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伝統生活

【1月といえば】日本の伝統行事・食べ物・風物詩【歳時記】

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【1月といえば】日本の伝統行事・食べ物・風物詩【歳時記】 伝統
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歳時記 1 月

 お正月になると、「今年こそは」と思いを新にされる方も多いかと思います。
 お正月は、日頃、生活に追われて忘れているものを思い起こさせてくれるよい機会でもあります。
 お正月のいろいろな習俗には、単なる語呂合わせのようなものもありますが、その奥には、私たちの祖先が精一杯生きていくなかで、いかにより幸せに生きるべきかという神仏への切なる願いがいたるところにこめられています。それが長い間の伝承となって現在のしきたりをつくっているのです。

 

1月の異名・異称

孟春 (もうしゅん)
元月 (がんげつ)
早緑月 (さみどりつき)
正月 (しょうがつ)
年始月 (としはづき)
太郎月 (たいろうげつ)
祝月 (いわいつき)
陽春 (ようしゅん)
初春月 (はつはるづ き)
霞初月 (かすみそめ づき)
初空月 (はつそらづき)
子の日月 (ねのひつき)
十三月 (じゅうさんづき)
年端月 (としはづき)

さらに詳しく
『月名の雅語・古語』一覧 |陰暦の名称・別名・異名・異称

 

1月の風物詩・行事・食べ物

 

元旦

元旦は、そもそも一年のはじまりとして、正月の満月の夜、年神を迎えて旧年の豊作と平穏とを感謝し、あわせて今年の豊穣と平和とを祈念する日でした。

元とは「はじめ」ということで、旦は「日の出、朝」の意味です。「年」「月」「日」の三つのはじめを「三元」といい、年の始めの日つまり三元の日の朝が元旦なのです。

農業を営む人々にとって、太陽の運行と同時に月の満ち欠けも大切なもので、古くより祝儀礼を年初の満月の日に行うことがなされていました。旧暦では正月(旧正月)を立春の頃としていたので、その始めを新月の朔日である大正月と満月の望の日の小正月とする二通りがあったのです。明治6年から日本では太陰太陽暦(天保暦)を廃止して、太陽暦(グレゴリオ暦)が採用されたため、満月と小正月の十四日・十五日が一致しなくなって現在に至っています。

正月の行事は地域によって違いがあますが、元旦を中心とした大正月と、一月十五日を中心とした小正月に集中しています。大正月には年神や祖霊を迎える性格の行事が多く、小正月には五穀豊穣を願う農耕の祝的行事が多く見られます。現在一般に正月といえば大正月のことをさしますが、小正月を祝う風習が今でも盛んに行われているところも多く、昔のしきたりもまた伝承されて、繭玉、削り掛け、粟穂・稗穂、庭田植え、成木責め、年占、小豆粥、粥占、なまはげ、かまくら、鳥追い、左義長、どんど焼き…など、地方色豊かで長い歴史と伝統を持った行事が各地でとり行われています。

 

年神

元旦は年神を迎えるときでもあります。
中国では、「とし」は尭舜時代には「載」、夏王朝では「歳」、殷王朝では 「祀」、周王朝では 「年」と書きましたが、「とし(年)」はもともとは、稲(米)でした。 「とし」は「稔」であり、稲穂が実り熟すことを祈り念ずる意から、稲が実って一巡する期間を「年」といったのです。
また、古くは正月は盂蘭盆に対応し、半年ごとに祖霊を祀る大きな年中行事とされていました。
ですから年神は大きく分けて二つの性格をあわせ持っているのです。一つは豊作をもたらすの田の神(作神:五穀を司る神)の性格、もう一つは各家の祖先の霊―祖霊的性格です。
一方、陰陽では歳徳神といって人間の世界に来訪する神霊を年神としました。

陰陽の年神は、婆謁羅(しゃから)竜王の娘で、慈悲の姿となって現れる女神・頗梨采女(はりさいじょ)をいいます。頗梨采女は祇園精舎の守護神である午頭天王の后であり、方位の吉凶を司る八将神の母です。午頭天王は武塔天神ともいわれ、日本の御霊信仰に習合して疫厄を払う神として信仰され、そして神仏習合によって須佐之男神(すさのおのかみ(素盞鳴命:すさのおのみこと))に垂迹したとされています。 現在は八坂神社に祀られて祇園信仰となっています。

