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『三人兄弟の医者と北守将軍』【全文】宮沢 賢治 名作童話作品集 全99話

『三人兄弟の医者と北守将軍』【全文】宮沢 賢治 名作童話作品集 全99話 読み物
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三人兄弟の医者と北守将軍[韻文形]

 

   一、プランペラポラン将軍

ある日の丁度ひるころだった
グレッシャムの町の北の方から
「ピーピーピピーピ、ピーピーピ」
大へんあわれな たくさんの
チャルメラの音が聞こえて来た。
その間には
「タンパララタ、タンパララタ、ペタンペタンペタン。」
という豆太鼓の音もする。
だんだんそれが近づいて
馬の足音や鎧の気配
とうとう町の壁の上から
ひらひらする三角の旗や
かがやくほこがのぞき出す。
北の城門の番兵や
そこいら辺の人たちは
敵が押し寄せて来たと思って
まるでどきどきやりながら
銃眼から外をのぞいて見た。
壁の外には沙漠まで
まるで雲霞の軍勢だ。
みんな不思議に灰いろや
鼠がかってもさもさして
天まで続いているようだ。
するどい眼をしてひげのまっ白な
せなかのまがった大将が
馬に乗って先頭に立ち
剣を抜いて高く歌っている
「北守将軍のプランペラポラン
 いま塞外のくらい谷から、
 やっとのことで戻って来た。

 勇ましい凱旋だと云いたいのだが
 実はすっかり 参って来たのだ
 とにかくあそこは寒い処だよ。

 三十年という黄いろなむかし
 おれは百万の軍勢をひきい
 チャルメラを朝風に吹いて出かけた。

 それからどうだ一日も太陽を見ない
 霧とみぞれがじめじめと降り
 雁まで脚気でたびたび落ちた。

 おれはその間 馬で馳けどおし
 馬がつかれてたびたびぺたんと座り
 涙をためてじっとおれを見たもんだ。

 その度ごとにおれは鎧のかくしから
 上等の朝鮮人蔘をとり出して
 馬に喰べさせては元気をつけた。

 その馬も今では三十五歳
 四里かけるにも四時間かかる
 それからおれはもう七十だ。

 とても帰らないと思っていたが
 ありがたや敵が残らず腐って死んだ。
 今年の夏はずいぶん湿気が多かったでな

 おまけに腐る病気の種子は
 こっちが持って行ったのだ
 そうして見ればどうだやっぱり凱旋だろう。

 殊にも一ついいことは
 百万人も出かけたものが
 九十九万人まで戻って来た。

 死んだ一万人はかなり気の毒だが
 それはいくさに行かなくても死んだろうぜ、
 そうして見るとどうだ、やっぱり凱旋だろう。

 そこでグレッシャムの人々よ
 北守将軍プランペラポランが帰ったのだ
 歓迎してもいいではないか。」
するとお城の壁のなかは
俄かにどうっと沸きたった。
「万歳、万歳、
 早く王さまへお知らせしろ。」
「帰って来た 帰って来た
 ありがたい。
 せがれも無事に相違ない、」
「門をひらけ ひらけ
 北守将軍の凱旋だ。」
番兵たちは灰いろの
厚い城門の扉を開く。
外の兵隊たちもざわっとする。
灰いろになったプランペラポラン将軍が
わざと顔をしかめながら
しずかに馬のたづなをとって
まっすぐを向いて先登に立ち
それからチャルメラ豆太鼓
ぎらぎらのほこ三角の旗
軍勢は楽隊の音に合せて
足なみをそろえ軍歌をうたい
門から町へ入って来た。
「タンパララタ、タンパララタ、ぺタン、ペタン、ペタン、
  月はまっくろだ、
  雁は高く飛ぶ
  やつらは遠く遁げる。
  追いかけようとして
  馬の首を叩けば
  雪が一杯に降る。

 タンパララタ、タンパララタ、ペタンペタンペタン、
  北の七つ星
  息もとまるばかり
  冷えは落ちて来る
  斯うしては居られないと
  太刀のつかをとれば
  手はすぐこごえつく。

 タンパララタ タンパララタ ペタンペタンペタン、
  雪がぷんぷんと降る
  雁のみちができて
  そこがあかるいだけだ、
  こごえた砂が飛び
  ひょろひょろのよもぎが
  みんなねこぎにされる。

