前期の宇多天皇のころに始まりました。源氏物語をはじめ、古典文学の中にも書かれていますが、当時は特に細かい決まりはなかったようです。江戸時代初期の『後水尾院當時年中行事』には、「白菊には黄色の綿を、黄色の菊には赤い綿を、赤い菊には白い綿を覆う」とか「重陽の日に菊の咲かない年は、綿で菊の花を作った」との記述が見られるようになり、この頃から次第に、形式化されていったようです。

現在でも重陽の節供には、上賀茂神社で、斎王が「菊の被綿」を神饌とともに神前にお供えする行事や、菊慈童像がある法輪寺で、参拝者が「菊の被綿」を菊慈童像に供養し、菊酒を杯に汲み無病息災を祈り、邪気を払うとされる茱萸袋(しゅゆふくろ)をいただく行事があります。

 

菊枕

菊枕を作る風習もありました。

重陽の日に摘んだ菊の花をよく乾かし、枕に詰めます。

この枕で眠ると、ほのかに菊が香り、好きな人の夢を見ることができるという言い伝えもあり、女性から男性に菊枕をプレゼントするのは特別な意味があったようです。

 

菊湯

これは節句の時ばかりとは限りませんが、香りのよい菊は精油も含むので、からだをあたため、ゆったりとした気分にしてくれます。

この重陽の節供は、時期的には全ての作物の収穫が終わった時期の祭りでしたから、庶民は、この日を「刈り上げ節供」などと呼び、栗御飯などを炊いて祝う一種の収穫祭として定着しました。

九州地方では祭りのことを「くんち」と呼ぶことがありますが、これは「九日」のことであると言われます。有名な「長崎くんち」「唐津くんち」も元は旧暦の9月9日に行われたものです。

重陽の節供は、新暦になってからは、季節感とそぐわなかったためか、明治以後急激に廃れてしまいました。

花札の9月の役札にしか季節を偲べないというのも”陽子”としては、少し寂しい気持ちがします。

 

彼岸

そもそも彼岸とはサンスクリット語(梵語)のパーラミター(波羅蜜)の訳語で「到彼岸」にゆらいします。ちなみに、「彼岸」とだけ言った場合、これは春の彼岸を指し、秋の彼岸は「秋彼岸」または「後の彼岸」と言います。

彼の岸というからには、当然こちらの岸があるわけでそれが私たちの世界です。つまり、生死に苦しむ迷いの世が此岸で、彼岸は、涅槃の境地、常楽のみ仏の世界といわれます。すなわち現在、我々が住んでいるこの迷妄の世界は此岸から、仏・菩薩の悟りの世界である彼岸に渡ることを目的とするのが彼岸会の仏教的な意味です。

ところがこまったことに、此岸と彼岸の間には煩悩の激流があり、なかなかむこう側に渡れません。これを精進の力で涅槃の岸に渡るのが到彼岸です。よくきく六波羅蜜とは、そのための六つの実践というわけです。

此岸から彼岸へ、すなわち悟りの世界へと入るための六波羅密とは

  1. 布施 財施(財を施すこと)・法施(真理を教えること)・無畏怖(恐怖を取り除き安心を与えること)の三種
  2. 持戒 戒律を守ること
  3. 忍辱 にんにく・苦しさに耐えること
  4. 精進 常に仏道を修するための努力をすること
  5. 禅定 心を安定させること
  6. 智慧 真理を見抜く力を身につけること

 以上六つの徳目のことです。

春分・秋分の日に行われる彼岸会は、仏教的行事となる以前は日本人の農耕生活に深く根付いた行事であったと思われます。

古い日本の習俗には春秋とも中日の朝早く人びとは東の方向にある神社にお詣りして、日の出を拝む「日拝み(ひおがみ)」と、この日は1日太陽とともに野山を歩いて、太陽の恵みと祖先への感謝の念を表す「日の伴(ひのとも)」という行事がありました。春分は種苗の時期、また、秋分は収穫の時期にあたります。お宮やお寺にお参りして、農耕の安全と農作を祈り、祖先の霊を祀ったのです。現在、彼岸にはぼた餅やおはぎを作る風習も、この時代の神への供物が姿を変えたものだとも考えられます。

彼岸会は彼岸の日を中日として前後3日間、計7日間にわたって営まれる法要ですが、仏教行事でありながらインドや中国には同じような行事が見当たりません。彼岸会は日本独特の仏教法会であるといえます。

