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【時代別】日本の過去の主な地震一覧 – 古墳時代~平成まで

【時代別】日本の過去の主な地震一覧 - 古墳時代~平成まで 一覧
【時代別】日本の過去の主な地震一覧 - 古墳時代~平成まで
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記録に残っている日本の主な地震を地震一覧にまとめました。最も古いものは『日本書紀』に記されている416年に起きた地震で、これが歴史上最古の地震に関する資料とされています。 この記述は古墳時代のものですが、当然それ以前にも地震、津波、噴火などの災害が起きていたことは調査や研究によりわかっています。

ここでは、資料にある最古の地震から現代の地震までのうち主なものを年代/時代、震源・被害とともにまとめました。

 

日本の過去の主な地震一覧

  1. 古墳時代
    1. 允恭地震(いんぎょうじしん)
  2. 飛鳥時代
    1. 推古地震(すいこじしん)
    2. 白鳳地震(南海地震)
  3. 平安時代
    1. 貞観三陸地震
    2. 出雲地震
    3. 仁和地震(南海地震)
    4. 万寿地震
    5. 永長地震(東海地震)
    6. 康和地震(南海地震)
  4. 鎌倉時代
    1. 鎌倉大地震
  5. 室町時代
    1. 康安地震(南海地震)
    2. 明応地震(東南海・東海地震)
  6. 戦国時代 安土桃山時代
    1. 天正大地震
    2. 慶長伊予・豊後・伏見地震
      1. 慶長伊予地震(慶長伊予国地震)
      2.  慶長豊後地震(大分地震)
      3. 慶長伏見地震(慶長伏見大地震)
  7. 江戸時代
    1. 慶長地震
    2. 会津地震
    3. 慶長三陸地震
    4. 寛文近江・若狭地震(かんぶんおうみ・わかさじしん)
    5. 元禄地震(元禄関東地震)
    6. 宝永地震(東海・南海・東南海連動型地震)
    7. 寛保津波
    8. 高田地震/越後・越中地震
    9. 津軽地震
    10. 八重山地震(明和の大津波)
    11. 越後三条地震
    12. 十勝沖地震
    13. 善光寺地震
    14. 伊賀上野地震(伊賀・伊勢・大和地震)
    15. 安政東海地震(東海・東南海地震)
    16. 安政南海地震
    17. 安政江戸地震
  8. 明治時代
    1. 濃尾地震
    2. 明治三陸地震
  9. 大正時代
    1. 大正関東地震(関東大震災)
  10. 昭和時代
    1. 昭和三陸地震
    2. 昭和東南海地震 – 三重県沖
    3. 三河地震
    4. 昭和南海地震 – 和歌山県沖~四国沖
    5. 福井地震
    6. 十勝沖地震
    7. 兵庫県南部地震(阪神大震災)
    8. 十勝沖地震
    9. 東日本大震災
  11. 【時代別】日本の過去の主な地震一覧 – 古墳時代~平成まで まとめ
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古墳時代

 

允恭地震(いんぎょうじしん)

416年

歴史に現れた最初の地震の記述で、「日本書記」に「地震」とある。

被害の記述はないが、わが国の歴史に現れた最初の地震の資料である。

震源:遠飛鳥宮付近(近畿地方中部)

規模:不明

 

飛鳥時代

 

推古地震(すいこじしん)

599年(33代推古天皇7年)

家屋倒壊。 記録に残る日本初の震災。

震源:大和国
規模:M7

 

白鳳地震(南海地震)

684年11月29日(40代天武天皇13年)10月

日本最古の津波記録。 死者多数。
土佐で大きな津波被害。ほぼ同時期に東南海・東海地震も発生。

土佐で津波により大きな被害。田園(約12km²)が海面下へ沈下。
山崩れで洪水。諸国の郡官舎、百姓の倉屋、寺塔、神社の多く破壊される。
津波で土佐の田苑50余万が海没。

震源:南海・東海道
規模:
M8.0-8.3

 

平安時代

貞観三陸地震

869年7月9日(貞観11年5月26日夜)

貞観津波の被害で死者約1,000人。
多賀城損壊。城下に大津波が押し寄せ1000余人が死亡。
圧死者あり。また地面の裂け目に埋没する者もあり。

震源:岩手県沖〜福島県沖、または茨城県沖の連動型超巨大地震の可能性も指摘される
規模:M8.3-8.6

 