 タンパララタ、タンパララタ ペタンペタンペタン。」
みんなはみちの両側に
垣になってぞろっとならび
北から帰った軍勢を
大悦びで迎えたのだ。
「ああプランペラポラン将軍は
 すっかり見ちがえるようおなりだ。
 おからだいっぱい灰いろだ。
 兵隊たちもみなそうだ。
 頭も肩ももじゃもじゃだ。
 どんなに難義しただろう。」
プランペラポラン将軍が
顔をしかめて軍楽と
歓呼の声とのただ中を
一町ばかり馬を泳がせたとき
向うの王宮の方角から
まっ赤な旗がひらひらして
たしか大臣がやって来る。
これは王からの迎いなのだ。
プランペラポラン将軍は
ひたいに高く手をかざし
よくよくそれを見きわめて
それから俄かに一礼し
急いで馬を降りようとした。
ところが馬を降りられない。
もう将軍の両足は
堅く堅く馬の鞍につき
鞍は又堅く馬の背中の皮に
くっついていてはなれない。
プランペラポラン将軍は
すっかりあわてて赤くなり
口をびくびく横に曲げ
一生けん命馬を下りようとするのだが
ますますそれができなかった。
ああ、こいつは実に将軍が
三十年も北の方の国境の
深い暗い谷の底で
重いつとめを肩に負い
一度も馬を下りないため
将軍の足やズボンが
すっかり鞍と結合し
鞍は又馬と結合し
全くひとつになったのだ。
おまけにあんまり永い間
じめじめな処に居たもんだから
将軍の顔や手からは
灰いろの猿をがせが
いっぱいに生えてしまったのだ。
尤もこのさるをがせには
九十九万人みなかかっていた。
王の迎いの大臣が
だんだん近くやって来て
もう先頭の赤い上着の
警部の顔も見え出した。
「将軍、馬を下りなさい。
 王様からのお迎いです。
 将軍 馬を下りなさい。」
「はい、ただ今。」
将軍はまた手をバタバタしたけれど
もうどうしても下りられない。
ところが迎いの大臣は
まるで鮒のような近眼だ
将軍が馬を下りないで
しきりにばたばたしてるのを
わざと馬から下りないで
手を振ってみんなに何か
命令してると考えた。
「謀叛だな。よし
 さあ 遁げろ、いや引きあげろ。」
大臣は高く叫んだ。
そこで大臣の一行は
くるっと馬を立て直し
黄いろな塵をあげながら
一目散に王宮の方に戻って行く。
プランペラポラン将軍は
馬を停めてため息をつき
しばらくそれを見送って
それから俄かに振り返り
一寸あごを突き出して
参謀長を呼び寄せた。
「おまえはどうか
 鎧や兜をすっかり脱ぎ
 早く王様のとこへ行って呉れ。
 プランペラポランは
 塞外の砂漠で
 三十年馬を下りなかったために
 とうとうからだが鞍に着き
 鞍が又馬とくっついて
 又顔や手にはさるをがせが
 一面に生えて どうしても
 このままお目通りに出られません。
 いますぐ医者にかかりまして
 それからお顔を拝します
 と、な、こう、行って云って呉れ。
 いいか。」
「はい。かしこまりました。」
参謀長は
まるですばやく鎧や兜を脱ぎ棄てて
同じく黄いろの塵をたて
一目散にかけて行く。
「全軍 休め、
 将軍プランペラポランは
 今一寸医者へ行って来る。
 全軍はその間
 全く音を立てないで
 静かにやすんで居て呉れい。
 わかったか。」
「わかりました、将軍。」
兵隊共は一ぺんに叫ぶ。
将軍は急いで馬に鞭をあてる。
たびたび朝鮮人蔘をたべて
その有名な馬はもう
まるで風のように飛ぶ。
そこで将軍は丁度十町行ったとき
大きな坂の下に来て
全体何という医者に
自分が行こうとしているか
考えないのに気がついた。
あわてて馬から斯う叫ぶ。
「おい、町中で
 一番いい医者は誰だ。」
町を歩いていた一人の学生が答えた。
「それはホトランカン先生です。」
「ホトランカンの病院はどこだ。」
「その坂の上であります、
 あの赤い三つの旗の中
 一番左の下であります。」
「よろしい、ふう、しゅう。」
将軍は馬に一鞭呉れて
一散に坂をかけあがる。
今返事した学生は
まだ将軍が誰かも知らず
「何だい、人に物をたずねて置いて
 よろしい、ふう、しゅうとは何だ。
 失敬な。智識のどろぼうめ
 実に失敬な野蛮なやつだ。」
斯う云ってひとり怒っていた。
さて将軍の馬の方は、
坂をうずうずのぼって行く
六七本の病気の木を、
けとばしたりはねとばしたり
みしみし枝を折ったりする。
それでも元来木のことだから
別段のけがもなかったのだ。
今や将軍は
まっすぐに坂をのぼり切って
一番左の赤い旗をめあてに
その門までやって来た。
なるほど門のはしらには
ホトランカン人間病院と
金看板がかけてある。

