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【5月といえば】日本の伝統行事・食べ物・風物詩【歳時記】

【5月といえば】日本の伝統行事・食べ物・風物詩【歳時記】 伝統
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歳時記 五月

5月は、別名 皐月と言われます。皐月は、早苗月の略で、早苗を植える月のことです。

 

5月の異名・異称

皐月 ・五月・早月(さつき )
仲夏( ちゅうか)
吹喜月( ふぶきづき )
鳧鐘 (ふしょう )
月見ず月 (つきみずづき)
橘月 (たちばなづき )
田草月 (たぐさづき)
蕤賓 (すいひん)
賤間月 (しずまつき)
早苗月 (さなえづき)
鬱林・蔚林 (うつりん )
梅色月 (うめのいろづき)
悪月 (あくげつ)
狭雲月 (さくもつき)
蒲月 (ほげつ)
菖蒲月 (あやめづき)
五色月 (いついろづき)
雨月 (うげつ)
星月( せいげつ)
鶉月 (じゅんげつ)
早稲月 (わせづき)
暑月(しょげつ)など

さらに詳しく
『月名の雅語・古語』一覧 |陰暦の名称・別名・異名・異称

 

5月の風物詩・行事・食べ物

 

端午の節供

五節供の一つで、旧暦5月5日のことです。「端」ははじめの意味で、端午とは月のはじめの午の日ということです。

古来中国では5月を「悪月」とする考えがあり、それは5月の異名ともなるほどの陰陽道でいう凶の月で、忌みつつしむ月なのです。 重日思想の影響と「午」が五に通じることから 特に5月5日は悪月の頂点で、その日に生まれた子は父母を殺すとして捨てるならわしがあったほどでした。 午月、つまり5月の午日を忌日として祓いの行事が行われていまましたが、漢代以降に端午の日が5月5日に定まりました。

6世紀ころの中国の風習を伝える『荊楚歳時記』には、

五月五日、之を浴蘭節という。四民並びに踊百草の戯あり。艾(よもぎ)を採りて以て人を為り、門戸の上に懸け、以て毒気をはらう。菖蒲を以て、或いは鏤(きざ)み或いは屑(こな)とし以て酒に淀(うか)ぶ。

とあり、 中国では、古代より端午の日に人々は野に出て薬草を摘んだり、よもぎで作った人形や虎を家の門にかけたり、菖蒲酒を飲み、蘭(「蘭」はラン科のランではなく「蘭草」フジバカマ(キク科)のこと)を入れた湯にひたるなどして穢れや厄災を祓ったといわれています。

日本では、『続日本紀』の聖武天皇天平19年(747)5月5日の条に、

 天皇、南苑に御して騎射走馬を観たまふ。是の日、太上天皇(元正)詔して日く、「昔は五月の節には常に菖蒲を用ゐて蔓とす。このころすでに此の事を停む。今より後、菖蒲の蔓に非ざる者をば宮中に入るることなかれ」といふ。

とあり、5月5日は宮中で騎射走馬が行なわれる日でした。その日に、中断していた菖蒲の蔓(かずら)をしする習わしを復活したと書かれています。
「かずら」は、植物を頭に巻いたもので、ヒカゲノカズラをはじめとするつる性植物が多く用いられたので、これが「かずら」と呼ばれるゆえんですが、神の依代であり、神事に奉仕する者のしるしでした。宮廷儀礼においては、冠の鈿(うず)によって身分の高下をあらわしましたが、5月の節供には、これに花や葉を貫き通して巻いた菖蒲蔓をしたようです。

速水春暁斎
諸国図会年中行事大成
薬玉全図

 

『枕草子』には、宮中の5月の節供の様子について、この節供に及ぶ節はないとして、菖蒲や蓬の香りがとてもよくて宮中の御殿の屋根をはじめ民家の屋根には菖蒲や蓬が一面に葺かれ、中宮のもとに縫殿寮からいろいろな色の組糸をさげた「薬玉」が献上されるようすが書かれています。さらに中宮に節供のお食事をさしあげる若い女房たちが菖蒲の「薬玉」を帯び、「物忌」の蔓をしたりして、礼装である唐衣(からぎぬ:成人用)や汗杉(かざみ:童女用)などに季節の花の枝を長い菖蒲の根にむら濃の組糸で結びつけるようすが書かれています。