出雲地震

880(元慶4)年 10月14日

神社、仏寺、官舎、百姓居濾の多くが倒壊。負傷者多数。余震相次ぐ。津波等の被害あり。

震源:東出雲町
規模:M7.0

 

仁和地震(南海地震)

887年8月26日

京都・摂津で死者多数。津波あり。ほぼ同時期に東南海・東海地震も発生。

震源:三陸沖
規模:M8.0~8.5

 

万寿地震

1023年(万寿3年)

平安時代に山陰地方石見国で発生したと伝わる地震、大津波である。万寿の大津波(まんじゅのおおつなみ)とも呼ばれる。津波の規模は10-20m程度と推定。石見沖の鴨島が海嘯で海没する。

益田市高津川河口にあった鴨島・鍋島・拍島の陥没および石見の海岸地域の隆起・沈降などの地変が起こり,高津川・益田川下流域および江川下流域に大津波が襲来して大被害を与えた。

震源:益田沖であろうと推定されている。
規模:M7.6

 

永長地震(東海地震)

1096年12月17日(嘉保3年11月24日)

死者1万人以上。伊勢・駿河で津波による大きな被害。東大寺の鐘が落下。

震源:東海・東南海地震
規模:M 8〜8.5

 

康和地震(南海地震)

1099年2月22日(承徳3年1月24日)

死者数万。土佐で津波により大きな被害。興福寺の大門、回廊が転倒、塔が破損、西金堂が少破した、天王寺も被害。

震源:南海トラフ
規模:M 8〜8.5

 

鎌倉時代

 

鎌倉大地震

1293年5月20日(正応6年4月13日)

死者2万3,000人あまり、余震多発。永仁の関東地震、鎌倉強震地震、永仁鎌倉地震、建長寺地震などさまざまな名で呼ばれている。

震源:鎌倉周辺
規模:M 7.1

 

室町時代

 

康安地震(南海地震)

1361年8月3日(正平16年、康安元年6月24日)

室町時代前期(南北朝時代)に発生した南海トラフ沿いの巨大地震と推定される。

死者多数。摂津・阿波・土佐で津波により大きな被害。摂津四天王寺の金堂、奈良唐招提寺、薬師寺、山城東寺など堂塔が破損、倒壊した。

震源:東海・東南海・南海地震連動説有
規模:
M 8 1〜8.5

 

明応地震(東南海・東海地震)

1498年9月20日 (明応7年8月25日)

死者3万~4万人以上。伊勢・駿河で津波により大きな被害。浜名湖が海と繋がる。鎌倉高徳院の大仏殿が押し流される。浜名湖が海と繋がる。地質調査によればほぼ同時期に南海地震も発生。

震源:南海トラフ
規模:M 8.2〜8.4

 

戦国時代 安土桃山時代

 

天正大地震

1586年1月18日(天正13年11月29日)

死者多数。飛騨・越中などで山崩れ多発、白川郷で民家数百軒が埋まる。

越中、加賀、越前、飛騨、美濃、尾張、伊勢、近江、若狭、山城、大和に相当する地域にまたがって甚大な被害を及ぼしたと伝えられる。

震源:不明
規模:M 7.8〜8.1

 

慶長伊予・豊後・伏見地震

1596年9月5日 慶長伊予・豊後・伏見地震 – M7.0~7.1、京都や堺で死者合計1,000人以上

以下の3つは連動型地震の可能性がある。

慶長伊予地震(慶長伊予国地震)

1596年9月1日(文禄5年閏7月9日)

寺社倒壊等。同年同月に発生した一連の内陸地震のさきがけとなる。

規模:M 7.0

 慶長豊後地震(大分地震)

1596年9月4日(文禄5年閏7月12日)

死者710人、地震によって瓜生島と久光島の2つの島が沈んだとされている。

規模:M 7.0〜7.8

慶長伏見地震(慶長伏見大地震)

1596年9月5日(文禄5年閏7月13日)

京都や堺で死者合計1,000人以上。伏見城の天守閣や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。

規模:M 7.0〜7.1

 

江戸時代

慶長地震

1605年2月3日(慶長9年12月16日)

