伝統生活

【2月といえば】日本の伝統行事・食べ物・風物詩【歳時記】

【2月といえば】日本の伝統行事・食べ物・風物詩【歳時記】 伝統
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歳時記 2 月

2月は、節分・立春と暦の上では春ですが、「春は名のみの風の寒さや」の早春賦の歌詞のとおりまだまだ寒さの真っ只中です。でも、陽射しの中には、春の明るさが感じられて嬉しいものです。如月とは、萌揺月(きさゆらぎづき)、草木が萌え出づる月という意味です。

 

2月の異名・異称

如月(きさらぎ )
衣更着(きさらぎ)
仲春(ちゅうしゅん)
美景(びけい)
恵風(けいふう)
仲陽 (ちゅうよう)
夾鐘(きょうしょう)
花朝(かちょう)
木の芽月(このめづき)
小草生月(おぐさおいづき)
梅見月(うめみづき)
梅津月(うめつつき)
梅津早月(うめつさつき)
麗月(れいげつ)
雪消月 (ゆきぎえづき)
建卯月(けんぼうげつ)
初花月(はつはなづき)
春分(しゅんぶん)
令節(れいせつ)
星鳥(せいちょう)

さらに詳しく
『月名の雅語・古語』一覧 |陰暦の名称・別名・異名・異称

 

2月の風物詩・行事・食べ物

 

節分

今年は2月3日が節分ですね。本来、節分というのは立春・立夏・立秋・立冬の前日のことで、四季の分かれ目を意味しています。立春の日、古代中国では天子が群臣を率いて東方に出て春を迎え、農業開始の日を祝いました。

暦によって一年の始まりのとらえ方はいろいろで、冬至、太陽暦の元日、陰暦の元日(陰暦でも新月(朔)と満月(望)[一般に小正月とか女正月といわれています]があります)、それに旧暦では立春正月といってこの立春もそうなのです。

立春が1年の初めと考えられることから四季の節分のうちでも春の節分が最も重視されて、一般に「節分」といえば春の節分を指すものとなっています。立春を新年と考えれば、節分は大晦日に相当する訳で、節分には前年の邪気を祓う追儺(ついな)の行事が行われます。その代表が「豆まき」です。 もともとは中国から伝えられた習俗ですが、我が国でも広く行われるようになりました。

このため、節分行事を大晦日や小正月の前夜に行う地域もありますし、逆に節分を節変わり、年取り、年越しと呼ぶところもあります。

 

追儺

追儺(ついな)の行事は「鬼やらい」「なやらい」「鬼走り」「厄払い」「厄おとし」「厄神送り」等と俗に称せられ、疫病などをもたらす悪い鬼を駆逐する行事をいいます。

中国では「儺(な)」と称し、商(紀元前14・15C)の時代から行われていました。儺は除災と招福を目的とする習俗として今日でも中国各地で行われています。

我が国で、この追儺(ついな)の行事が行われたのは、文武天皇の世、慶雲3年(706)に疫病がはやり多くの百姓が死んだため、宮中で「土牛」を作って疫気を祓ったと続日本紀に出ています。この土牛を使う儀式は中国の礼記に「土牛を作りて寒気を送る」とあることを参考にしたものといわれます。平安時代には、大寒(12月節)の日に宮中の12の門に12組の「土牛童子(童子が牛を引く形の人形)」を立て、これを立春(1月節)の日の前夜半時に撤去するようになりました。

宮中では陰陽師が祭文を読み、方相氏が鬼の姿をして災害や疫病などの災いに見立て、また黄金の4つ目の仮面に矛(ほこ)と盾(たて)を持った者が「鬼やらい、鬼やらい」と言って豆を撒きながら悪魔悪鬼を追い払い新しい年を迎えました。

後世になりますと、一般の神社やお寺でも節分の夜に豆まきが行われるようになりました。江戸時代にはいると宮中の行事ではなくなり、民間で広く行われるようになり今日に至っています。各地のお寺ではこの頃に修二月会とか修二会と呼ばれる追儺の儀式が行われています。特に奈良東大寺二月堂のものは「お水とり」として有名ですね。また、法隆寺の修二月会は平安時代の宮中の追儺の儀式に一番近い形を残していると言われます。