   二、ホトランカン人間病院

プランペラポラン将軍は
いまホトランカン病院の
練瓦の門を乗り切って
白い瀬戸の玄関をはいる。
病人がうようよしていたが
将軍は構わず馬のまま
どしどし廊下へのぼって行く。
さすがは名高い
ホトランカンの病院だ。
どの室の扉も窓も
高さが二丈ぐらいある。
馬でずんずん入れたのだ。
「診察室はどこだ、診察室はどこだ。」
将軍は高く叫ぶ。
「あなたは一体何ですか、
 馬のまま入って来るなんて、
 あんまり野蛮じゃありませんか。」
白い仕事着を着た助手が
馬のくつわを押えてしまう。
「お前がホトランカンなのか。
 早くおれの病気を診ろ。」
「いいえ、ホトランカン先生は
 この室の中に居られます。
 診察をお受けになりたいのなら
 まず馬から降りて戴きたい。」
「いいやこれが病気だ。
 早く診て貰いたい。」
「ははあ、馬から降りられない
 そいつは脚の硬直症だ。
 そんならよろしいです。
 そのままお入りなさい、さあ。」
助手は急いでドアを開けた。
プランペラポラン将軍は
馬のまま診察室にはいる。
中は病人でいっぱいだ。
向うにはホトランカンらしい
顔のまっ赤な肥った医者が
しきりに一人の病人を診る。
「おい、ホトランカン、
 早くおれを見て呉れ。」
ところがホトランカン先生は
見向きもしなけぁ動きもしない。
患者のせなかに耳をあてて
じっとからだの音を聴く。
助手が将軍を手で制めた。
「いいえ、診察は順番があります。
 番号札をあげましょう。
 あなたは九十六番で
 今が三十三番ですから
 もう六十三人お待ちなさい。」
「いけない。おれは北守将軍
 プランペラポラン大将だ。
 九十九万の兵隊を
 北の城門に置いてある。
 さあ今すぐに診察しろ。」
「いえ、いけません時間まで
 待つのがそんなにおいやなら
 どうかほかの病院へお出で下さい。」
「いいや、ならない。診ないなら
 もう医者もくそもあるもんか、
 ただ一息にけちらすぞ。
 それ、いいか。しっ。」
将軍はもう鞭をあげ
馬もたしかにはねあがり
病人どもはうろたえる。
ところがホトランカン先生は
まるでびくともしていない、
こっちを見ようともしない、
助手も全くその通り
馬のくつわをにぎったまま
左手で白いはんけちを
チョッキのポケットから出して
馬の鼻さきをちょっとこする。
すると何か大へんな
薬がしかけてあったらしく
馬が大きくふうふうと
夢のような息をしたと思うと
俄かにぺたんと脚を折り
今度はごうごういびきをかいて
よだれも垂らして寝てしまう。
将軍はすっかりあわて
「あ、馬のやつ、又参った
 困った 困った、」と云いながら
急いで鎧のかくしから
一本の朝鮮人蔘を出し
からだを曲げて馬の上に
持って行ったが馬はもう
人蔘どこじゃないようだ。
「おい、起きんかい。
 あんまり情けないやつだ。
 あんなにひどく難義をして
 やっと都に帰って来ると
 すぐ気がゆるんで死ぬなんて
 あんまり情けないやつだ。
 おい、起きんかい、起きんかい。
 しっ、ふう、どう、おい、
 貴さまの大好きの朝鮮人蔘を
 ほんの一口たべんかい。おい。」
 将軍は倒れた馬のせなかで
 ひとりぼろぼろ泪を流し
 とうとうしくりあげて言う。
「医者さん、どうぞたのみます。
 はやくこの馬を診て下さい。
 わたしも北の国境で
 三十年というものは
 ずいぶん兵隊や人民の
 衛生や外科にはつくしました。」
助手はだまって笑っていたが
ホトランカン先生は
この時俄かにこっちを向いて
まるで将軍の胸の奥や
馬の臓腑も見徹すような
するどい眼をしてしずかに云った。
「その馬の今倒れたのは
 けして病気ではありません。
 しかしあなたの北の方での
 医学に対する貢献に
 敬意を払って私は
 急病人だけ三人診たら、
 すぐにあなたをなおしましょう。
 おい、その馬を起してあげろ。」
助手は軽くはいと答え
馬の耳に口をあてて
ふっと一っつ息を吹く。
馬はがばっとはね起きて
将軍も俄かにせいが高くなる。
ホトランカン先生は
さっきからの病人を
やっと診察してしまい