関東から九州までの太平洋岸に津波発生。津波被害による溺死者は約5,000人(1万人という説もある)。地震による陸地の揺れが小さいのが特徴。

震源:駿河湾から徳島沖まで伸びる南海トラフ
規模:M7.9~8

 

会津地震

1611年9月27日  – M 6.9、死者3,700人。

江戸時代初期1611年に福島県の会津地方を襲った直下型地震。震源が浅かったため局地的には震度6強から7に相当する激しい揺れがあったとされる。記録によれば、家屋の被害は会津一円に及び倒壊家屋は2万戸余り、死者は3,700人に上る。

震源:会津盆地西縁断層帯付近
規模:6.9

 

慶長三陸地震

1611年12月2日

現在の青森県、岩手県、宮城県を襲った地震。三陸海岸一帯は強震に見舞われたが、太平洋側沿岸における震度は4 – 5程度と推定され、地震による被害はほとんどなく、津波による被害が大きかった。

死者約2,000~5,000人。田老や大船渡で最高20m前後の高さであったと推定されている。

震源:三陸沖と推定される
規模:M 8.1、

 

寛文近江・若狭地震(かんぶんおうみ・わかさじしん)

1662年6月16日

近畿地方北部を中心に発生した大地震で、2つの地震が連続して発生した地震と考えられている。被害の全体では死者880余、潰家約4,500とされる。近江・山城地震ともいわれる。

震源:琵琶湖西岸付近と推定
規模: 8.1と推定

 

 

元禄地震(元禄関東地震)

1703年12月31日

相模灘から房総半島では津波の被害も発生し、熱海では7m程度の高さと推定される津波が押し寄せ、500戸ほどあった人家のほとんどが流出し、残ったのはわずか10戸程度であったという。死者5,200人。

震源:房総半島南端にあたる千葉県の野島崎と推定
規模:M8.1

 

宝永地震(東海・南海・東南海連動型地震)

1707年10月28日

地震の49日後に起きた宝永大噴火と共に亥の大変(いのたいへん)と呼ばれる。
安倍川上流の大谷崩はこの地震で大規模に崩壊し、富士川も山崩れのため堰き止められた
家屋倒壊は駿河から土佐まで著しく、被害は出雲、越前、信濃など五畿七道に及ぶ。死者2,800~2万人以上。

現在までにおける歴史上最後の富士山の噴火となっている。

震源:遠州灘沖から紀伊半島沖
規模:M8.4~8.7

 

寛保津波

1741年8月28日

北海道西南沖の大島で火山性地震。死者2,033人。大津波発生。

震源:北海道西南沖の大島
規模:M 6.9

 

高田地震/越後・越中地震

1751年5月21日

死者1,541人。高田で火災などが発生。

震源:
規模: M 7.0~7.4

 

津軽地震

1766年3月8日

弘前城損壊など。死者約1,500人。津波が千葉県の銚子に届いたとの記録あり。

震源:
規模: M 6.9

 

八重山地震(明和の大津波)

1771年4月24日

死者約12,000人、家屋流失2,000戸以上。
安房まで津波の到達と記録あり。
石垣島での津波の最大波高は40メートル、最大遡上高は宮良村の85.4メートルとも言われており、日本最高の遡上記録とされる

震源:八重山列島近海
規模:M 7.4~8.0、

 

越後三条地震

1828年12月18日

現在の新潟県三条市、燕市、見附市などで、現在の震度7相当の揺れがあったと推定されている。「越後三条地震」または「文政三条地震」とも呼ばれる。全潰12,859軒、半潰8,275軒、焼失1,204軒、死者1,559人、けが人2,666人。

震源:三条市芹山付近
規模:M 6.9

 

十勝沖地震

1843年4月25日

厚岸国泰寺で石灯籠・石仏等が倒散、庭の所々で地割れが生じた。津波は厚岸で4~5mに達し、対岸の番屋、家屋が流失。津波により、厚岸などで45名が死亡した。

震源:十勝地方の沖合
規模: M 8.0、死者46人。

 

善光寺地震

1847年5月8日

山崩れと洪水により死者約1万~1万3,000人。

震源:現在の飯山市常郷付近から長野市大岡にかけての約60km~50kmと推定
規模:M 7.4

 

伊賀上野地震(伊賀・伊勢・大和地震)

