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東京裁判の被告人《前歴・刑・人数・A級戦犯》一覧|極東国際軍事裁判

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東京裁判の被告人《前歴・刑・人数・A級戦犯》一覧|極東国際軍事裁判 一覧
東京裁判の被告人《前歴・刑・人数・A級戦犯》一覧|極東国際軍事裁判
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東京裁判(とうきょうさいばん)とは、第二次世界大戦で日本が降伏した後、連合国が「戦争犯罪人」として指定した日本の指導者などを裁いた一審制の軍事裁判のことです。

1946年(昭和21年)5月3日から1948年(昭和23年)11月12日にかけて行われました。

正式名称は、極東国際軍事裁判(きょくとうこくさいぐんじさいばん、英語: The International Military Tribunal for the Far East)と言います。

 

この裁判は連合国によって東京に設置された極東国際軍事法廷により、東条英機元首相を始めとする、日本の指導者28名を対象に行われ、以下の3つの容疑で裁いたものです。

平和に対する罪(A級犯罪)
通常の戦争犯罪(B級犯罪)
人道に対する罪(C級犯罪)

「平和に対する罪」で有罪になった被告人は23名
通常の戦争犯罪行為で有罪になった被告人は7名
人道に対する罪で起訴された被告人はいません。

 

A級戦犯28人、B、C級戦犯5400人余が起訴されました。

A級戦犯
東条英機、土肥原賢二、武藤章、松井石根、広田弘毅、板垣征四郎、木村兵太郎、荒木貞夫、梅津美治郎、大川周明、大島浩、岡敬純、賀屋興宣、木戸幸一、小磯国昭、佐藤賢了、重光葵、嶋田繁太郎、白鳥敏夫、鈴木貞一、東郷茂徳、永野修身、橋本欣五郎、畑俊六、平沼騏一郎、星野直樹、松岡洋右、南次郎

うち死刑判決をうけたのは、土肥原賢二・松井石根・東条英機・武藤章・板垣征四郎・広田弘毅・木村兵太郎の7人となっています。

 

裁判中に病死した2名と病気によって免訴された1名を除く25名が有罪判決を受け、うち7名が死刑となりました。

ここでは、被告人となった28名の前歴と刑を一覧で紹介していきます。

 

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東京裁判

 

 被告人 主要前歴
1 東条英機 絞首刑
1948年12月23日 死刑執行
陸軍大将、陸相、内相、首相、参謀総長
2 広田弘毅 絞首刑
1948年12月23日 死刑執行
駐ソ大使、外相、首相
3 土肥原賢二 絞首刑
1948年12月23日 死刑執行
陸軍大将、在満特務機関長、航空総監
4 板垣征四郎 絞首刑
1948年12月23日 死刑執行
陸軍大将、支那派遣軍参謀長、陸相
5 木村兵太郎 絞首刑
1948年12月23日 死刑執行
陸軍大将、陸軍次官、ビルマ派遣軍司令官
6 松井石根 絞首刑
1948年12月23日 死刑執行
陸軍大将、上海派遣軍司令官
7 武藤 章 絞首刑
1948年12月23日 死刑執行
陸軍中将、陸軍省軍務局長
8 木戸幸一 終身禁錮
1953年 釈放
文相、内相、厚相、内大臣
9 平沼騏一郎 終身禁錮
1952年6月 獄中死
首相、枢密院議長、国本社会長
10 賀屋興宣 終身禁錮
1955年9月 釈放、衆議院議員
蔵相
11 嶋田繁太郎 終身禁錮
1955年4月 釈放
海軍大将、海相、軍令部総長
12 白鳥敏夫 終身禁錮
1949年6月 獄中死
駐伊大使
13 大島 浩 終身禁錮
1955年10月 釈放
陸軍中将、駐独大使
14 荒木貞夫 終身禁錮
1954年5月 釈放
陸軍大将、陸相、文相
15 星野直樹 終身禁錮
1955年12月 釈放
満州国総務長官、内閣書記官長
16 小磯国昭 終身禁錮
1950年11月 獄中死
陸軍大将、朝鮮総督、拓相、首相
17 畑 俊六 終身禁錮
1954年5月 釈放、
元帥、陸相、支那派遣軍総司令官
18 梅津美治郎 終身禁錮
1954年1月 獄中死
陸軍大将、関東軍司令官、参謀総長
19 南 次郎 終身禁錮
1955年4月 獄中死
陸軍大将、陸相、朝鮮総督
20 鈴木貞一 終身禁錮
1956年 釈放
陸軍中将、企画院総裁
21 佐藤賢了 終身禁錮
1956年3月 釈放、東急管財社長
陸軍中将、陸軍省軍務局長
22 橋本欣五郎 終身禁錮
1955年9月 釈放
陸軍大佐、赤誠会総領
23 岡 敬純 終身禁錮
1954年10月 釈放
海軍中将、海軍省軍務局長、海軍次官
24 東郷茂徳 禁固20年
1950年7月 獄中死
駐独・駐ソ大使、外相
25 重光 葵 禁固7年
1950年11月 釈放、外相
駐英・駐華大使、外相
松岡洋右 1946年7月27日 病死 満鉄総裁、内閣参議、外相
永野修身 1947年1月5日 病死 元帥、海相、連合艦隊長官、軍令部総長
大川周明 1947年4月9日 精神鑑定により裁判除外 行地社社長

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