その始まりははっきりしたことが分かりませんが、平安時代に盛んになってきた浄土思想の影響があるようです。

 

ご存知のように極楽浄土は、はるか西方にあるとされています。彼岸には太陽が真西に沈み、この日沈む太陽が示す極楽浄土への道を「白道(びゃくどう)」といい、仏の示してくれたこの白道を信じて進めば必ず極楽浄土に至ると言う信仰が生まれました。そこで、太陽が真西に沈む春分と秋分に夕日をおがんで極楽への往生を願うことが行われました。

「今昔物語」によると、聖徳太子の建てた四天王寺が、当時このような信仰にもとづく霊場として、多くの参拝者でにぎわったとのことです。

また、「源氏物語」にも、彼岸のことが出ていて、平安貴族のあいだにかなり定着していたことがうかがえます。

以後、古来の先祖供養の要素も加わって今ではお彼岸というと、お墓まいりや、法事を行い、仏壇におはぎ等をお供えして、ご先祖の冥福を祈るならわしになっています。

 

ふしぎなことに彼岸は、インド、中国にはみられず、日本固有の行事なのです。そこには日本古来の農耕儀礼や、祖霊崇拝と仏教を結びつけて、親しみやすくし、なんとか人々に仏教を歩ませようとした先人の願いが感じられてきます。

 

謡曲「弱法師(よろぼし)」

河内国高安の通俊は人の讒言を信じて追い出してしまった一子、俊徳丸の現世と来世の為に天王寺で十七日間の施行をすることにします。俊徳丸は、家を追放された悲しみから盲目となり、片輪の足弱車のようにヨロヨロと歩く様から弱法師(よろぼし)と呼ばれる乞食となっていました。

春の彼岸の中日、父親の通俊の施行の満願の日に、群集に交じり大阪の天王寺にやってきた俊徳丸は、梅の香がただようなか寺の来歴を語り仏徳を称えて曲舞を謡います。

その様から通俊はそこに居た弱法師がわが子であると気付きますが、盲目の俊徳丸には父親が見えません。通俊は俊徳丸に施しをしたあと、「日想観(※にっそうかん)を拝み候へ」と諭しますと、盲目の俊徳丸は、かつて見た難波の景色を心眼で見て「満目青山は心にあり」と心に映ずる浦々の風光を賞し、感極まり物狂おしい心地で舞います。

やがて夜も更け人々も立ち去ると通俊は父親と名乗り、驚く弱法師を、我が家へつれて帰ります。

この話が近世の「語り物」に取り入れられ、彼岸の中日の日没に合掌礼拝し念仏を唱えれば願いが叶えられると信じられました。

日想観

西に向かい日没を見て極楽浄土を観想すること。
感無量寿経に

「汝及び衆生、まさに専心に念を一処に繋げて西方を想ふべし。いかに想ひを作すや、およそ想ひを作すは、一切衆生、生盲に非ざるよりは、皆日没を見る。まさに想念を起し、正座して西向、日を諦観すべし。~~既に日を見已らば、目を閉ずるも目を開くも、皆明了ならしめよ。是を日想と為し、名づけて初観といふ」

とあり、釈尊が教えた浄土を観想する十三の方法の第一にあげられています。

 

二百十日(にひゃくとおか)

9月1日は立春から数えて二百十日目に当たります。この時期になると台風の厄日として昔から知られています。それまで太平洋の海上を抜けて行った台風が、日本本土に接近してきます。ちょうどこの頃は稲の花の盛りで、農家では風祭りを行なったりしました。台風は数としては8月が多いですが、9月の台風は上陸して大きな被害を残しています。

 

白露(はくろ)

9月7日は二十四節気のひとつの白露に当たります。立秋から30日目で秋も進み、この頃は大気も冷えて朝晩には野の草には露が宿るようになります。
高原の草むらを歩けばズボンを濡らすほどの露を見ることもでき、大気が涼しく感じます。朝露は日が昇れば自然と消えてしまいます。

 

二百二十日(にひゃくはつか)

9月11日は立春から数えて二百二十日目に当たります。この日は台風が来る第二の厄日とされていて、実際に過去の台風を調べてみると9月中旬頃からの方が被害が大きいです。

 