1854年7月9日

伊賀上野付近での死者が約600・家屋倒壊2000余と推定。

震源:
規模: M 7.2

 

安政東海地震(東海・東南海地震)

1854年12月23日

被害は関東地方から近畿地方におよび、沼津から伊勢湾岸沿い、特に箱根から見附あたりの東海道筋で家屋倒壊・焼失が著しく、また、甲府盆地も被害が甚大であった。家屋の倒壊は甲斐・信濃・近江・摂津・越前・加賀までおよぶ。死者2,000~3,000人。房総半島から四国に津波発生。

震源:東海道沖
規模:M8.4、

 

安政南海地震

1854年12月24日

激しい津波が襲来し、波高は串本で15m、土佐久礼で16.1m、室戸3.3m、宍喰5-6m、土佐種崎で11mに達した。

死者1,000~3,000人。紀伊・土佐に津波で大きな被害

震源:紀伊半島から四国沖
規模:M8.4

 

安政江戸地震

1855年11月11日

被災したのは江戸を中心とする関東平野南部の狭い地域に限られたが、大都市江戸の被害は甚大であった。
幕府による公式調査での死者数は4741人、倒壊家屋14346戸とされている。

震源:東京湾北部・荒川河口付近、または千葉北西部
規模:M6.9

 

 

明治時代

 

濃尾地震

1891年10月28日

明治時代では最大規模の地震であり、日本史上最大の内陸地殻内地震。「美濃・尾張地震(みの・おわりじしん)」とも呼ばれている。辛卯の年に発生したことから辛卯震災と呼んでいる報告書もある。死者は7273名、負傷者17175名、全壊家屋は14万2177戸を数えた。

震源:岐阜県本巣郡西根尾村(現・本巣市)
規模: M 8.0、死者

 

明治三陸地震

1896年6月15日

死者・行方不明者合計:2万1959人(北海道:6人、青森県:343人、岩手県:1万8158人、宮城県:3452人)。各地の震度は2- 3程度であり、緩やかな長く続く震動であった。震による直接的な被害はほとんどなかったが、大津波が発生し、甚大な被害をもたらした。

震源:三陸沖
規模:M8.2~8.5、死者・行方不明者2万1,959人。
【当時の日本の人口:4200万人】

 

 

大正時代

 

大正関東地震(関東大震災)

1923年9月1日

関東大震災を引き起こしたことで知られる。

被害状況から、小田原など相模湾岸および房総半島南部で震度7に達したと推定されている。東京においても、砂町や羽田などの東京湾沿岸や三河島など内陸で震度7に達したと推定されている。地震の数分後、太平洋沿岸地域から伊豆諸島にかけて津波が襲った。

死者・行方不明者10万5,385人

震源:関東地方南部
規模: M7.9

 

 

昭和時代

 

昭和三陸地震

1933年3月3日

地震規模に比べて揺れによる直接の被害は少なかったが、地殻変動によって発生した大津波が襲来し、被害は甚大となった。負傷者1万2053名、家屋全壊7009戸、流出4885戸、浸水4147戸、焼失294戸に及んだ。死者・行方不明者3,064人。行方不明者が多かったのは、津波の引き波により海中にさらわれた人が多かったため。

震源:岩手県上閉伊郡釜石町(現・釜石市)の東方沖約 200 km
規模: M 8.1、大津波発生、

 

昭和東南海地震 – 三重県沖

1944年12月7日

地震による家屋の倒壊、地震直後に発生した津波により、三重県、愛知県、静岡県を中心に、推定1223名の死者・行方不明者を出した。太平洋戦争中でもあり、戸籍などの謄本が津波により消失しているため現在でも正確な実数は把握できない。

震源:愛知県三河湾南沖から、和歌山県串本町の南東沖に至る南海トラフと平行した線上の地域
規模:M7.9

 

三河地震

1945年1月13日

三重県津市で震度5を記録したが、震源に近い現在の西尾市などでは震度6(現在の震度階級では7)であったといわれる。死者1,180人、行方不明者1,126人、負傷者3,866人。家屋の全壊は7,221戸、半壊1万6,555戸、全焼2戸、半焼3戸、その他2万4,311戸とされる。

震源:三河湾
規模:M 6.8

 