陰陽師の登場でお察しのとおり、追儺の行事は陰陽五行に深く関連があります。
「土牛」は、 十二支の丑のことで五行では土に当たります。また暮の12月も十二支でいうと丑の月です。「鬼」という字は訓読みで「おに」と読んでいますが、「おに」という日本語の語源は「おん」つまり「陰」のことです。目に見えない邪気のことを「おに」と言ったわけですが、十二支の丑というのも陰陽でいうと陰になります。また「童子」というのは易でいうと艮(山)という卦になります。これは方角としては東北、つまり丑寅の方位。丑月は12月、寅月は1月ですから、この童子は12月から1月への時間の遷り替わりを表わしています。丑寅の方位は、古来より鬼門と呼ばれ鬼の出入りする方角ですから、「土牛童子」は、邪気を集めるためのもので、それを捨てて邪気を祓うということになります。

また、豆まきの豆は大豆ですが、硬くて「木火土金水」の五行では「金」に属します。古来疫病や災厄というのも金気に属するものと考えられていました。この大豆は最初煎ることによって火気にあてられ「火剋金」の原理で剋されて、「鬼は外」といって外にまかれて捨てられたり、「福は内」といってまかれてから人々に食べられたりして、要するに豆はみんなやっつけられてしまいます。ですから豆というのは実は鬼をやっつける道具でありながら実は鬼そのものにも見立てられるわけです。豆まきというのは邪気を祓うとともに、「金」の気を剋することで「金剋木」で金気に剋されるはずの「木」の気、つまり春の気を助ける行事、つまり春を呼ぶ行事でもあるのです。

豆まきの大豆は、鬼の眼である魔目(マメ)が、再び生き返らないように、豆を炒り芽(目)が出ないようにします。大豆は日本人にとって、味噌、豆腐、醤油など私達の生活に欠かせない大切な作物です。この大豆の持つ力に霊力を与えて、鬼を滅する魔滅(まめ)という字もあてられます。豆は「福豆」と言って節分の夜に、自分の年齢よりも一つ多く食べる…福を新年の分も一緒にいただく、という意味があります。

門守り

主に西日本では、節分に塩いわしを焼き、家中、匂いと煙りを一杯にして鬼を追い払い、柊の針で鬼の眼を刺すといって、その頭を柊(ひいらぎ)に刺して軒先きに飾る習慣がありました。

柊を備えることは、歴史的には豆まきの風習よりもずっと古く千年をこえます。柊は年月を重ねると棘が無くなり、葉が丸くなることから、「老いては角がとれて丸くなる吉祥木」とされています。

にんにくや、ネギ、髪の毛という地方もあるようです。いわれはよく分かりませんが、いづれも邪気を祓うためのものです。

太巻きの丸かぶり

恵方(えほう)を向いて巻き寿司(関西では太巻きと言います)を切らずに無言で食べる風習です。恵方(えほう)というのはその年に美しき歳徳神がいる方角です。巻き寿司を使うのは「福を巻き込む」からで、「縁を切らないために包丁を入れない」ということで、まるごと食べることになったそうです。

【節分の日】恵方巻き食べる日にちと方角一覧【2019年-2075年】

 

鬼といえば、角(つの)をつけ、大きな牙をもち、虎の皮のふんどし姿をしていますが、これは「鬼門」からきているものです。陰陽道で、鬼や妖怪、死霊などが住んでいる方向あるいは出入りする方向が鬼門であり、北東つまり丑寅の方向であったので、虎のような牙とふんどし、牛のような角の姿となったのだろうといわれています。