〔この間原稿数枚なし〕

「発泡やめっ。」と号令する。
一人の助手はいなずまのよう
底の栓を抜いて飛び込んで
まっ青になって気絶している
病人を引っ張り出して来る。
「よろしい、別室で人工呼吸」
今度はいよいよ将軍だ。
「今度はあなた、
 どうかこちらへお出で下さい。」
プランペラポラン将軍は
なるべくしずかに馬を出す。
ホトランカン先生は
まず将軍の眼を見つめる。
「あなたは向うで狐などに
 だまされたことがありますか。」
「あります、いやどうも、
 向うの狐はいかんです。
 百万近い軍勢を
 ただ一ぺんに欺します。
 夜に沢山火を出したり
 昼間いきなり谷の上に
 大きな城をこさえたり
 全くたちが悪いです。」
「ふんふん、一ぺん欺されるのに
 何日ぐらいかかります。」
「まあ四日です。
 十日のときもありますな。」
「それであなたは 全体で
 何べんぐらい欺されました。」
「さよう、まあごく少くて
 十九へんは欺されてるだろう、
 もっとも欺されたかどうか
 わからないのもあるでしょう。」
「ふんふん、そんならお尋ねします。
 百と百とを加えると
 答がいくらになりますか。」
「百八十だ。」
「ふん、ふん、二百と二百では。」
「さよう、三百六十だろう。」
「ふん、ふん、四百と四百では」
「七百二十に相違ない。」
「なるほど、すっかりわかりました。
 あなたは今でもまだ少し
 欺されておいでのようですよ。
 もっともほんの少しです。
 それじゃなおしてあげましょう。
 清洗用意。」助手がすぐ
ガラスの槽をもって来た。
ホトランカン先生は
それを受け取り台に置く
「ここへ頭をお出しなさい。」
プランペラポラン将軍は
馬の上から下にしゃがみ
頭を槽の上に出す。
「エーテル、それから噴霧器。」
すぐ両方がやって来る。
ホトランカン先生は
それをきっきと手で押して
将軍のしらが頭の上に
はげしく霧を注ぎかける。
プランペラポラン将軍の
鼻から雫がぽとぽと落ちて
ガラスの槽にたまって行く。
それははじめは黒かった。
それからだんだんうすくなり
とうとうすっかり無色になった。
「清洗やめっ。」
ホトランカン先生が
噴霧器をかたかたやるのをやめ
号令するとすぐ助手が
タオルで頭や顔を拭く。
将軍はぶるっと身ぶるいして
馬にきちんと起きあがる。
「どうです、せいせいしたでしょう。
 そこで百と百とをたすと
 答はいくらになりますか。」
「もちろんそれは二百だろう。」
将軍はさっきのことなどは
忘れたふうでけろりと云う。
「そんなら二百と二百では」
「それはもちろん四百だろう。」
「そんなら四百と四百では」
「もちろんそれは八百だ。」
「よろしい、すっかりなおりました。」
「いや、いや、私はこの馬と
 私を離してもらいに来た。」
「なるほど、それは、あなたの足と
 あなたのズボンとはなすのは
 すぐ私に出来るのです。
 もう離れている筈です。
 けれどもズボンがくらにつき
 くらが又馬につくことは
 私の責任ではありません。
 それはやっぱりズボンの医者
 又鞍の医者 馬の医者
 別々にかからなければなりません。
 ではご案内をさせますから。
 私の弟、となりの院長
 サラバアユウにおいでなさい。
 それにいったいこの馬も
 ひどい病気にかかっています。」
「そんならわしの顔から生えた
 さるをがせだけあなたの処で
 とって貰いたいもんですな。」
「それも私はもう見ました。
 けれどもそれも私は
 一寸手をつけかねますから、
 そちらの方は又別の
 植物の医者におかかりなさい。
 やはり私の弟で
 ペンクラアネイというものが
 となりのとなりに居ますから
 そこへも案内させましょう。」
「いや、そうですか、ありがとう
 そう云うことにねがいます。
 それではこれで、さようなら。」
「や、まことに失礼いたしました。
 おい、隣りへご案内してあげろ。」
一人の助手が将軍と
ならんで診察室を出る。
それからいぬしだの花の咲いた
五角の庭をよこぎって
厚いセメントの塀に来る。
小さな潜りがそこにある。
「いま裏門をあけさせます。」
助手は潜りを入って行く。
「いいや、それには及ばない。
 わしの馬はこんな塀ぐらい
 まるで何とも思わない。」
将軍は馬にむちをやる
「ばっ、ふゅう」馬は塀を超え
サラバアユウ先生の
けしの花壇をめちゃくちゃに
踏みつけながら立っていた。