古事記によると、須佐之男神の子が大年神(おおどしのかみ)と宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)であり、大年神の子が御年神である。宇迦之御魂神は稲の精霊で、大年神は稲作の神、そして御年神は稲の守護神です。また、稲は大宜都比売神(おおげつひめのかみ(保食神:うけもちのかみ))の眼から出たのを神産巣日神(かみむすびのかみ)が取り出して種子にしたと記されています。さらに、豊受大神(とようけのおおかみ(豊受気比売神:とようけひめのかみ))も稲の精霊として、伊勢の外宮に祀られています。

年神の霊魂は、人間に再生産の力を与え、新たな息吹きで人間に力を復活させるのです。元旦に交わす「おめでとうございます」の挨拶は、新たな年に迎えられた年神を讃える言葉として交わされるものなのです。

 

門松

本来正月飾りは、年神を迎えるための依代(よりしろ)として榊、樫などの常緑樹が用いられていましたが、平安時代頃から神待つ木という意味から松が使われ、神の降臨する神聖な木として尊ばれました。
松には、「松柏(まつがえ)の」という形容詞があるように、厳寒にも葉の色を変えず、艱難に耐え、固く節操を守るという意味があり、樹脂は松明として闇を照らし、松の葉の輪生は一家団欒を表し、対生は夫婦和合のしるしなど、平和、繁栄を示しています。また、樹齢も長く、松の花は「十返花(とかえりのはな)」といわれ、千年に十回花を咲かせるという長寿のシンボルでもあります。 竹も緑の葉を絶やすことなく、また竹の子が出ることから子孫繁栄を意味します。

古くは12月13日に松迎えをして、12月20日から28日の間に、門などに門松として、松を立てるしきたりがありました。29日に立てるのを「九松」(苦待つ)、31日には「一夜松」(誠心のない意)といって忌み嫌われています。 また取り外す日は正月七日あるいは十五日とする例が多い様です。

鎌倉時代に竹を加えて松竹となり、江戸に入ってから一対にして向かって右に雌松、左に雄松を竹とともに立てるようになりました。

 

注連飾り

もとは一本の縄であったものが多様化し、装飾的になり、現在見られる様な形となりました。 注連飾りは、輪飾り、大根じめ、牛蒡しめなど、また注連縄につけるものとしては、裏白、橙、譲り葉が一般的ですが、地域によって様々です。 しめ縄は本来、内と外とを分け、災い、不浄なものの進入を防ぐ結界として神社などの聖域にはり巡らされるために用いられてきたものです。

 

鏡餅

鏡餅は垂仁天皇の時、大国主命が大田田根子命(大物主神の娘)に、元旦に紅白の餅を荒魂(あらだま)たる大神に祭れば幸がくると教えたのがはじまりということですが、年神の御神体が鏡餅です。

古代より鏡は祭祀用具として使われてきました。現在でも神社の御神体であったり、棟上げのとき幣帛と共に柱にかけたりして神事に用いられています。鏡は、本来神の宿るところであり、神そのものと考えられたのです。
また、餅はハレの日の食物であり、餅には稲の霊が宿り、餅を食べるものには力が与えられると考えられました。 餅は、望月の望(もち)に通じ、まんまるな形から、円満を表徴しています。

年神が宿る鏡餅は、神聖なものとして、 三方に奉書紙を垂らして敷き、鏡餅は上に橙(だいだい)を置き、裏白、昆布、ゆずり葉などを間に敷き、四手を垂らして飾られます。

 

橙(だいだい) 

倭訓栞(江戸時代)に「だいだい、橙をいふ、ほぞに台ふたつ有るをもて名づくといへど、その実あからみて後も落ちず、来年実る時まで青し、よって回青橙の名あり、四五年も落ちざるあり、されば代々といへる義なるべし」とあり、冬に黄熟したものが翌年の夏には再び緑に戻るところから回青橙とも呼ばれ、一度実がつくと4,5年は落ちずにいることから、長寿の家族に見立てられ、代々家が続くという語呂合わせの縁起としてもめでたいものとされています。