屋根に菖蒲や蓬を葺く(根元を括って葉先を下にして、軒に並べる)という風習は、香気の強い植物で不浄をはらい邪気を避けて神を迎える忌屋のしるしだったと考えられています。

薬玉は、中国の「長命縷」とか「続命縷」といったものの変形で、麝香・沈香・丁子などいろいろの香料を玉にして、錦の袋に入れ、糸や造花で飾り、菖蒲や蓬などを結びつけて長い五色の糸をたらした豪華なものです。端午の節供に不浄をはらい邪気を避ける呪いとして、5月5日に贈答され、柱や簾などにかけ、また身につけたりしたものです。

球形のものは「玉」であり、それは「霊魂」の象徴であり、また「霊魂」の宿るものであると信じられたのです。

 

さつき忌み

日本では5月は皐月であり、早苗月、つまり稲の若苗を田に植える月で、田の神を迎えるため物忌みが行われていました。

田植えに先立って、田の神を迎えて豊穣を祈るのです。田植えに来臨する神を迎えるために、早乙女は巫女となり、香り高い菖蒲や蓬で葺いた屋根の下でおこもりして穢れをはらい、身を潔めました。これを「さつき忌み」とか「葺籠り」といい、男が仕事に出たあと、女が家にこもって斎み暮らすのが5月5日の夜でした。これを「女の家」といい、前夜を「女の夜」といったのです。

女の家を終えた早乙女たちは、紺の単衣に紺の手甲をして緋のたすきがけ、菅笠をかぶってはればれと田植えに出かけたのです。

近松の浄瑠璃『女殺油地獄』下巻の冒頭には、

嫁入り先は夫の家、里の棲み処も親の家、親の家の家ならで、家といふ物なけれども、誰が世に許し定めけむ、五月五日の一夜さを女の家といふぞかし

とあります。
三界に家なしという女にも、五月四日あるいは五日の一夜だけは、「女の家」とか「女の夜」、さらには「女の天下」などと呼び、畳半畳が女の所有になるとか、女が男に酒をふるまう晩だとか、あるいは女が威張れる日だというのです。

先に、屋根に菖蒲や蓬を葺くという風習は、香気の強い植物で不浄をはらい邪気を避けて神を迎える忌屋のしるしだったと書きましたが、この屋根に菖蒲や蓬を葺くという風習は、まさにこの「葺寵り」の物忌みのしるしなのです。

また五月五日の節供に菖蒲や蓬を屋根に葺くいわれを説明する「食わず女房」といわれる昔話があります。

むかし、一人老の男が山に木を伐りに行き、仲間の者と飯を食わぬ女房が欲しいと話し合う。すると数日たって飯を食わぬから女房にしてくれという女がやってくる。喜んで女房にすると、なるほど飯を食わない。しかし米も味噌もひどく減るので、ある日、町へ行くふりをしてのぞいてみると、女は米を一斗炊きの鍋で炊き、味噌汁をたくさん作る。そして髪を解くと頭頂に大きな口があってこれを投げ込んでいるではないか。驚いた男は、そ知らぬ顔して家に入り、女房に暇を出すというと桶をくれという。そこで桶を出してやるとその中に男を突き入れて山奥にかついで行く。男は、おそるおそる垂れさがった木の枝につかまって抜け出し、道ばたの菖蒲や蓬の生えた中に逃げ込む。気がついた女は山姥(鬼婆とも)になって追って来るが、菖蒲や蓬の中に手を入れると腐るといって山へひき返して行ったという。

地域によっては、男が桶屋や行商人であったり、男が逃げ帰った夜に女が蜘殊になって男を取り返しに来たので、夜蜘妹は殺すものだという話になっていたりしますが、この話が五月五日の出来事だったとして、菖蒲の節供のいわれを説くことが多いようです。