あきのこえ

類似語に『秋の音』や『秋声(しゅうせい)』もあります。秋になると気温も下がり、空気も澄んで、日常の物音が夏よりもいっそうよく聞こえてきます。
ですが過ぎ去る季節のもの寂しさや詩情、情緒を感じさせる音です。鳥や虫の鳴き声など、秋ならではの声は夜遅くまで響きます。

 

爽秋(そうしゅう)

秋になって空気が澄んできて、気候がさわやかになってくることです。音も高く澄んで、はっきりと聞こえるなど秋らしいくなってきます。

 

 秋天(しゆうてん)

秋の空のことをいいます。秋の空は春のかすんだ空とは違い空気が乾いていて透明感があります。山並みの輪郭も見え風景もハッキリとしてきます。ですが、「女心と秋の空」といわれるように天候の変わりやすい季節でもあります。

 

秋彼岸(あきひがん)

「暑さ寒さも彼岸まで」とも言われ春と秋には彼岸の時期があります。単に彼岸と言えば春の彼岸を言い、秋の彼岸は「秋彼岸」とか「後(のち)の彼岸」と表現します。秋彼岸は秋分の日(9月23日)をはさんで7日間。彼岸入りが今月の20日で彼岸明けが26日になっています。この時期には亡くなった人の法要やお墓参りなどを行なって祖先を供養します。また秋分の日は、「お彼岸の中日」で「祖先をうやまい、亡くなった人をしのぶ日」として国民の祝日ができました。8月のお盆に田舎に帰ってお墓参りができなかった人は、この時期を利用するといいかもしれません。

 

秋雨前線(あきさめぜんせん)

9月の中旬頃から10月中旬頃にかけて、日本の南岸沿いに停滞し、秋の長雨をもたらす前線。南東に後退していく夏の高気圧と北西から広がってくる大陸の高気圧がぶつかり、その温度差から前線ができます。また、このころのしとしと降り続く長雨を「秋霖(しゅうりん)」といいます。この長雨も通常は10月上旬から中旬に明けて、梅雨明けならぬ秋霖明けになり秋晴れが続きます。

 

月見(つきみ)

旧暦の8月15日(新暦では9月ごろ(は「十五夜」です。1年のうちでもこの夜が最も空気が澄んで明るい仲秋の満月になります。お月見は、もともと中国で生まれ「三五夜(さんごや)」といい、天人が降りてくるとされていました。日本へは平安時代に伝えられ、十五夜の名月や十三夜の後の月を月見をしました。お供えには団子や柿、枝豆、芋、栗、ススキなどの秋草などを縁側に用意して楽しみます。この日が晴れれば名月ですが雲で月が隠れたら「無月(むげつ)」。雨が降ったら「雨月(うげつ)」といいます。

 

秋分(しゅうぶん)

9月23日は二十四節気のひとつの 秋分に当たります。 この日は春分の日と同様に昼と夜の時間が同じようになり、太陽も真東から昇って真西に沈みます。さらに翌日からは昼が短くなり夜の方が長くなります。「暑さ寒さも彼岸まで」と言う言葉があるように、この時期を境にして暑さも遠のいていきます。

 

秋気(しゅうき)

秋になって空気が澄んでくると秋の気配を大気から肌に感じ取れるようになります。この季節のさわやかな澄み切った空気などを総称して、こう呼んでいます。この言葉は漢詩にもよく使われています。野外で感じる秋らしい雰囲気がそのままこの言葉となっています。

 

ススキ

秋の七草のひとつでもあるススキは、穂の動きが風の通り道に見えることから短歌などでは乱草(みだれぐさ)、袖振草(そでふりぐさ)などの名で詠まれています。茎の先に黄褐色の花穂を付け、獣の尾の形に似ていることから「尾花(おばな)」とも呼ばれます。日本各地の山野に生え、かやぶき屋根の屋根材としても昔から利用され、また、炭俵を作り、家畜の飼料にも使われて日本人の生活に大切な植物ですが、あまり知られてはいませんが、古来から農耕儀礼にも多く使われてきました。魔除を払う力があると信じられおり、豊作祈願などに稲と似ていることから穂を立てて供えられました。また、十五夜のお月見に飾る習慣もありますが、その名残とも言われています。神奈川県の箱根仙石原では、早くも晩夏の陽光を受けて穂先が輝き始めています。

 

秋水(しゅうすい)

「秋の水」ともいいます。水温が下がり、澄み切った水のことをさします。
秋になると海、川、湖などに透明感が漂います。また、「三尺の秋水」のように研ぎ澄まして、よく切れる刀剣のたとえにも秋水を使います。

