伝統生活

【3月といえば】日本の伝統行事・食べ物・風物詩【歳時記】

【3月といえば】日本の伝統行事・食べ物・風物詩【歳時記】 伝統
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

歳時記 三月

弥生は、いやおいの略で、草木が芽を出していよいよ生い延びる月という意味です。
 三月の行事と言えば、まず、お雛祭り、桃の節句ですね。 節句は本来は節供と書き、江戸時代には五節供として、法制化された式日(祝日みたいなもの)の一つでした。
 もちろん女の子のお祝い日ですね。

 

3月の異名・異称

弥生(やよい・いやよい)
季春(きしゅん)
晩春(ばんしゅん)
暮春(ぼしゅん)
花見月(はなみづき)
竹の秋(たけのあき)
杪春(びょうしゅん)
雛月(ひなつき)
春惜月(はるおしみづき)
祓月(はらえづき)
花つ月(はなつづき)
桃月(ももつき)
殿春(でんしゅん)
早花咲月(さはなさづき)
姑洗(こせん)
夢見月(ゆめみづき)
佳月・嘉月(かげつ)
桜月(さくらづき)など

さらに詳しく
『月名の雅語・古語』一覧 |陰暦の名称・別名・異名・異称

 

3月の風物詩・行事・食べ物

 

桃の節供(桃の節句・雛祭り・上巳の節供) 

「三月三日は上巳とも、曲水とも、仙源ともいうなり。日本には、人皇二十四代顕宗(けんぞう)天皇より始まるとなり。美国(中国)にはこの日、水上に杯を浮かべ、わが前へ流れ来る間に詩をつくる。日本には巳の日の祓いといえり。初めて三月三日の宴をなす。時日、上の日の巳の日にあたれり。これによって上巳というなり」

三月三日は桃の節句と書きましたが、もとは「上巳の節供」「元巳」といわれていました。「上巳」とは旧暦三月の初めの「巳の日」と言う意味で、三日に決められていたわけではありません。現在のように三月三日に行われるようになったのは中国の三国時代、魏の時で、三月三日と「三」が重なることから「重三(ちょうさん)の節供」ともいわれるようになりました。また、中国古代では、踏青(とうせい)といい除災の風習で川辺で青い草を踏み、川の流れで身を清める禊を行い、その後に宴を張る習慣がありました。これが、晋代には杯を流水に浮かべて詩歌をよみあう遊びの「曲水の宴」へと発展していきました。

これが日本にも伝わり、律令でこの日の宴を節会(せちえ)のひとつに定めました。701(大宝元)年の3月3日には宮中で宴が催され、730(天平2)年には曲水の宴が設けられています。

季節の節目に身のけがれを祓う大切な行事で、人々はこの日に野山に出て薬草を摘み、その薬草で体のけがれを祓って健康と厄除けを願いました。

一方、雛祭の方の起源は平安時代中期頃にさかのぼります。

日本でも古くから、春の農耕時期を前に、物忌(ものい)みをし、水で身を清めて穢(けが)れを祓(はら)う禊(みそぎ)が行なわれていました。

中国から形代(かたしろ)による呪法が入り、人形(ひとがた:紙・布・木などで人の形を模した呪具)や形代(かたしろ)を作り、身体をさすって身の穢れや病を移してお酒や供物を添えて流し、無病息災・豊作を願う祓いの行事をしていたのです。今でも祭り終わったのち雛人形を川に流す流し雛の風習が各地にあり、穢れを祓う心を伝えるものと考えられています。

紫式部の『源氏物語』には、当時の人々は身体の中に人の形をした悪い虫が潜んでいると信じており、その虫は悪事に執着したり、寿命を減らしたりするものなので、なんとか退治をしなくてはいけない。その悪い虫を取り除くために、身代わりとして作った人形で身体をなで、穢れを移して、三月最初の巳の日に川に渡すという場面が記されています。

室町時代には、雛人形を河に流すことなく家に飾ることが主となり、この行事も3月3日に行われるようになりましたが、まだ雛人形を飾って遊ぶ今の雛祭とはかけ離れた、祓い中心の行事でした。