    三、サラバアユウ馬病院

馬に乗ったプランペラポラン将軍と
青くなったホトランカン氏の助手とは
サラバアユウ馬病院の
けしの花壇をよこぎって
診察室の方へ行く。
もうあっちからもこっちからも
エヘンエヘンブルルル
エヒンエヒン フウという
馬の挨拶が聞えて来る。
診察室のセメントの
床に二人が立ったとき
もう三方から馬どもが
三十疋も飛んで来て
将軍の馬に挨拶する。
ホトランカン先生の助手は
すっかりいろをうしなって
「あの向うに居られるのが
 サラバアユウ先生です。」と云ったまま
一目散に遁げ帰る。
もうそのうちに将軍の
馬はほかの病気の馬と
すっかり挨拶をかわしていた。
そこで将軍は千疋も
集まっている馬の中を
とっとと自分の馬を進め
サラバアユウ氏の前に行く。
そのときバアユウ先生は
丁度一ぴきの首巻の
年老りの馬を診ていたのだ。
「せきは夜にも出ますかね。」
「どうも出ますよ、ごほん、ごほん。」
「ずいぶん胸が痛みますか。」
「イヒン、ヒン、ヒン、ヒン、ヒン、」
「ずいぶん胸が痛みますか。」
「イヒン、ヒン、ヒン、ヒン、ヒン。」
「どうです胸が痛みますか。」
「痛みます、ごほん、ごほん、ごほん。」
「たべものはおいしいですか。」
「イヒン、ヒン、ヒン、ヒン、ヒン。」

〔この間原稿一枚?なし〕

 馬医小学士院長サラバアユウ、
 あなたのご主人は何と云います。」
「フランドルテール、ごほんごほん。」
「フランドルテール殿と
 それでよろしい、封をして。
 ではこの手紙をお持ちなさい。
 もうよろしい、その次は。」
サラ先生はこっちを向き
肺癆の年老り馬は
お辞儀をして帰って行く。
将軍は急いで進み出る。
「ホトランカン先生から教わって
 裏門の方から参りましたじゃ
 どうかわしの馬を見て下さい。
 三十年暗い谷底に居て
 とうとうせなかの皮が鞍と
 くっついて離れなくなりましたじゃ。」
「ああ、兄のところからおいででしたか。
 このお方は三十六七ですね、
 少しリウマチにかかっています。
 それから鞍はすぐはなれます。
  おい、エーテル。」
助手がすぐエーテルの瓶を持って来る。
サラバアユウ先生は
手ばやくそれを受けとって
将軍の足にがぶがぶそそぐ。
するとにわかに将軍の
ずぼんは鞍とはなれたので
将軍はひどくはずみを喰って
どたりと馬から落とされた。
けれどもそれは待っていた
助手がすばやく受けとめて
きちんと床の上におろす。
サラバアユウ先生は
そんなことには頓着なく
今度は馬のせなかから
じわじわ鞍を引きはなす。
間もなく鞍はすぽっととれ
馬は見当がつかないらしく
四五へんせ中をゆすぶった。
「ええ、お馬の方は
 少しリウマチスなようですから
 ただ今直してあげましょう。
 おい、電気。」
助手がもうその支度をして
紐のついた電気の盤を
ちゃんと捧げて持っていた。
サラバアユウ先生は受けとって
軽くスイッチをひねり
馬のももに押しつけた。
馬はこわがってばたばたしたが
プランペラポラン将軍が
じっとその眼をみつめたので
安心して暴れ出さなかった。
「もういいだろう。歩いてごらん。」
馬はおとなしく歩き出す。
サラバアユウ先生は
しばらくそれを見ていたが
「もういいようです。
 今度は弟のとこへお出でになりますか。」
「そうです。どうもありがとう、
 いずれ又お目にかかります。」
「ではご案内させましょう、
 おい行って呉れ。」助手に云う。
そこでプラポラン将軍は
馬に鞍を置き直し
一人の助手に案内され
診察室を出て行った。
それからけしの花壇を通り
塀をひらりと乗り越えて
ペンクラアネイ先生の
ばらの花壇に飛び込んだ。