菖蒲葺ばかりでなく菖蒲湯・菖蒲酒・菖蒲鉢巻などなど、みな菖蒲のもつ霊威を信じて、不浄をはらい、邪気を避けるものであったのでしょう。菖蒲鉢巻は女がするものであり、菖蒲湯は女から入るもの(神迎えの禊)だとか、菖蒲酒は女が飲むとよいと伝える土地が多く、日本では端午の節供は、田植月に田の神を迎える祭りであり、その主役が女性だったことを語っています。

端午の節供はこのさつき忌みと中国の端午の行事が合わさり、時代と共に変容していったものと考えられます。

宮中、近衛府で行われていた騎射走馬は、武家社会の鎌倉時代、室町時代には流鏑馬となり、印地打(石合戦)や菖蒲打ちなどの勇ましい行事も盛んに催されるようになります。「菖蒲」が「尚武」に通じるという縁起のため武士の間にも盛んになり、室町時代には兜人形がつくられ、江戸時代になると幕府の式日に定められ、男子の健康と出世を祈って鯉のぼりを立てるようになり、端午の節句は男子を中心とする祝いの日へと変わっていったのです。

明治6年に端午の節供は公式行事としては廃止され、一時は民間でも廃れたようですが、明治末頃には富国強兵、軍国主義の波にのって再び盛んに行われるようになりました。

 

鯉のぼり

現在、鯉のぼりは五月五日を代表する風物詩となっています。
鯉のぼりが端午の節供に立てられるようになったのは江戸時代中期頃といわれています。当時の端午の節句に武家では、家の外に幟や吹き流しを飾っていました。もともとは五色の吹き流しや幟の頂部についている風車や籠玉などが、神の招代とも忌み籠りの家の標示ともされるもので、吹き流しの五色は、中国の「五行説」に由来する水・金・地・火・木を意味する言うなれば魔除けの色です。しかし、この幡や吹き流しは、町人には許されていませんでしたので、町方では、吹き流しの代わりにその織りの摩(まねき=上部の横竿の先につける小さな旗のこと)に鯉を飾るようになりました。

その後、中国の「奔流すこぶる急で、鯉だけが見事竜門を登り切り、その後竜になる」という『登竜門伝説』から立身出世の願いを込め、武家の間でも鯉のぼりを立てるようになり、吹き流しと鯉のぼりの両方を立てるようになりますが、明治以降に、この摩の鯉が、織りから離れて独立し、吹き流しと結びついて 一本の竿に飾る大きな鯉のぼりになりました。

現在では、竿の先に回転球と矢車を取り付け、その下に吹き流し、真鯉、緋鯉の順に取り付けるのが一般的になっています。

 

端午の節供の食べ物

粽(ちまき)

端午の節句に食べる粽は、もともとは端午の供物で、柏餅以上に歴史のある食べ物です。平安時代には、すでに宮中行事の端午の儀式で使われていました。

関西では、男の子の初節供は粽で祝い、二年目からは柏餅で祝うという習慣があります。『守貞漫稿』には「京阪にては男児生まれて初の端午には親族、及び智者(知人)の方に粽を配り二年目よりは柏餅を配る」とあり、又「江戸にては初年より柏餅を配る」として地域文化の違いをうかがわせていますが、地方によっては、柏の菓ばかりでなく、楢や朴の葉を用いることもあり、笹巻・笹餅といって笹の葉を用いるところもあるようです。

端午の節句に粽を供えるのは、楚の詩人屈原(くつげん:紀元前340~277頃)の故事によるものです。

屈原は楚の王族に生まれ、三閭大夫として活躍したた武人で、妬まれて失脚し、湘江のほとりをさまよい、汨羅(べきら)に身を投じたのが5月5日(一説に夏至の日)だったので、屈原の霊を弔うため、この日に米を楝(おうち)の葉で包み、五色の綵糸で結んで粽をつくって川に投げ入れたのだと伝えてられています。京都祇園祭のときに、鉾の上より投げる粽は、この屈原の故事にならった供養のためのもので、その粽を受けて門戸に吊しておくと流行病除け、または災難除けになるといわれています。