また、子供が生まれると、這子(ほうこ)・天児(あまがつ)といわれる人型を置いて災害を祓い、子供の無事な成長を祈ることも流行しました。

この祓いの道具としての形代は、やがてこの人形が貴族の子女の間で「ひいな遊び」となり、いつの頃から公家や上流武家の間で上司への贈答の品となって、美しく着飾った雛人形に変化してゆきました。「雛(ひいな)」(比々奈(ひびな)とも)とは、「契沖雑記」によれば、大きなものを小さくするという意味です。紙などで作ったちいさな人形や、御殿や、身の回りの道具をまねた玩具で遊ぶもので、いまでいうと“ままごと遊び”といったところでしょうか。

時を経て、祓えの行事とひいな遊びとがいつか一つになり、雛人形を玩具として飾り立てて祝うようになっていったのです。雛祭りは室町時代から江戸時代にかけて貴族や武家また上層農民の間でかたち作られたといわれています。

江戸時代(1616)になると江戸幕府は宮中で行われていた行事の中から、上巳、端午の節句を中心に五つの節日を定めました。

「西洞院時慶卿日記」によると、寛永6年(1629年)の上巳の節句に、後水尾天皇の中宮、東福門院和子が我が子、興子内親王(明正天皇)のために男女一対の人形を飾り祝ったという記述があり、これが最初の雛祭りを考えられています。これ以後、幕府の大奥でも宮中に習って雛祭を行うようになり、やがてこの習慣は町民へ、地方へと広がっていったのです。

雛祭りは、もともとの穢れ祓い男女の健やかな成長を願う行事としての意味は薄れ、女の子の健やかな成長を祝う式日へと変化してゆきました。

そして、江戸時代中期には、女性たちばかりでなく、女の赤ちゃんの誕生を祝う初節句の風習も生れて、雛祭はますます盛んとなっていきます。今日のような段飾りとなったのは元禄のころからです。そして文化・文政のころには、民間でも、宮中の生活様式をまねて、内裏雛・左右両大臣・三人官女・五人囃子等を飾るようになり、さらに女の子の節句ということで、下の方には嫁入り道具をミニチュア化したものを揃えるようになりました。幕府が雛人形の華美を禁じるお触れを再三出すようになるほど、雛人形や雛道具の種類は多くなり、かなり贅沢なものが作られるようになりました。

 

雛人形

人形は古くは、形代と呼ばれ、宗教行事と密接に係わりを持っていました。形代自体が人格化され、礼拝の対象になったものと、人の身代わりとしての埴輪や人形に大別されますが、雛人形は、その両面性を持っています。

宮中では、三条殿の簾にかけた男女一対の厄除けの神を「ひいな」と呼んでおり、これが雛人形の原型ともいわれます。男女一対こそがお互いの足らないところを補い合って、性と生命の力をシンボル化したものと考えられていたのかも知れません。道祖神なども、同じような背景で男女一対の形を神格化したものと考えられるのではないかと思います。

一方、平安時代の儀式書「類聚雑例」には、葬送の時に「阿未加津(あまがつ)」という形代を作り、この世の災いを移して、あの世に送るという風習が記されています。これが、室町時代になると、子供が産まれたときに子供の厄を負うものに変わり、字も「天児(あまがつ)」が当てられるようになります。

室町時代の「仙源抄」には、「災いを負ってくれる形代で、三歳まで用いる」とされていますが、後には、男子は元服まで用いて、女子は嫁ぎ先まで持参して、子供の誕生まで用いるようになりました。天児

また、「天児は這子(ほうこ)ともよばれ、孺形ともよぶ」と記されています。天児は木偶(でく)人形に着物を着せた形で、這子とは縫いぐるみの形のものをいい、同じ目的に使われていたようです。

江戸時代になって、雛祭りが一般化してからは、天児を男雛、這子を女雛に見立てて飾るようになりました。

雛人形の変遷

現在一般的になっている七段飾りは、江戸時代の後期ごろまでにほぼ完成した飾り方です。江戸時代の初期には、もっと簡単な飾り方でした。一番古い形は、立ち雛で、その後座雛になりました。平たい台の上などに内裏雛一対を飾り、それに菱餅や白酒等の供え物をする程度で、雛段はまだ用いられていませんでした。それが百年あまりの間に、三段から五段と次第に数を増していき、人形や雛道具も増えて現在に伝えられているような形式になったのです。