「鬼」は、怪物の頭、人、密かなものという意味をもった字が、組合わさってできたもので、祀られざる死者の魂のことを表しているといわれます。また、「鬼」という字は訓読みで「おに」と読んでいますが、「おに」という日本語の語源は「おん」つまり「陰」のことです。つまり、目に見えない邪気のことを「おに」と言ったわけです。 全国各地の鬼をみてみると、角のない鬼らしきものもありますし、一本角の鬼もいます。要するに「姿のない目に見えないこわいもの」では恐怖がつのりますから、鬼の姿をつくり出して、自分たちに災いをもたらすものを鬼に置きかえたのですね。

「日本書紀」斎明天皇7年(661)8月には、大笠をかぶった鬼が天皇の御大葬をのぞき見ているという記述があるようですが、ここでは危害を加える鬼というのではありません。

鬼が暴れ出すという記載が見られるのは奈良時代に入ってからです。「日本霊異記」や「今昔物語」などには、行きどころのない横死者、祀られない霊といった死霊・怨霊が鬼となって、その場所を訪れた人間に危害を加えるといったタタリとしての鬼の存在が説かれています。
ところが、室町時代になると、恐ろしい鬼の面影はなく、ユーモラスで逆に人に恵みをもたらすという鬼が登場します。たとえば、「一寸法師」では、一口で鬼に呑み込まれてしまった一寸法師が、針の刀で鬼の腹を突きまくると鬼は降伏します。あわてた鬼は望みの物を何でも出すことの出来る「打出の小槌」を置いて逃げてしまいます。姫君が小槌を振ると、一寸法師はたちまち大きな若武者になり金銀財宝を打ち出し、姫と結ばれハッピーエンドという物語です。

年中行事の上からも招福的な鬼として、秋田県のナマハゲ、屋久島のトシノカミ、沖縄の赤マタ・黒マタなど「幸せをもたらす鬼」が登場します。このように、鬼には「恐ろしい鬼」と「幸せをもたらす鬼」の二種類の鬼が存在することがわかります。

一般的には「福は内、鬼は外」というのが普通のようですが、地方によっては「福は内」だけのところもあります。また、奈良の吉野の金峯山寺では「福は内、鬼も内」と、他とは違ったかけ声で豆まきが行われます。豆を投げられ追い払われた鬼達は、金峯山寺に迎えられ、鬼火の祭典で今までの悪行を改心して「良い鬼」になるそうです。 東京雑司ヶ谷の鬼子母神でも「鬼は内、福は内」といいます。こちらは「鬼は外」では、祭神を追い出すことになってしまうからだそうです。

一般的な「福は内、鬼は外」のやり方で鬼を一方的に追い出すのでは確かに外の世界は鬼だらけになってしまうような気もしますね。

 

お化け

「お化け」といっても、幽霊の方ではありません。節分の日に、性別や年齢・社会的身分が異なる衣装を身につけるのです。還暦を超えた人が島田を結って振り袖を着て娘の恰好をしたり、男性が女装したり、擬ったものでは、花魁の姿や歌舞伎の女形などに「化けて」縁起を祝ったもので、 人々が仮装して厄払いに神社に詣る「お化け参り」の風習もありました。
一般家庭でも、江戸時代から明治の末頃まで、関西を中心に行われていたといわれていますが、京都では昭和に入ってもずいぶん後まで残っていた風習です。
「この日鬼に睨まれたとき、後で仕返しに来ても分からないように」などと理由はいろいろいわれていますが、冬から春への境目の日に、 変身願望のにじみ出た「お化け」の風習が蘇ると、少しは、社会のストレスも解消されるかもしれませんね。

現在は、この節分の「お化け」の風習は、花街に残っていて、夜になると芸妓さんや舞妓さんたちが二三人の組みになり、それぞれ自分たちの好きな仮装をして、「今晩は、お化けどす」といってお座敷を廻ります。時には、お客さんの方も芸妓姿に変身して待っていたりと、いろいろと面白い趣向が楽しめる日です。

 

初午

二月になって最初の午の日が初午(はつうま)ですが、この日は稲荷神社の祭りです。お供えの油揚げを神棚に備えます。油揚は神の使者であるキツネの好物で、油揚を初午に食べる習慣もそこからきています。