また、入水した屈原を救おうとしたのが「競渡」(竜船競漕)の起源であるとも伝えられています。端午の競渡は、琉球列島のハーリー、長崎のペーロン(白竜)などとして現在でも盛大に行われています。

楝は、栴檀(せんだん)の古い名前で、香りがあり、虫がつかず、竜も嫌うとされていました。

粽はその後、茅(ちがや)の葉で巻くようになり、「ちまき」と呼ばれるようになったそうです。 茅の花穂はチバナとかツバナといわれ、春先のまだ開かないうちは食べられます。また高くのびずに叢生するので、古典では「浅茅生(アサヂ)」と表されます。 日本で「ちまき」の呼び名がついたのは、茅の葉で巻いたため、あるいは千回巻く意にかけられたともいわれ、粽の形は竜だともいわれています。

『日本書紀』が伝えるように、天鈿女命が天石窟戸の前で舞ったときに手にしていた「茅纏の矛」が日の神を迎える呪具だったり、 茅を左よりにした「浅茅の縄」が身を浄めるために用いる祓えの具であったり、夏越の祓えの茅の輪くぐりに用いられていたりと、古くから「茅」は神祭りの呪具に深くかかわり、疫病除けの呪力があると信じられていました。

 また、粽は端午の供物として以外にも「粽祭」や「粽神事」など神事に用いられています。堺市の方違神社では五月三十一日に粽祭が行なわれ、埴土で作った粽が参詣者に授けられます。また陰陽道の方では、家屋の新築や移転などの際に方角の崇りを避けるために、方違の神符と葦の葉の粽を授けることも多いようです。

柏餅

柏餅は楝(おうち)の葉の代用として用いられたのが始まりで、江戸時代中期頃につくられたといいます。

柏の木は新芽が出るまでは親の葉が枯れ落ちることなく守ることにちなみ、家系が絶えない縁起の良い葉として、親が子の無事を願う気持ちを表しています。

子供の日は母の日

5月5日のこどもの日は、昭和23(1948)年7月20日発布の法律第178号、国民の祝日に関する法律(祝日法)によって「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する日」と定められています。 男女を問わない趣旨で祝日に加えられ、こどもの為の様々な行事が盛んですが、まだ男の子のための日という思いは五月人形にも代表される様に根強く残っている様です。

それに忘れられてはいますが、日本の法律では、こどもの日が母に感謝する母の日でもあるのです。

5月第2日曜日の母の日は、アメリカの国民の祝日なのです。

アメリカのウエストヴァージニア州の教会に、ミス・ジャービスという女教師が、日曜学校の説教のとき、モーセの十戒の一つ「汝の父母を敬え」という章の解説に「母の恩の深いことを人に悟らせる方法を考えよ」と教えていました。

彼女が亡くなり、その追悼式が命日に行われたときに、一人娘のアンナ・ジャービスは、母が好きだったという白いカーネーションを母に捧げることで母の教えを伝えていこうと思い、信者たちに白いカーネーションを配ったのです。信者たちはそれを胸に飾って、教えの通り母への感謝を示しました。

この話を伝えきいたデパート経営者ジョン・ワナメーカーが、1905年5月の第2日曜日に母を讃える記念会を催して、アンナの話を人々に伝えたところ、これが反響をよび、1914年に議会の決議を経て、ウィルソン大統領により国民の祝日として、5月第2日曜日が「母の日」と定められたのです。

日本ではキリスト教会の働きかけなどによって次第に広まり、昭和24(1949)年ごろより母の日として定着するようになりました。

カーネーション(carnation)は学名をディアントス・カリオフィルス(Dianthus caryophyllus)といい、丁字(clove)のことです。むかし、カーネーションの花でつくった花の冠をコロナといい、花をコロネーションcoronation(戴冠式)と呼んでいたのが訛ってカーネーションになったもので、「王冠の形をした花」という意味です。

ギリシャでは、芳しい香りの花で身を装う習慣があって、ゼウスの祭りにこの花のコロナを頭にかぶってゼウスに捧げたといいます。ローマ人もカーネーションを神聖視して、ジュピターの花(Jupiter’s grass)と呼んでいました。