立雛(たちびな)立ち雛

初期の雛人形は紙製の立ち雛で、男雛は烏帽子に小袖・袴(はかま)、女雛は小袖・細幅帯の室町風俗でした。

寛永雛 (かんえいびな)

寛永(1624~1643)年という年号を呼び名につけていますが、実際には慶安(1650年)前後の雛人形です。寛永雛は衣裳や面など荘厳に見えるよう工夫されていますが、初期の雛人形は、「ひいな」の名残をとどめ、小型であることが特徴のひとつです。

享保雛 (きょうほうびな)

大型の優雅な雛人形です。享保雛も必ずしも享保年間に製作されたものとは限りません。寛永雛がさらに改良され、元禄雛を経て、1700年頃より徐々に大型化してきたものです。将軍吉宗の治世には、雛が優雅になりすぎ、豪華なものは製作禁止となるほどでした。1750年頃に全盛期を迎えますが、有職(高倉)雛や次郎左衛門雛、古今雛の登場とともに影が薄くなって行きました。

有職雛 (ゆうそくびな)

享保雛などの男雛の衣裳は、狩衣の束帯風のスタイルで、女雛は五衣の重ねに紅の袴で、公家風でしたが、公家装束を正しく反映していなかったので、朝廷の衣裳担当と山科家、高倉家が有職故実にのっとり、1755年頃に正確な装束を雛に着せたものが有職雛の起こりです。

古今雛(こきんびな)

1765年頃江戸の人形師・原舟月が考案製作した雛で、有職雛を模倣していますが、女雛は享保雛のように宝冠を載せています。この時代は様々な雛の形成された時期で、有職雛は公家、次郎左衛門雛は武家を中心に用いられ、古今雛は大店など金持ち階級に好まれました。

親王雛 (しんのうびな)

形式的には有職雛です。衣裳も女雛の髪のおすべらかしも、総て有職雛を反映していますが、形が享保雛のように大型で華やかさが強調されていて、今日の雛人形の原型となっている雛です。

 

飾り方

最上段

ここには、内裏雛の男雛と、女雛がきます。男雛の冠は、纓(えい)がまっすぐ立つようにかぶせ、笏(しゃく)は右手、太刀(たち)は左の腰の袖の下にいれて、後ろの方はぴんとはね上げるようにします。

女雛の桧扇(ひおうぎ)は、開いて手にもたせて(手が袖にかくれているときは、袖の内側にはさんで)飾ります。後ろには金屏風を立て、両脇にぼんぼりと、二人の間には桃の花をさした瓶子(へいし)をのせた三方(さんぼう)飾りを置きます。

二段目

宮廷の女官、三人官女が並びます。通常3人一組で、両側が立つものと、まん中が立つものとのふた通りがあって、もしすわっている官女がひとりなら、それをまん中に、立っている官女がひとりなら、それをまん中に置きます。

手にもたせるのは、まん中の官女が三方、向かって右の官女が長柄銚子(ながえのちょうし)、左の官女には加銚子(くわえのちょうし(正しくは提子(ひさげ)))、間には高坏(たかつき)を置いて、桜もちや草もちなど季節の和菓子をお供えします。

白衣に緋の長袴をつけたもの(三白という)と、打掛を着せたもの(掛付)とがあります。

三段目

五人囃子(ごにんばやし)が並びます。能楽の囃子方かたをかたどったもので、普通、童顔を用いますが、これは雅楽(ががく)の楽人のときもあります。向かって左から太鼓(たいこ)、大皮鼓(おおかわつづみ)、小鼓(こつづみ)、横笛と並び、そして扇を持つ謡い手が右はしにくるようにします。

四段目

随身(ずいしん)を飾ります。弓矢を持った2人一組のもので、別名を矢大臣ともいいます。宮廷を警護する儀仗姿の武官で、俗に左大臣・右大臣ともいいます。

随身は向かって右が通称左大臣で老人、左が通称右大臣で若人を飾ります。木目込み人形で両方とも同じ顔をしている場合は、黒っぽい衣裳のほうを右におきます。

冠は、お殿さまと同じにかぶせ、巻纓(けんえい)および耳飾りのような(おいかけ)をつけます。左手には弓をもたせて袖にはさみ、矢は羽根を下に右手にもたせます。背負い矢は、向かって右の肩から先が見えるようにします。