   四、ペンクラアネイ植物病院

ペンクラアネイ先生の
診察室なんというものは
林のようなものだった。
あらゆる種類の木や草が
もじゃもじゃ一杯集まって、
泣いたり笑ったりやっている。
プランペラポラン将軍は
馬から下りて案内の
助手と一諸に木をくぐり
ペンクラアネイの前に出る。
木はみんな眼を光らせて
二人を通し又見送る。
ペンクラアネイ先生は
まだ若くて顔が赤く
いかにもうれしそうに
歯をきらきらと出していた。
そのすぐ前に一本の
いじけた桃の木が立った。

〔この間原稿数枚なし〕

桃の木は泪をながし
しばらく立って泣いていたが
いきなり
「わかりました。」と
高く叫んで泣いて泣いて泣き
一目散に走って行った。
ペンクラアネイ先生は
じっとそのあとを見送ってから
しずかに将軍に礼をした。
「ご病気はよくわかりました。
 すぐなおしてさしあげます。
 おい、アルコールとかみそり。」
すぐアルコールの瓶と
大きな青いかみそりが
先生の手に渡される。
ペンクラアネイ先生は
すばやく酒精を綿につけ
将軍の顔をしめしてから
すっすとさるをがせを剃った。
将軍は気がせいせいして
三十年ぶり笑い出した。
「もういいようです。」
ペンクラアネイ先生も
にこにこ笑って斯う云った。
「今日は兵隊が待っていますから
 これで失礼いたします。
 ではさようなら いずれまた。」
プランペラポラン将軍は
はやてのように室を出て
いなずまのように馬に乗る。
「さあ、しっ、行けっ。」
馬は一秒十米
たちまち植物病院の
大きな門を外に出た。

プランペラポラン将軍は
ペンクラアネイ病院を
光のように飛び出して
サラバアユウ病院の
前を夢のように過ぎ
ホトランカン病院を
斜めに見ながら早くも坂を下りていた。
両側の家がふらふらと
影法師のように見えるだけ
もうプランペラポラン将軍は
向うの方で兵隊の
「おお将軍 将軍」と
歓呼するのをはっきり聞いた。
将軍は急いで馬をとめ
汗を拭ってあたりを見る。
向うからは参謀長が
黄いろの塵を高くあげ
一目散にかけて来る。
「王様がすっかりご承知なさいました。
 あなたのご難義について
 おん涙さえ浮かべられました。
 お出でをお待ちでございます。」
プランペラポラン将軍は
剃りたての顔をかがやかす。
「よし、さあみんな支度をしろ
 薬屋からアルコールを
 早く千斤だけ買って来て
 みんなで分けて顔をしめし
 剣でさるをがせを剃れ。」
兵隊たちはよろこんで
又もやわっと歓呼する。
もうアルコールがやって来て
みんなはピチャピチャそれを塗り
剣ですっすと顔を剃る
「さあ、いいか、支度をして。
 いいか、気を付けっ。」
全軍しんとしてしまい
たった一疋の馬が
ブルッと鼻を鳴らしただけ
「前へ進めっ。」
「タンパララタ、タンパララタ、ペタンペタン、ペタン、
  そらがしろびかり
  水の中のような
  おれの服のあや、
 ピーピーピピーピピーピーピー
  河ははて遠く
  夕日はまっしろく
  ゆれていま落ちる。
 タンパララタ、タンパララタ、ペタンペタン、ペタン、
  雪でまっくらだ
  旗の画もしぼみ
  つづみと風の音。
 ピーピーピピーピ、ピーピーピ。」
プランペラポラン将軍は
顔をしかめて先頭に立ち
ひとびとの万歳の中を
しずかに馬を泳がせた。

 

宮沢 賢治 – 作品集 一覧 全99話【全文】名作童話編

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