昭和南海地震 – 和歌山県沖~四国沖

1946年12月21日

中央気象台(現・気象庁)の管轄する測候所で観測された各地の震度は最大5(強震)であり、その範囲は四国をはじめ、紀伊半島・東海地方・北陸・境港・大分などと広い範囲に及んだ。南西日本一帯では地震動、津波による甚大な被害が発生した。

被害は中部以西の日本各地にわたり、高知県・徳島県・和歌山県を中心に死者・不明者1330名(高知県679名、和歌山県269名、徳島県211名)、不明者 113名、家屋全壊11591戸、半壊23487戸、流失1451戸、焼失2598戸。津波が静岡県より九州にいたる海岸に来襲し、高知・三重・徳島沿岸で 4 – 6 m に達した。

震源:潮岬南方沖
規模:M8.0

 

福井地震

1948年6月28日

戦後復興間もない福井市を直撃した都市直下型地震。大正関東地震(関東大震災)、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)などと並ぶ、日本の災害史上最悪クラスの震災となった。死者・行方不明者3,769人

震源:福井県坂井郡丸岡町(現坂井市丸岡町)付近
規模: M 7.1

 

十勝沖地震

1952年3月4日

北海道から東北北部で揺れや津波などの被害があり、28人が死亡、5人が行方不明、287人が重軽傷を負った。また、家屋被害は、全壊815棟、半壊1324棟、一部損壊6395棟、流失91棟、浸水328棟、焼失20棟、非住家被害1621棟であった。北海道東部の厚岸郡浜中町の中心部霧多布地区では津波により家屋が大多数流出し壊滅した。

震源:北海道襟裳岬東方沖約50km
規模: M 8.2、死者・行方不明者33人。北海道から東北に津波

 

兵庫県南部地震(阪神大震災)

1995年1月17日

兵庫県南部を中心に大きな被害と発生当時戦後最多となる死者を出す阪神・淡路大震災を引き起こした。日本で初めて大都市直下を震源とする大地震で、気象庁の震度階級に震度7が導入されてから初めて最大震度7が記録された地震である。

死者は発生当時戦後最多となる6,434人、行方不明者は3人、負傷者は43,792人に上り、689,776棟の建物が被害を受け、被害総額は約10兆円に達した。

震源:野島断層(六甲・淡路島断層帯の一部)付近
規模: M7.3

 

十勝沖地震

2003年9月26日

北海道から東北地方の太平洋沿岸に津波が襲来し、最高で2m55cm(北海道豊頃町・大津で記録)に達した。十勝川などでは、津波が川を10km以上も逆流する現象も発生した。北海道を中心に負傷者849人、住宅の全壊116棟、半壊368棟、一部破損1,580棟、床下浸水9棟の被害が出た。

震源:北海道襟裳岬東南東沖80km
規模:M8.0、北海道で最大震度 6弱、死者2人

 

 

東日本大震災

2011年3月11日

発生時点において日本周辺における観測史上最大の地震である。この地震により、場所によっては波高10m以上、最大遡上高40.1mにも上る巨大な津波が発生し、東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害が発生した。

2018年(平成30年)3月9日時点で、震災による死者・行方不明者は1万8,434人、建築物の全壊・半壊は合わせて40万2,699戸が公式に確認されている。

地震から約1時間後に遡上高14 – 15mの津波に襲われた東京電力福島第一原子力発電所は、1-5号機で全交流電源を喪失。原子炉を冷却できなくなり、1号炉・2号炉・3号炉で炉心溶融(メルトダウン)が発生。大量の放射性物質の漏洩を伴う重大な原子力事故に発展した。この事故は国際原子力事象評価尺度で最悪のレベル7、チェルノブイリ原子力発電所事故と同等に位置付けられている。

震源:宮城県牡鹿半島の東南東沖130km
規模:9.0

【時代別】日本の過去の主な地震一覧 – 古墳時代~平成まで まとめ

以上、古代から現代までの主な地震をまとめました。 古代の地震もしっかり資料として残っているのが驚きです。古代では、地震の後に災害が起きないよう神を祀ったりしていたようですが、地震の多い国ですので、古代の人達も知恵をしぼって、対策を重ねていたのではないかと思います。 現代でもいつ起こるかわからない地震に備えて準備しておきたいですね。

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