五段目

仕丁(しちょう)(別名、衛士(えじ))を飾ります。3人一組で、白衣を着ています。沓台(くつだい)をもっている仕丁がまん中、向かって左に台笠、右に立傘をもたせます。(京風はまん中にちり取り、左右に熊手と箒をもった人形を飾ります。)
笑い、泣き、怒りの表情から、三人上戸の別称もあります。

七段飾りのときは、六段めと七段めにはっきりした決まりはないのですが、食器やたんす、お化粧道具などは段の上に、お駕籠(かご)や御所車は下の段に置くと調和がとれます。

なお、桜、橘(たちばな)は、桜を向かって右(左近の桜)、橘を左(右近の橘)におきます。

 

雛人形の左右の配置

現在、男雛は右(向かって左)、女雛は左に飾りますが、関西では男雛を左(向かって右)、女雛を右に飾ることが多く、これは、左上位であった宮廷儀式の伝統にしたがっているものです。

この左右は、偉い人が下位の者を見た場合の左右なので、雛飾りでいえば、向かって右が上位と言うことで御内裏様が向かって右、御雛様が左にある関西の方が日本古来からの方式です。
これに対して現在よく見られる飾り方は、明治以降ヨーロッパ等の習慣にあわせて女性を向かって右に配する方式を日本の皇室が採用したことから、東京の人形商協会が向かって右を女性、左を男性の配置を正式すると決定したためだそうです。

桃の節供の「桃」は三月を代表する花です。桃には、花を楽しむ花桃(はなもも)と、実を採るための実桃(みもも)があります。

桃は、日本では古くは『古事記』の中に、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が3個の桃で追手を撃退した話があり、中国では、西王母伝説・桃源郷伝説にもみられるように不老長寿の果実とされています。早く花が咲き実が多く繁殖力が強く、字の作りの「兆(きざし)」は多産の象徴で実の形が生命力を表現しているといわれます。

また花の赤色と特有の薬味が邪気を祓うとされ、古代中国では死者の胸に桃の木を置いたり、門戸に立てたり、身につけたりしていました。また、宮中の「追難の儀」において、桃の枝、桃の弓、葦の矢で疫鬼を追い払うのに使用されました。物忌や祓えを行うにあたり、悪鬼をはらい豊作を祈る心が込められています。

菜の花

季節の花ということで、春をイメージさせる花であるためか、桃の花の他に菜の花を飾る習慣も有るそうです。

桃花酒

桃の節供にちなんだお酒として鎌倉時代には、酒の中に桃の花を刻んだ、風流な桃花酒が楽しまれました。桃の節供といえば白酒が有名ですが、この桃花酒が本式のようです。
桃の花は「邪気をはらい長命をもたらす強い生命力の象徴」という中国の思想に基づいています。中国の故事には「水に流れる桃の花を汲んで飲んでみたところ、気力が充実して300歳まで長生きした」という話もある程で、桃花酒は大変に縁起の良いお酒です。

白酒

室町時代から桃酒にかわって、白酒が祝いの席で飲まれるようになりました。
雛祭りの祝いは、徳川上期、江戸で流行し始め、娘が初節供を迎える家では、人形のほか、小さな諸道具を雛段に飾り、白酒やご馳走を用意したようです。白酒と紅い桃の花とが、おめでたい紅白として、色彩的にも美しいものです。江戸時代の白酒は、諸白(もろはく)、今は、みりん(または焼酎)に、蒸したもち米と米麹を仕込んで1カ月ほど熟成させて作った甘味のある白いとろりとしたにごり酒でした。

菱餅・はまぐり・雛あられ

桃の節供は別名、草餅の節供ともいわれます。草餅づくりに欠かせない蓬の若芽がでる頃ですが、草餅とは蓬餅だけを指すのではなくて、古くは母子草が用いられていたそうです。草餅に使用される草は、季節の変わり目の薬効も期待されていたようです。(七草などと同じですね)