カーネーションは、十字架にかかったキリストを見送った聖母マリアが落とした涙のあとに生じた可憐な花ともいわれて、母性愛の象徴です。そしてそれは復活したキリストとともに生まれた花として、愛と喜びのシンボルともなっています。白いカーネーションは生前のキリストとマリアの涙、赤いカーネーションは復活したキリストを象徴するといわれます。
カーネーションの花言葉は「母の愛情」です。

 

八十八夜(はちじゅうはちや)

5月2日は、八十八夜に当たります。これは立春の日から数えて八十八日目に
当たり、農家ではこの頃になると霜の心配がなくなるので、種まきの目安として
います。また一番茶を摘む時期で、この日から2~3週間が最盛期となります。
小学校の唱歌『茶摘み』には「夏も近づく八十八夜、野にも山にも若葉が茂る」
と歌われました。

 

端午の節句(たんごのせっく)

5月5日は『端午の節句』は,中国の烈士を弔った故事が起源とされ、男子の
気概を養う日として平安朝以来、宮廷で5月に行われてきました。
昔は5月の端(はじめ)の午(うま)の日に行われたので端午(たんご)
と言っています。後に「五」と「午」が同音であることから、5月の5の日が
厄祓いの日として定着するようになったそうです。

また、この時期に咲くショウブには邪鬼を払う霊力があると信じられていたので
「ショウブの節句」とも言われます。 男の子がいる家では、鯉幟を立てたり、
初節句には武者人形や兜を贈る習慣になっています。また、お風呂にはショウブを
入れたりします。このような習慣が広まったのは江戸時代。江戸幕府によって
五節句のひとつとして定められ、武家社会に広まりました。

さらに鯉幟の習慣は、江戸中期から登場。中国の黄河上流の難所をのぼった鯉が
神通力を備えた出世魚という故事にならい、男の子の健康を願って立てました。
最近では、都会では見られなくなったこの鯉幟ですが、日本の風物詩には
欠かせないもののひとつかもしれません。

 

立夏(りっか)

二十四節気の一つで、5月6日は立夏に当たります。暦の上ではこの日から
立秋の前日までが夏になります。またこの日から夏の気配が現れてきます。
ですがこの頃の北海道では平均気温が10度以下の地域も多く、まだまだ肌寒い
時期。東京でも平均値はおよそ18度で夏と呼ぶには早過ぎますが、この時期は
1年中で紫外線が最も強い時期。8月上旬と同じ強い日差しで野外にいれば
日焼けするほどです。

 

風薫る(かぜかおる)

森から吹く風には若葉の香りが含まれて、緑の香りを運ぶと見立てたのが
風薫るです。昔から4月の風は光り、5月の風は薫るともいいます。同じ言葉に
薫風(くんぷう)、風の香(かぜのか)があります。

 

小満(しょうまん)

立夏から数えて15日目。5月21日は小満に当たります。万物が次第に長じて満つる、
と言う意味であらゆる草木が成長して生い茂る時期です。農家では田植えの準備に
お追われる頃で、やや汗ばむような陽気です。西日本では本格的な梅雨を
感じさせる走り梅雨のシーズンでもあります。

 

初夏(しょか)

夏を初夏、仲夏、晩夏に分けて最初の期間で、立夏(5月5日)から芒種(6月5日)
までの夏の始めを指す言葉です。梅雨に入る前の穏やかな時期で、風も心地よく
感じます。

 

薄暑(はくしょ)

夏の最初は、やがて来る梅雨までの穏やかな時期が初夏ですが、この時期に少し
暑さをおぼえる程度の陽気を薄暑と言います。「薄い」暑さとは、独特の
表現ですが本格的な夏の前ぶれのような暑さにも感じられます。

 

走り梅雨(つゆ)

梅雨入りする前の5月の末に現れる梅雨に似た雨のことで、そのまま梅雨入りして
しまうこともありますが、再び晴れて、それ以後に梅雨入りになります。
「走り」は魚など食べ物などに用いられるように、初物、はしりものを表す言葉の
意味になります。