裏白(うらじろ) 

常緑の歯朶で、「歯」は年齢を表し、「朶」は枝の意で、表は緑で裏が白いので、「裏を返しても心は白い」として心にくまなき潔白と白髪になるまでの長寿を表しています。また、古い葉が落ちないで新芽が重なって生ずるので、家族の繁栄を示し、さらに、葉柄が対生しているのを諸向(もろむき)といって、夫婦仲が良いことを表しているといわれます。

譲葉(ゆずりは)

 ゆずりはは親子草ともいわれ、新しい葉が成長した後で古い葉が落ちるので、親から子へ代々家督を譲って子孫が長く続くことを願って用いられています。

昆布(こぶ)

こんぶは悦ぶ(よろこぶ)に通じます。広布(ひろめ)とか夷子布(えぴすめ)といわれ、恵比須にかけて縁起をかついだものです。
串柿  柿は長寿の木です。柿は嘉来(かき)の字をあて、幸せをかき集め、厄をかき取るの意があります。柿をつるすには「外ハニコニコ、中ムツマジク」 といい、外側に二個ずつ、内側に六個を串にさすとよいとされています。

穂俵(ほだわら)  

実が米俵に似ているので、稲の穂と米俵になぞらえ、豊年を祈る気持ちを表しています。

四手(しで)  

四手は、御幣、紙垂ともいい、和紙を三刀四下りといって、和紙に三箇所切り口をいれて折られたものです。
稲の穂の垂れ下がった姿をかたどったもので、豊作を願う神事に使われるものでしたが、神聖、清浄などの意味を持つようになり、注連縄に下げたり神前に捧げる玉串につけて垂らし、また神主がお祓いに使う幣帛 (へいはく、みてぐら)にも結ばれています。

古くは一日の終わりが日没と考えられていたので、一年の終わりは大晦日の日没とされ、正月の年神祭りは大晦日の夕刻から始まるとされていました。

身体を洗い清め、年神への供物をし、家族揃ってお節料理を食し、寝ることを忌しんで年神を迎え神人交歓する。早朝には年男が汲んだ若水で洗顔したり、またお茶を入れ、雑煮を作って飲食し新たな年を祝う。年神に供えた餅の一部を年長者から家族に分配する。これが神の霊がこもっている年玉です。
そして皆そろって一つ年を重ねるとされました。古くはこうして囲炉裏を囲んで家族揃ってお正月を迎えたのです。

 

大晦日の食事

地域によって様々な伝承があり、この日の夜の食事は特別なものとされていました。魚を用いた食事が多い様です。そばやうどんを食べる習慣は各地で見られ、 年越しそばとか晦(つごもり)そばと呼ばれてます。そばには長いものを食べると長命になるという縁起担ぎの意もこめられています。

 

除夜

除歳、除夕ともよばれます。旧年を除く意味で、大晦日の夜のことをいいます。年神を迎えるため、夜を徹する風もあります。寺では、百八つの除夜の鐘が撞かれます。百八つは人間の煩悩の数だとされ、除夜の鐘はこの煩悩を消し去るのだそうです。

 

若水

元日の早朝にその年初めて汲む水のことで、初水、福水とも呼ばれています。年神に供え、正月の食事の支度や、洗顔にも用います。若水を汲むことを若水迎え、若水汲みといい、水道が普及するまでは各地で正月儀礼の一つとして行われていました。 若水を汲むのは年男の役目とする所が多く、水を汲む場所は掘り井戸ですが、井戸が掘られる前は川や泉でした。 土地によっては水道が普及した後でも、川や泉で汲むという旧慣を守っているところもあるそうです。

若水でいれたお茶のことを福茶、大福茶といい、ほうじ茶や番茶に昆布、ちょろぎ(または小梅)を入れて頂きます。

 

初詣

元旦には年神を迎えますが、年神は元旦に恵方から来るといわれます。
その年に年神が宿る方角は縁起の良い方角とされていて、その方角を「恵方」(えほう)といいます。

恵方は明きの方、兄方、天徳などともいわれ、その方向に向かってゆくと、年神によって福が与えられるといい、家の中では「恵方棚」といって恵方に神棚を設け、年神に豊作を祈るのです。