雛飾りに添える菱餅は、白餅・草餅・桃色の餅の3色ですが、白・緑・桃色の三色は、それぞれ雪の清浄、よもぎの色、桃の花の色をあらわしています。 

宮中や武家においての供え餅は、下が丸餅で上に菱形の餅を重ねていました。一説には、陰と陽に基づいて丸と菱の形が用いられたことに由来するともいわれています。またインド仏典の説話にならい、菱の実の力を信じ菱餅を飾るようになったという説もあります。

 

また、雛祭りの祝いの膳に、はまぐりの吸い物が並べられるのも古くからの習慣です。
はまぐりはひとつがいの自分のフタでなければ決して合うことがない。そのことから貞操観念を教える意味でつかわれ、さざえ、まき貝には、願い事がかなうといういわれがあります。

旧暦3月3日の頃は、貝類が産卵期に入り美味しい時期です。また、一般庶民は、この時期に「磯遊び」や「浜下り」という磯や砂浜で潮干狩りのような遊びをしたといわれます。禊という本来の行事が姿を変えたものかもしれませんが、現在でも桃の節供にはまぐりを食べる習慣が残っているのは、磯遊びの名残もあるのかも知れません。

米の粉を水でこねて蒸し、いろいろな色を付け、型押しして蒸した雛あられもお祝いによく食べられました。昔、「山遊び」「磯遊び」といって山や海に遊びにいくときの、携帯おやつだったとも考えられています。

 

東風(こち)

春になると太平洋から東または北東から吹く風のことです。大陸へと向かって
吹く柔らかな風で、春を告げる梅を開花させる風としても昔から多くの歌に
詠まれてきました。菅原道真の歌
「東風吹かば 匂いおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて春な忘れそ」など、
春の代表的な風の言葉です。瀬戸内海の漁師の間では鰆東風、ひばり東風、
梅東風などと呼びながら漁の季節の目安にもしていました。

 

啓蟄(けいちつ)

二十四節気の一つで、3月の6日は啓蟄に当たります。このころになると外気も
暖かみを増して、土の色も潤んで、地中に潜んでいた動物たちが春の息吹に
動き始めます。また、土の中で冬眠していた哺乳類や昆虫類が、穴を出てきます。
立春過ぎの初めての雷を「虫出しの雷」といいますが、昔の人は春になると落雷に
驚いて虫たちが目覚めると考えていました。気温が上昇して、およそ1日の
最低気温が5度以上になると、多くの生物は活動を開始します。人も重いコートを
脱ぎ捨て、卒業、就職、転勤と動き始める時期でもあります。

 

水温む(みずぬるむ)

凍っていた沼や池の氷もとけ、少しずつ温まり、冬眠していた魚が動き出し、
水草も生え始めてくる頃を言います。

 

春の錦(はるのにしき)

あまり色彩感のない風景の冬が終わり、地面に色とりどりの花が咲きようすを
美しい錦の織物に見立てたことを言います。

 

春眠暁を覚えず(しゆんみんあかつきをおぼえず)

中国、盛唐の詩人孟浩然(もうこうねん)の詩の一節。春は眠りは心地よく
夜が明けるのも気がつかなくて、なかなか目がさめないようす。

 

春風(しゅんぷう)

春の風、春風(はるかぜ)ともいいます。春に吹く東や南からの風で、
ゆたりとしたのどかな風のことをいいます。天候や気温も変わりやすくその
合間に吹く風で、長くは続きません。春の風は、木々の芽ぐみをうながし、
花の香りを運び、また花を散らします。

 

清風(せいふう)

まだ青々しい草原や冷たい雪解け水が流れる川の水面を吹き渡る春の風。
春めいた土や緑なども淡い時期だけに、風の色もまだ淡く、見えるように
吹きます。

 

春疾風(はるはやて)

一般に春の風と言えばのどかな風ですが、この季節は天候が変わりやすく、
急に激しく吹き起こる春の強風のことを言います。1日中南風が吹き、気温も
上昇しての雪崩やフェーン現象なども起こします。これは日本付近を強い
温帯低気圧が通ることが多くなるためです。また、春の強風について他に
「春嵐(はるあらし)」、「春烈風(はるとつぷう)」、「春はやち」などの
季語があります。