 

青嵐(あおあらし)

初夏の青葉を揺らしながら吹き渡る強い南風のことをいいます。同じ言葉に
風青し(かぜあおし)や青嵐(せいらん)などがあります。

 

青葉雨(あおばあめ)

木々の青葉や若葉がひときわ美しい季節に葉をぬらして降る雨。雨の後には
ぬれた木々の葉は爽やかさが薫ります。

 

新樹(しんじゅ)

新緑の若葉に覆われた木ですが、初夏の日差しを受けて木の葉の緑の輝きが、
今までの木とは思えないほどの美しい印象のことです。

5月のキーワード

【自然】
八十八夜、立夏、新緑、若葉、五月晴れ、新茶、赤潮、アリ、
蝿、ホトトギス

 

【暮らし】
ゴールデンウィーク、五月人形をしまう、野鳥の観察、庭の雑草の除去、端午の節句、鯉のぼり、ゴキブリ退治、ノミの発生、五月病、結婚シーズン、自動車税の納付、濡れた傘や靴の手入れ、春の遠足、運動会、埃に注意、田植え

 

【健康】
湿疹、脚気、イライラ、不眠症、洗顔、かぶれ

 

【花】
ふじ、撫子(なでしこ)、ひなげし、せきちく、牡丹、ツツジ、しゃくやく、きんせんか、あやめ、ライラック、アカシヤ、バラ、カーネーション

 

【園芸】
朝顔、ケイトウ、コスモスの種蒔き、チューリップやスイセンの球根掘り起こし、遅まき草花の種蒔き、菊のさし芽、温室ものの室出し、ナス・キュウリ・ピーマン・トマトなどを植える、果実の袋かけ、芝生の除草や手入れ、田植え

 

【季語】
立夏、初夏、薄暑、麦の秋、風薫る、牡丹、新緑、若葉、桐の花、薔薇、卯の花、新茶、夏めく、夏浅し

 

【誕生石】
エメラルド(幸運)

 

【誕生花】
すずらん(純愛)、けし(もろい愛)、紅バラ(愛)

 

【時候の挨拶】
晩春、惜春、向暑、薫風、若葉、新緑、藤の花、初夏、五月雨、八十八夜、葉ざくら、鯉のぼり、新茶の香り

5月の旬【魚】

【とびうお】
旬は産卵のため、日本海を北上する春から夏にかけて。トビウオは筋肉質で脂肪が少なく、高タンパクな魚で味は淡白。しっかりと下味を付けるか、濃いめの味付けの料理に仕上げるのがおいしく食べるコツ。

【きす】
旬は5月~6月。アオギス、シロギスの2種類に大別でき、後者の方が美味。三枚におろして刺身にしたり、酢の物、塩焼き、すし種、汁の実にするとおいしい。
白身の身肉は淡白な味で、脂肪が少なく、タンパク質や鉄分が豊富に含まれている。

【しゃこ】
1年中出回っているが、旬は春から夏。身肉がたっぷりして卵も詰まって旨いが、6、7月の産卵期は味が落ちる。すし種、味噌和え、天ぷらの他、具足煮、ワサビ醤油をつけてといった食べ方がある。傷みやすいため、買ったらすぐに茹でる。

【山女魚】
ヤマメは山奥の清流に住む魚で、天然物の旬は解禁日以降の3月~4月。香りは薄いが、淡白な味は川魚でもトップクラスで、塩焼き、煮付け、寒露煮などにする。
市場に出回るのはほとんどが養殖ヤマメ。

【まいか】
春から夏が旬。石灰質の甲を持ち、肉の厚いマイカは刺身に最適。新鮮なものほど体色が濃い。

【いしもち】
晩春から夏にかけての魚で、産卵期の5月が一番味がよい。卵だけ煮付けたりもする。
身は淡白で柔らかいので、濃い目に煮付けたり、空揚げ、揚げ煮などがよく合う。