 

秋冷(しゅうれい)

秋のひんやりした気候をいいます。この頃になると朝晩が涼を感じ、夏の暑さが去り、心地よい冷えを感じ始めます。

 

野分(のわき)

昔は秋の始めに吹く暴風を台風と呼ばずに野分と言っていました。また、秋から冬にかけて吹く強い風もいいます。野の草を分けて吹き通る風の意味です。
当時は台風を突風と思っていました。ですから過去った後の晴れ間は野分晴れとも言っていました。

9月のキーワード

【自然】
台風、白露、秋分、秋霖、秋雨前線、天の川、仲秋の名月、十三夜、十五夜、十六夜、待宵草、鰯雲、鯖雲、雨月、虫の音、鈴虫、長月、菊咲月、玄月、寝覚月、立待月、居待月、寝待月、更待月

【暮らし】
墓参り、秋の彼岸、敬老の日、月見、重陽(菊見)、クーラー・扇風機の手入れ、夏靴・日傘の手入れ、レジャー用品の後始末、アルバム整理、すだれの片付け、秋の夜長の利用法、秋の衣替え毛糸の編物開始、照明器具の点検、防災準備

【健康】
夏バテの回復、衣服・寝具の手入れ、台風・水害と消毒、髪の毛・日焼けの手入れ、食中毒、日本脳炎、かぜ

【花】
秋の七草(萩、ふじばかま、桔梗、おみなえし、なでしこ、すすき、くず)、コスモス、よもぎ、ほうせんか、うど、彼岸花、サルビア、ハゲイトウ、菊、ダリア、アザミ、マリーゴールド、リンドウ

【園芸】
夏草の種・球根の保存、宿根草の植え替え、バラのせんてい、秋のうちに花を咲かせる、秋植え球根(薬用サフラン、コルチカム、秋咲きクロッカス)、家庭菜園(クレソン、二十日大根)、種蒔き(忘れな草、サルビア、ケイトウ、マリーゴールド、秋咲きコスモス)

【季語】
仲秋、夜長、露、鰯雲、爽か、冷やか、花野、秋の海、水澄む、秋の水、秋草、萩、鶏頭花、コスモス、曼珠沙華

【誕生石】
ブルー・サファイア(慈愛、徳)

【誕生花】
なでしこ(貞節)、ケイトウ(色あせぬ恋)、カンナ(誘惑)二百十日、良夜、台風、野分、朝寒、名月

【時候の挨拶】
新秋、初秋、秋冷、新涼、秋意、秋色、秋気、涼風、清涼、二百十日、良夜、台風、野分、朝寒、名月

9月の旬【魚】

【鮎】
アユは初秋になると海へ下りながら川底に産卵する。この時期のものを落アユ、錆アユと呼ぶ。骨や皮がかたくなって脂肪も減るが、腹に卵があり、肉にはコクが出るので、魚田やフライ、煮浸しなどによい。

【帆立貝】
殻つきの活きのものは一般に10月~12月が旬。帆立貝の貝柱は高タンパク、低カロリーの健康食品といえる。買う時は貝殻のしっかりしたものを選ぶとよい。

【新子】
東京湾で9月から獲れ始めるコハダの幼魚をシンコという。体長はせいぜい3~6センチで、頭をとって開き、中骨も除いて酢でしめれば、そのまま一貫漬けの握りずしになる。

【鮭・マス】
おいしいのは、9月~11月。サケにはタンパク質や脂質が多く含まれ、ビタミンB1やナイアシンも多い。焼き物からフライ、鍋物、かす汁など広範囲に利用できる。
マスと鮭は混用されることが多いが、日本では陸封型の鮭をマスと呼ぶ。
ニジマスなどのマス類は塩焼きやフライ、ムニエルなどに向く。

【秋刀魚(さんま)】
旬は秋。大形で口先や尾の付け根が黄色いものがよい。ビタミンA、ビタミンB12が豊富。血合肉に多く含まれる。ビタミンB12は他の魚の3倍と多く、貧血に効果がある。
ビタミンAは、皮膚や粘膜を丈夫にする。サンマの塩焼きには、大根おろしと醤油がおいしいが、レモンやすだちの絞り汁をかけると、生臭さが消え、味も一段と引き立つ。