 

桃の節句(もものせっく)

3月3日は『桃の節句』と言われますが、これは江戸幕府が定めた五節供の
ひとつです。正月の7日に食べる七種粥の『人日(じんじつ)』(1月7日の
七種の節供)に続くのが『上巳(じょうみ)』(3月3日の桃の節供)で、
さらに『端午(たんご)』(5月5日の菖蒲の節供)、『七夕』(7月7日の
七夕祭)、『重陽(ちょうよう)』(9月9日の菊の節供)で季節の変わり目を
節日(せつにち)と呼んで大事にしてきました。現在では節句と書きますが、
もとは節供と書き、「供」はおそなえする意味です。神と供に食べ、わざわいを
祓う儀式でもありました。ですからお雛様にお供えするのは神格があるという
ことです。桃の節供は庶民に伝わり、中国から伝わったひなまつりとも一緒に
なり、女の子のまつりとして幸福と成長を願って賑やかな宴になりました。
桃といっても陰暦なので陽暦の3月3日には桃の花は、まだ咲いてはいません。
地方によっては昔の暦に合わせ1カ月遅れの4月3日に行われる土地もあります。

 

鶯(うぐいす)

春告鳥(はるつげとり)とも書くこの鳥は、姿や声がよいので室町時代から
徳川時代に最も盛んに飼育されていました。秋から冬にかけて「チャチャ」と
鳴きますが、春になると声変わりして「ホ-ホケキョ」とさえずるのは、
雌との出会いを求めて雄が鳴くからです。俗に「梅に鶯」といいますが、
ウメの木を訪れる目的は花の蜜を吸う意外に、ウメの木に多いアカダニを
食べるためです。この虫を食べるとホルモン状態が良くなり、より良くさえずると
いいます。気象庁の統計によるとこの恋のさえずりは四国、九州が3月上旬。
中国、近畿、中部、関東が3月中旬から下旬。東北、北海道は4月下旬から
5月上旬頃になります。また「ホ-ホケキョ」の後に語尾を伸ばして「ケキョ、
ケキョ、ケキョ」と鳴くのを「鶯の谷渡り」といいます。

 

春分

二十四節気の一つで、3月の21日は春分に当たります。この日は太陽の黄経
0度で昼と夜の時間の長さが等しくなります。この日を中日とした前後のそれぞれ
3日間、の計7日間を『春の彼岸』と呼びます。この時期は寺参りや墓参りの
日とされ、祖先の供養を行います。3月18日が彼岸入りで24日が彼岸開けに
なります。「暑さ、寒さも彼岸まで」と言われますが、このころから気温も
上昇して陽気も良くなってきます。昔は農家にとっては農事の始まる前の
骨休みの時期でした。

 

麗か(うららか)

童謡『花』の歌詞に「春のうららの隅田川」と歌われていますが、春の日の
良く晴れて日差しがやわらかくてのどかな様子を言います。同じ季語の『のどか』
などは時間感覚な意味合いですが、『麗か』は遠くが霞み、これが春だと
思われる雰囲気での風景のような感覚での春の把握だといえます。

 

一般に花と言えばサクラを言いますが、サクラの品種は数百種に及び、大きく
二つに分けることができます。山野に自生している野生種と品種の改良を
して作った園芸種です。野生種は海外にも広く分布していますが一般に東アジアに
多く、何々ザクラと言われるのが野生種です。ソメイヨシノ、フゲンソウと
いったように名前にサクラが付かないのが園芸種であることが多いようです。

サクラの代表的な園芸種がソメイヨシノで、オオシマザクラとエドヒガンザクラの
交配によって誕生したものです。開花時期が3月から春のサクラの開花前線となって
北上しますが、1月に咲く沖縄のヒカンザクラや5月から6月に北海道で咲く
エゾヤマザクラのように野生種は、開花時期が異なります。また野生種は種類に
よっては9月を除けば、ほぼ1年中どこかで咲いています。