初詣は、この「恵方参り」に由来するもので、その年の恵方にあたる神仏に参詣して、その年の豊穣と家内安全を祈願するものです。現在では恵方の感覚がなくなり、昔は元旦のみに限られていたものが、現在では正月三が日に参詣しても初詣というようになっています。

また、古くは一日の終わりが日没と考えられていたので、一年の終わりは大晦日の日没とされていました。大晦日の夜に社殿で徹夜をすることが各地でみられ、これを年篭りといいました。今日では一日の区切りは夜中の零時になり、そのため大晦日の夜に詣でる除夜詣でと、年が改まって元日に詣でる初詣とが区別されるようになりました。

 

節供と年玉

正月に年神を迎えるときには、神に供え物を捧げ、年神からは新しい魂が分け与えられます。

現在の節供は、特定の年中行事を意味しますが、本来は、神への供物が「節供」で、神から与えられる魂が「お年玉」です。

「節」とは神祭りの日のことで、「節供」とは、神の到来する節の日に神に供える供御のことです。

正月が最も重要な節の日であるため、年神に供える料理を「節供料理」というようになり、縮まって「おせち」となりました。 年神を迎える正月は家族が一同に会し、供物の一部を分かち食する「直会」を行い新年を祝いました。 現在、一般的にお節料理と言えば重箱に盛られた重詰めの料理のことをいいますが、 本来の意味からすると雑煮や屠蘇もお節料理の一種と考えられます。

また、「年玉」は「年魂」で、年頭にあたって年神から授かる魂なのです。

 

屠蘇

正月には屠蘇を飲みますが、屠蘇は肉桂、山椒、大黄、白朮、桔梗、細辛、乾姜、防風などを調合した屠蘇散を三角の紅の帛衣に入れて洒や味醂に浸したものです。屠蘇とは、鬼気を屠絶し人魂を蘇生させるということで、一年中の邪気を払って延命長寿を願うために飲む洒です。

屠蘇は年少の者から順に東を向いて飲むというしきたりがあります。長幼の序の厳しい中国に、小さい者は歳を得るので酒を先にし、老いたる者は歳を失うので酒を後にするという教えのためといわれています。

日本へは平安初期の嵯峨天皇の弘仁年間(810~824)に伝えられ、宮中で用いられました。元日から三日間御薬を天皇に献じ、一献は屠蘇、二献は白散(白朮、桔梗、細辛を調合して温酒で飲む)、三献は度嶂散(麻黄、山椒、白朮、桔梗、細辛、乾薑、防風、肉桂を調合したもの)を入れたもので、「御薬を供ず」といいました。

 

雑煮

正月の食事は雑煮からはじまりますが、雑煮に餅は欠かせません。餅はハレの食事を意味します。

年越しの夜に神を迎えて、年神に捧げた神供をともに食べ(相嘗:あいなめ)ることによって、神と人がよろこびをともにする「直会」といわれてます。

大晦日の夜に年神に捧げた供御をいただいて、聖なる火で煮炊きして神とともに食事する、それはハレの日の膳であり、直会(なおらい)の膳なのです。 年神に捧げた神供と同じものを神の前で食べ、 身体の内におさめることによって年神の魂(力)を授かるというのです。

雑煮で正月を祝うようになったのは室町時代といわれています。雑煮は、餅が臓腑を保養するところから「保臓(ほうぞう)」といい、本字は烹雑で、烹は煮と同じであるから雑煮になったそうです。(貞丈雜記)

雑煮を食べるときは、柳の白木で少し太目につくった柳箸を使います。
柳は枝が水につかっているので、水の霊気に清められているということで、聖木とされています。また「家内喜(やなぎ)」にかけてめでたいといい、柳箸によって邪を払い、一年の息災を祝います。やなぎの漢字はき(木)と卯を合わせた字で卯は東,春陽を意味します。このように柳は初めから陰を屈服させ悪魔を退ける木としてよく知られてきました。

 