【かれい】
カレイの旬は種類によって異なり、1年中食べられる。マコガレイ、イシガレイは初夏。マガレイは秋から冬、ヤナギムシカレイは春。カレイの逸品、城下ガレイは4月~8月がおいしい。カレイは脂肪が少なくあっさりした淡白な味で、タンパク質を多く含む。また、歯、骨、血液、筋などの重要な構成成分であるリンを多量に含んでいる。

【きびなご】
鹿児島、天草の名産。最近では関東や関西でも需要が増えたため、貴重品となっている。食べ頃は4月~8月の産卵期のもの。とれたてを手開きにし、刺身で食べるとおいしい。

【いさき】
クセのない淡白な味だが、磯魚特有の臭みがあり、鮮度が落ちやすい。5~6月の産卵期のものは「麦わらいさき」と呼ばれ、脂がのって最も味が良い。大ぶりで新鮮なものは刺身やあらい、小ぶりのものは塩焼きや煮付けにする。

5月の旬【野菜】

【さやえんどう】
旬は春から初夏で、この頃ビタミンCの含有量がピークになる。絹さやが最もポピュラー。バター炒め、煮物、吸い物に最適で、料理に彩りを添える。さやがピンと張っているのは新鮮な証拠。塩を入れ、蓋をとった状態で1~2分茹でると緑が鮮やかにでる。

【そらまめ】
路地物は5月~6月が中心。「ソラマメのおいしいのは3日間」といわれるほど味のよい時期の短い素材で、購入したらなるべく日をおかずに早いうちに使いきってしまうのがよい。茹でる時は、直前にさやから出し、豆の爪の黒い節を包丁で先に取っておくとやわらかく茹であがる。

【玉葱】
品種が多く保存性がよいので1年中あるが、6月~7月が旬。春の新タマネギは早目に収穫したもので、辛みが少なくて柔らかいが、水分が多いので日持ちしない。

【韮 (にら)】
年中出回るが青ニラは早春が葉が薄くやわらかで美味。ビタミンA、B2が特に多く含まれており、ビタミンB1、C、カルシウムも多く含む。独特の匂いは、硫化アリルによるもので、胃や腸の粘膜を刺激して消化を助ける働きがある。

【ごぼう】
旬は春と秋だが、5月~6月に出回る秋まきのごぼうは風味がよい。あまり太いものはスが入っている場合があるので、土付きの中太でまっすぐ伸びたものを選ぶとよい。
切ったらすぐに酢水か水につけると変色しない。鍋物、きんぴら、煮しめに欠かせない存在で、最近ではダイエット食として注目されている。

【ちんげん菜】
4月頃から路地栽培物が店頭に出る。1月~3月のものはハウス栽培物。
チンゲンサイはビタミンC、カロチン、カルシウム、鉄分を多く含んでいる。
炒めたり、茹でたりする時は、葉より茎の方から先に火を通すと、まんべんなく火が通ってよい。

5月の旬【果物】

【苺】
路地物は5月が旬。人気のある品種は、「女峰」と「とよのか」。ビタミンCの含有量は果実の中でも1、2を争うトップクラス。ビタミンCには血管壁に沈着するコレステロールを溶かし、内臓機能を助ける働きがある。また、新陳代謝を活発にするため疲労回復や美容にも効果がある。

【枇杷(びわ)】
旬は5月~6月にかけて。ビワは皮をむくとすぐに褐変してしまうので、食べる直前にむくか、むいてしばらく置く場合、少しの間水につければよい。カロチンが豊富でビタミンA効力が高い。

【夏みかん】
春から初夏にかけてが旬。出回る時期は夏ミカン・日向夏が5月~6月で、甘夏が4月~5月。成分構成は温州ミカンとほぼ同じだが、酸味が強い。
サラダに散らすと甘酸っぱさが加わりおいしくなってよい。

【メロン】
メロンは果物の王様といわれているが、なかでもマスクメロンは気品高い甘みもあり美味。多品種で、日本ではプリンスメロンが名高い。メロンは多湿を嫌うため、日本では温室栽培がほとんど。1年を通じて出回るが、最もおいしい時期は春先。

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