 

節分(せつぶん)

2月3日は節分。本来は季節の変わり目を言う言葉で、立春、立夏、立春、立冬の前日を言いました。ですが室町時代からは立春の前日が重んじられるようになり、現在まで続いています。季節の変わり目には、病気になりやすく病魔や悪鬼が横行すると思われて来ました。それを追い払う行事として行われるようになりました。

 

立春(りっしゅん)

節分の次の日の2月4日は、二十四節気のひとつの立春に当たります。
この日が二十四節気の最初の節であり、古くは立春を1年の始まりとしたために、この日から数えて88日目が若葉が茂る八十八夜、さらに210 日目が台風が来る二百十日になります。暦ではこの日を境にして春になると考えられ、春の気配が表れて来る日でもあります。曹洞宗では立春の日に「立春大吉」と書いた札を、玄関などの家の入口に張る風習もあります。

 

凍解(いてどけ)

冬に凍てついたものが一斉に解け始めることをいいます。春の日差しで凍っていた池や湖、大地などが、ゆっくりと解けていきます。そして気温が5度から10度になると植物は冬眠からさめ活動を始めてきます。

 

余寒(よかん)

立春後の寒さのことを言います。寒の戻りのように寒さは開けたのに、まだ寒いとやや怨みがましい思いも込められています。

 

雨水(うすい)

二十四節気の一つで、立春の後の15日目の19日が雨水に当たります。雪が雨に変わり、雪や氷が溶けて水となるころなので、こう呼ばれました。また、冬型の気圧配置が崩れるころで太平洋側や関東でも大雪が降るのがこの頃です。北国ではまだ雪が深いですが、農家では農耕の準備に入ります。

 

春一番(はるいちばん)

春になって初めて吹く強い南風のことで、春の嵐でもあります。もともとは漁師たちが使っていた言葉で、2月下旬の頃が東京、大阪での春一番の時期です。
春一番で木々の芽がゆるみ、春二番で花が咲き始めて春を告げる風でもあります。

 

下萌(したもえ)

春になって草の芽が地上にのびて出てくることを言います。冬枯れの地面から顔を出す新芽は、植物の力強い生命力を思わせます。雪国でも雪が溶けるとその下には淡い緑の芽が出ており、春を雪の中でもひたすら待ち続けています。

 

駒返る草(こまがえるくさ)

冬の間は一面が枯れているように見えた草が、春になり、急にいきいきと蘇ることをいう。一般に「駒返る」とは、年老いた人がふたたび若返るさまを表す言葉。また「若返る草」ともいいます。

 

雪間草(ゆきまぐさ)

春になり気温が暖かくなり、まわりの雪がとけ始め、その間から萌え出た草々をいう。春が遅い雪国では、春の到来を告げるものとして歓迎されます。

2月のキーワード

【自然】

大雪、立春、梅花前線、異常乾燥、寒もや、雪崩

 

【暮らし】

旧正月、虫干し、一酸化炭素中毒予防、豆まき、防火対策、もどり寒波、スキー・スケート靴の手入れ、成人病検診、アルカリ性食品で栄養バランス、入浴で血行をよくする。

 

【健康】

乾布まさつなどで皮膚を鍛える、ガス中毒の応急処置、しもやけ、あかぎれ、ひび、感冒、高血圧、脳卒中、心筋梗塞

 

【花】

オウバイ、カンボケ、ロウバイ、マンサク、ハナサフラン

 

【園芸】

蔓ものを棚、竹垣、ポール、アーチなどへ誘導(クレマチス、ツキヌキニンドウ、ツルバラ、ノウゼンカズラ、ビグノーニア、フジなど)、施肥(1月にやり残した寒肥を与える。シジミバナ、シモツケ、ツツジには油粕や鶏糞、ボケには油粕鶏糞、骨粉、木炭を。ボタンには油粕の腐汁、即効性の化学肥料を与える)病虫害防除(アジサイ、バラ、ボタンに石灰硫黄合剤を散布する。新芽や新葉のないこの時期が最適)鉢替え根切り、サクラソウの植え替え。