お節料理

三つ肴

正月元旦、年神を迎えて神とともに祝い、神に幸を祈る膳がお節料理です。
「三つ肴」または「祝い肴」といって、この三種でお節料理を代表するものがあります。
三つ肴とは、関東では黒豆、数の子、五万米(ごまめ)をいい、関西では黒豆、数の子、敲牛蒡(たたきごぼう)をいいます。

黒豆

黒という色は道教では邪除けの色として尊重されています。語呂合わせですが、まめに暮らせるように一年の無病息災の願いがこめられています。 昭和初め頃までは座禅豆と呼ばれており、座禅豆を正月にいただく風は江戸時代後期にはあった様です。黒豆のなかに赤くまざっているチョロギは、草石蚕または朝露葱と書きますが、千代老木、長老貴などの字を当てることも多く、まさに正月の縁起物です。チョロギはその形から米俵を表し、色合も含めて黒豆のなかに入れます。

数の子

鰊(鯡)の子です。鰊は春告魚とも書き、春に先立って訪れる春の使者です。鰊はまたアイヌ語で「かど」ともいわれ、かどの子がなまって数の子と呼ばれます。子孫繁栄にかけて、お節の中に入っています。

五万米

片口鰯の幼魚を干したものを妙って甘辛く煮つめたものですが、むかし、天皇家の財政が窮乏したとき、献立表に尾頭つきとあるので値段の安いごまめを食卓に飾ったことから祝い膳に加えられるようになったといわれています。また、ごまめは「田作り」ともいわれ、田植の際に肥料にしたところ、米が五万俵もとれたので五万米と書くようになったとか、豊作祈念の田植え祝いの膳に用いられたからともいわれ、豊年を祈る意味がこめられています。また、まめは健全の意から家内安全の祈りも含まれています。

敲き牛蒡

アク抜きした牛蒡をゆでて、すりこぎで叩き、醤油等で煮たりしたものですが、黒い牛蒡は豊年のときに飛んで来るといわれる黒い瑞鳥を示し、豊年と一年の息災を願ったものです。
黒豆と同じく、黒を聖なる色とするのは、道教の影響です。

 

●三つ肴以外のお節料理

 

金団

丸いかたまりを団といいます。金団は黄金色の丸い小判を意味して、財のたまる願いにかけたものです。金飩とも書き、元来は平安時代に中国から渡ってきた唐菓子で、飩は蒸し餅のことです。江戸時代に長芋をすったものに、白隠元を梔子(くちなし)で黄色にしたものが、後に栗に代わり、唐菓子の金飩と合わさって金団となったそうです。

蒲鉾

魚のすり身を竹のまわりにつけて焼いたもの(現在の竹輪のこと)ですが、それが蒲の穂に似ているところから名づけられました。それが後に板付蒲鉾となって、形が日の出に似ているので、新しい門出の祝いとして膳にのるようになりました。お節料理に用いられる紅白の蒲鉾は、正月の初日の出で、赤は魔除け、白は清浄を示しています。

伊達巻

伊達であることは粋で人目につくことであり、巻くことは「結ぶ」こと、そして「むつむ」ことを意味しています。

八つ頭

親芋が大きく、外側は凹凸が多く八方に頭があるように見えるので、万事人の上に立つ頭になるようにとの願いがこめられています。

蓮根

蓮の花托には中に穴がたくさんあり、その穴を通じて将来の見通しがきくという縁起をかついだものです。穴の中には多くの実が入っていて、その形が蜂の巣に似ているのでハチスといった。ハチスがつまってハスと呼ばれるようになったそうです。

鮑 (あわび)  

あわびの肉を薄く切って長く引き伸ばしたものを慰斗鮑(のしあわび)といい、あわびの肉が長く伸びることから、お付き合いやおめでたいことが長く続きます様にとの願いが込められています。また、のすというのは発展を意味し、贈り物をする際に慰斗紙をかけるしきたりが現在でも行われています。