ソメイヨシノは、江戸末期に現在の東京の巣鴨にあった染井村で植木屋、
伊藤伊兵衛政武が売り出し、明治になって全国に広がったといわれます。
野生種に比べて花付きが多く、葉を開く前に花が木全体をおおいつくすほどに
咲くといった特徴があり、他のサクラよりも花付きが格段に多いです。
また開花時期が短命なのも多くの人をこのサクラに引きつけた理由でも
ありました。

3月のキーワード

【自然】

春の入り、解凍、終雪、春荒れ、春雨、三寒四温、啓蟄、朧月、菜種梅霞、ヒバリ、ヒキガエル、テントウムシ、つくし、雨、ねこやなぎ、桜の開花予想

 

【暮らし】

卒業式、入学試験、年度の締めくくり、春着の用意、冬物のクリーニング、皮製品の手入れ、ひな人形の片付け、所得税の確定申告、外回りの掃除、春闘

 

【季語】

春の雪、春雷、春雨、陽炎、水温む、春の山、春社、三月尽、鷹化して鳩と為る、龍天に登る、朧月、雛あられ、菱餅、鶯、若鮎

 

【誕生石】

アクアマリン(沈着、勇気)

 

【誕生花】

菜の花(快活)、勿忘草(私を忘れないで)、もくれん(崇敬)

 

【時候の挨拶】

早春、浅春、春暖、春色、春雪、解氷、春雨、麗日、桃の節句春分、春の彼岸、卒業

 

3月の旬【魚】

【目抜】
身は適度な脂けがあり肉量も多いが、味は大味。旬は冬だが、冷凍物は年中出回る。
煮付け、鍋物、味噌漬け、粕漬け、網焼き、フライなどにする。

【ほうぼう】
早春から晩春にかけてが食べ頃。白身魚で脂は多くなく、淡白でしつこさがない。
魚臭さもあまり感じないので、刺身で食べるのがおいしい。

【さより】
晩冬から春にかけてが旬。ワタ焼けしやすいので早目にワタ抜きを済ます。淡白で上品な味わい。やや特有の生臭みがあるのでレモンや酢などの酸味を添えるとよい。

【蛤 (はまぐり)】
1年中とれるが、旨いのは12月~3月、店頭で見かけるハマグリの9割以上は輸入物である。焼きハマグリはちょうつがいの部分にある突起をこそげとっておくと、口が開いても煮汁をこぼさずに焼きあげられる。

【さざえ】
冬から春までが旬。ビタミンAが多く滋養に富む。壺焼きの合わせ具は、本命のサザエを生かすようにくせのないものを選ぶのがポイント。やはり磯の香りや舌ざわりを味わいたい。

【浅蜊 (あさり)】
アサリの旬は春先と秋で、この頃になると身も太り、旨さも一段と増してくる。
旨いというだけでなく、ビタミンA、B2、B12の含有量が多く、タンパク質や脂肪も貝類としては多い方である。

【鰊 (ニシン)】
旬は春で、2月のニシンは、はしりニシンといわれる。塩焼き、昆布巻き、鍋物などにする。また、天火に干したものは身欠きニシンといい、蛋白質や脂肪、ビタミンBが多く含まれている。ニシンの子が数の子。

【虹鱒 (にじます)】
天然物は70~80センチにも達し、マスの王者ともいわれるが、市販品は養殖物で20センチ前後が多い。産卵前の早春に味がよく、塩焼きやムニエルにすると
軽くておいしい。

【田螺 (たにし)】
淡水の巻き貝を総称してタニシと呼ぶ。水田でとれるのがタニシ。近頃では養殖物が市販されている。タニシとわけぎの味噌和えや、串に刺して味噌をつけて
焼くとおいしい。

【海雲 (もずく)】
トロミと磯の香りが身上で、主に酢の物にする。塩漬品がいつでもあるが、冬から春に繁茂し、太平洋側では2月~3月に、日本海側では6月~7月に新物が採取される。

【しらす干し】
シラスはマイワシ、カタクチイワシ、イカナゴなどの稚魚で、魚体が白い(無色透明)ものの総称。シラス干しは塩茹でしてから軽く干したもので、カルシウムをたっぷり含む。旬は春。