【さわら】
旬は回遊する地域によって異なり、東京あたりでは1月~2月の寒中を旬とする。
普通魚は頭に近いほうがおいしいが、サワラに限っては尾に近い方がおいしい。
タンパク質、脂質、ナイアシン(ビタミン)に富んだ栄養価の高い魚。

【鯖(さば)】
旬は秋、秋サバはコサバのことである。コサバは年中味は大して変わらないので、この時期はマサバを味わいたい。血合肉には鉄やビタミンBがたっぷり含まれ、栄養価が高い。成人病を予防するEPA(エイコサペンタエン酸)を多く含む。

【鰯(いわし)類】
マイワシは秋から冬、ウルメイワシ、カタクチイワシは冬が旬といわれる。
高度不飽和脂肪酸のEPAとDHA(ドコサヘキサエン酸)の働きで血液の動きをよくし、コレステロールを排除するので成人病の予防にも効果がある。

【甘鯛(あまだい)】
旬は秋から春。白アマダイ、赤アマダイ、黄アマダイに分けられ、味覚は白が一番で、赤、黄の順。京都ではグジと呼び、若狭湾で獲れたアマダイに一塩をあてて身を締めたものが最高に美味とされる。また、白アマダイを干したのが静岡県の興信ダイで、これもおいしい。白アマダイは脂がのり、上品な味が好まれ、調理法も幅広い。
興信ダイは高級魚に入る。

9月の旬【野菜】

【人参】
三寸・五寸ニンジンは夏、日本ニンジンは秋が旬。緑黄色野菜の代表選手といえ、カロチン・ビタミンAを多く含み、貧血や疲れやすい人の体力増強に効果がある。
調理法では、体内にビタミンAの効力になるカロチンの有効度は生だと1割程度だが、煮れば3割、油で調理すると5~6割となり、油と一緒に食べるのがよい。また、ビタミンCを破壊する酵素を持つので、ビタミンCを持つ大根などの野菜と一緒に調理する時は、酢かレモン汁を加え、早目に食べると損失が少なくてすむ。

【芋茎(ずいき)】
里芋の茎、葉がらをズイキという。ザクザクした歯ごたえに人気が高い。近畿方面では干したものを割菜といい、熱湯でもどしてから使う。旬は9月頃。大半が水分だが、産後の体力回復に効くという。サッと茹でて、胡麻酢、くるみ酢などで和えて食べる。

【しめじ】
香り松茸、味シメジといわれるように味のよいキノコである。しかし、市販されている人工栽培のシメジは、栽培平茸の場合が多い。かさが壊れやすいので、加熱調理する時は中火以下の火力で。

【里芋】
1年中出回っているが、8月~9月が旬。生のズイキの旬は9月。5~6時間以上水に漬けたものは、芽の表面がかたくなり、柔らかくなりにくいので注意する。里芋のぬめりには体内に入ると解毒作用を持つ栄養素が含まれ、胃壁や腸壁の潰瘍を防止し、内臓を強化するほか、老化防止作用を持つ唾液線ホルモンの分泌を促す効果がある。

【初茸】
他のキノコに先駆けて里に近い松林などにできる。直径5~6センチのかさの中央にくぼみ、上向きに開いたように見える。シメジに次いで味がよく、吸い物、炊きこみ御飯、煮物などに好適。

【蓮根】
レンコンは蓮の地下茎で、8月下旬~9月にかけてが収穫の最盛期。レンコンの切り口がすぐに黒ずんでくるのは、鉄分とタンニンが酸化するためで、茹でるとき酢を落とすと白くきれいに仕上げることができる。

9月の旬【果物】

【石榴(ざくろ)】
旬は秋。ビタミンCを多く含む果実である。果肉は甘酸っぱいが、日本産は欧米産のものより酸味が強いのが特徴。皮が割れ、果肉が見えるくらいのものが食べ頃。
生で食べるほか、果汁でシロップを作ることもできる。

【梨】
日本梨は盛夏から出回り、新水、幸水、豊水、長十郎、二十世紀、新高と品種を変えて翌年1月頃まで出回る。最近では、甘みの強さと果汁の多さで長十郎をしのぐ、三水といわれる幸水、新水、豊水の人気が高い。西洋梨では、ラ・フランスが西洋梨の中でも最もおいしいといわれている。

【無花果(いちじく)】
夏果は6月~7月、秋果は8月~10月に出回る。イチジクは薬用効果として整腸作用、血圧降下、健胃、滋養、消化の促進などに効き目があり、二日酔いにも効き目がある。

コメント