 

【季語】

立春、早春、寒明、春浅し、残雪、春寒、東風、雪解、雪しろ、冴返る、春めく、余寒、遅春、二月尽

 

【誕生石】

アメジスト(誠実)

 

【誕生花】

スイセン(高潔)、スイートピー(恋の楽しみ)、ヒヤシンス(戯れ)

 

【時候の挨拶】

節分、立春、晩冬、春寒、余寒、残寒、寒明け、梅のつぼみ

 

2月の旬【魚】

【鱈(たら)】
12月~1月に旬を迎え、冬の味覚の筆頭にあげられる。タンパク質、脂肪分が少なく、淡白な白身である。タラの卵巣はとても栄養価が高く、代謝機能を活発にするビタミンB2が多く含まれている。

【金糸魚(いとより)】
脂ののった白身で、何にでも向くが、骨が堅く、身が柔らかいので扱いを丁寧に。
焼く場合には網でなく、金ぐしを打つとよい。

【白魚(しらうお)】
淡白な味でほのかな甘みがあり、春の魚として好まれている。大根おろしと共に生で食べたり、天ぷらやフライ、卵とじ、吸い物やすし種としても使われる。

【公魚(わかさぎ)】
旬は冬。1月~3月頃がワカサギ釣りの最盛期。小骨が気にならないので食べやすく、フライや佃煮にして食べる。産卵は早春で、卵を持ったメスが美味である。

【笠子(かさご)】
冬が食べ頃。白身の魚で大変おいしいが、刺(とげ)が多く、さばき難いのが欠点。
刺し身で食べる時はとれたてか、その日にとったものを使う。歯ごたえがあり、なめらかでプリプリし、甘みもある。吸い物や味噌汁、煮付けにしてもおいしい。

【鮪(まぐろ)】
黒マグロの旬は脂ののる冬。マグロの赤身と脂身とでは、脂肪分量が大きく異なり、特に旬の頃の大トロの脂肪含有量は40%にも達する。他にマグロには、ヒスチジンやアンセリンなどのエキス成分がたっぷり含まれている。

2月の旬【野菜】

【小松菜】
寒さが本格的に厳しくなる頃が旬の、冬の代表的な青菜。ビタミンA、B2、
Cを多く含み、カルシウム、鉄分も含んでいる栄養価の高い野菜。

【チンゲンサイ】
中国野菜で、冬場の貴重な青物として、お浸し、汁もの、中国料理に利用されている。
くせがなく、白菜のような歯触り。ビタミンA、カルシウムやカリウムを多く含んでいる。

【独活 (うど)】
寒ウドは早生で11月~2月が旬、春ウドは4月~6月が旬。アクが強く、ビタミン類はアク抜きの際に流出してしまうが、独特の香りとさくさくとした葉ざわりは、春の山菜らしい味わいがしてよい。

【ふきのとう】
フキの花蕾がふきのとう。旬は冬で、自生のものよりハウスものの方が柔らかい。
アク抜きをして、天ぷらやみそ汁の実にしたり、刻んで甘辛味噌のあんにしてもおいしい。ほろ苦い風味を楽しむ。

【菜の花】
春を告げる緑黄色野菜。花蕾型のものはビタミンA、C、カロチンが多く、カリウム、カルシウムを含む。

2月の旬【果物】

【りんご】
りんごの旬はもう終わったが、フジなどが店頭に並ぶ。果肉は多汁で締まっており、日本人好みの味。貯蔵性も高い。5月~8月頃まで輸入りんごが並ぶようになり、一年中店頭でお目見えできる果物となっている。

【八朔】
12下旬から収穫が始まり、貯蔵後1月~5月の間に出荷され、2月~4月が一番の食べ頃となる。肉質がかたいため、歯ごたえがあり、食味のよい柑橘類である。
紅ハッサクは従来のハッサクよりも果皮や果肉の色が濃く、甘みが強い。

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