【小鰭 (こはだ)】
ニシン科。4~5センチのものを「しんこ」、10センチ前後を「こはだ」、15センチ以上を「このしろ」と名前が変わる。味も成長と共に変わる。しんこはサッパリした味、こはだはやや脂がのり、このしろになるとやや大味になる。
旬はしんこが夏から初秋、こはだが晩秋から冬、このしろは冬。小骨が多く、特有のくせをもつので酢でしめて用いる。こはだは寿司や酢の物などに用いる。

【槍烏賊 (やりいか)】
食べ頃は初春といわれているが、特に1月頃がおいしい。刺身、すし種として食べるほか、2月には卵巣が大きくなり、子持ちイカとして丸ごと茹でたり、煮て食べる。
肉のやわらかさと、卵の溶けるような食感に人気がある。

3月の旬【野菜】

【芥子菜】
春の芥子菜はとう立ちしたもので、漬け物にして食べるのが最適である。芥子菜はビタミン類、特にCが多く、タンパク質、繊維質、カルシウム、鉄などを含む。
辛み成分は風味が変わるのを防ぐので、長い間漬けておいてもおいしく食べられる。

【分葱 (わけぎ)】
種子をまかずに株分けで栽培するので、分葱と書く。冬から早春にかけて味が良いので、この時期に出盛りの貝類やワカメと和え物にするとよい。

【独活 (うど)】
日本古来の野菜。栽培種は早春のものが旬で、香り高い。自生の山ウドは香りが強く、歯触りもよいが、市販されているのは栽培種。東京ウド、中国地方の大山ウドが有名。
小さく刻んでアク抜きした後、醤油で食べると独特の香りが味わえる。
軽く茹でてお浸しや和えものにもよい。

【じゅんさい】
沼や池に自生する水草で、透明なぬめりの付いた春先の若い巻き葉を食用にする。
ざっと水をかけ、二杯酢やワサビ醤油で食べたり、汁の実にする。

【浅葱 (あさつき)】
1年中出回っているが、最盛期は3月頃。ネギ類の仲間のうちでは、タンパク質やビタミン類、カルシウムなどの含有量が多く、栄養価が高い。アサツキ粥は風邪をひいたときに食べると身体が暖まってよく効く。

【蓬 (よもぎ)】
草餅に入れるので、もち草とも呼ばれる。柔らかい若芽を摘み、重曹を加えた湯で茹でるのがコツ。更に水を1~2回替えながら2時間ほどさらし、団子やヨモギ飯、和え物などに用いる。

【野蒜 (のびる)】
3月~4月頃川の土手やあぜ道にみられるユリ科の野草。形はアサツキに、香りはニンニクに似るといわれ、柔らかい若芽と白い球根を食用にする。

【キャベツ】
種類が多く1年中出回っているが、3月~5月の新キャベツは葉が柔らかく、特においしい。ビタミンCの他、抗潰瘍性のビタミンU、アミノ酸が多く含まれている。
便通にもよい。ビタミンUは熱に弱いので、湯通しは手短に。

【嫁菜 (よめな)】
本州以南の山野に自生する野草。草全体によい香りがし、春先の若菜が食用となる。
また、民間薬として、煎じて解熱剤、利尿剤として使われてきた。塩や重曹を入れて茹で、アク抜きして使う。

3月の旬【果物】

マスクメロン】
熱帯の乾燥地生まれで、湿気を非常に嫌うので、日本では温室でしか栽培されない。
そのため1年中出回るが、風味がよいのは1月~3月頃である。このメロンばかりは専門家が指定した食べ頃の日を守るのが肝心。当日までは冷蔵庫に入れないようにする。

【伊予柑】
1月~5月頃まで店頭に並ぶが、2月~4月が旬。へたの落ちたものは鮮度が低下しやすい。果肉が軟らかく、そのうえ果汁が多くて甘みが強く、酸味は弱いので生食したり、ゼリーやシャーベットに利用するのもいい。

【レモン】
酸味が強く、酸性食品と思われがちだが、実はアルカリ性食品。旬は特になく、1年中とれる。ビタミンCやクエン酸を多く含み、内臓の働きを活発にさせ、疲労回復やスタミナ増強に役立つ。美容、健康にもよい。農薬が付着している場合があるので、必ず洗ってから食べる

コメント