昆布巻

昆布は古くは広布(ひろめ)といい、また蝦夷でとれるので夷子布(えびすめ)といいましたが、えびすを七福神の恵比須にかけて、福が授かるといわれるようになったものです。また、ひろめは「広がる」に、こぶは「慶ぶ」に通じ、子生(こぶ)は子供が生まれるとして、めでたい席には欠かせないものです。「巻く」は伊達巻と同様で、「結び」「むつむ」を意味し、仲良くつながってゆく願いを表しています。

慈姑(くわい)

くわいは根が黒くて葉が藺に似ているので、「食べられる藺」の意味で、一つの根に子が毎年でき、慈しみ深い母(姑は母の意)の乳になぞらえて慈姑の字を当てたものです。子孫繁栄と毎年芽が出るようにとの願いがこめられています。

柚子(ゆず)

ゆずはすべて揃って大小不同なく育つことから、作物がゆずのように一斉に実ってほしいという、豊作を祈る気持ちを表しています。
柚子の黄色もまた五行の根本の色として、最も尊ばれた色で、魔除けとなり、衣類や食器をしまっておくときに包む布が黄色であるのはそのためです。
ゆずなまこ、ゆず大根、ゆず柿など柚子釜、柚子玉にしておせちに加えられています。

海老

えびは腰を曲げて進むので、老人にたとえて海老と書き、寿老の縁起物とされています。 また、えびは脱皮して成長していきますが、それを生命の更新と考え、祝い事の膳には欠かせないものとなりました。また日本の祖神・天照大神が伊勢にましますというので、伊勢海老が姿の雄大さと長老のひげと相まって、おせちを華やかなものにしています。

たいは福の神・恵比須さんが釣る魚で、めでたいに通じる。赤い色を良しとし、型くずれしない形の見事さが祝事にふさわしい。鯛は長寿で40年も生きるという。魚の王としておせちに欠かせない。
正月の鯛は「にらみだい」と言って、睨むだけで箸をつけないというしきたりもある。

 

重箱

祝い肴は明治初期まで「喰積(くいつみ)」と呼ばれていました。当時は現在の煮物類をおせちと呼び、祝い肴を喰積と呼んで重詰めにしていた様です。 祝い肴の重詰めは、文化年間の文献に見られ、当時の江戸では数の子、田作り、たたき牛蒡、煮豆の重詰めが通例となっていた様です。 江戸幕末の頃、江戸・京都・大坂では正月に蓬莱を飾り、江戸においてはこれを喰積と呼んでいました。三方の中央に松・竹・梅を置き、まわりに白米を敷き詰めます。その上に橙一つ、柑橘類、搗栗、ほんだわら、串柿、昆布、伊勢海老などを積み、さらに裏白、ゆずり葉などを置いたもので、京都と大坂では床の間に飾り、江戸では年賀の客にすすめたそうです。

明治になると喰積そのものは廃れて祝い肴の重箱に喰積の名前だけが残り、その後祝い肴に他の品々が加わって現在見られる様は多彩な重詰めが作られるようになったといわれています。

正式なお節料理は重箱を四段に重ねます。四は加上の理論といって、完全を表す数「三」の上にさらにもう一段加える数で、等級でいえば、二級、一級、特級の上に超特級があるのと同じ発想によるものです。

  • 一の重(一番上)には「祝い肴」といって、三つ肴を中心に並べます。
  • 二の重(口取り)、これはいわば、オードブルで、金団、柚子玉、伊達巻などを入れます。
  • 三の重には、海老、飽、鯛など「海の幸」を入れ、
  • 与(よ)の重(四段目)は八つ頭、蓮、慈姑、里芋など「山の幸」の煮物が中心となります。

また、お重に入れる品数は、奇数がよいとされています。

 

初夢

古くは立春正月の概念から、初夢は節分の夜から立春の朝にかけて見る夢とされていました。今日では、一般には元日の夜から一月二日の明け方にかけてに見る夢を初夢と呼ぶのが通例となっている様です。 昔の人は今日よりも夢見を気にし、良い夢を見ようと七福神や宝物をのせた宝船の絵を枕の下に敷いて寝るならわしがありました。
 
 

花の内

お正月の1月15日から31日までの期間を指す言葉で、元旦から7日までの『松の内』や1月4、5日の小寒に始まる30日が『寒の内』と呼ばれているのと同じような意味です。東北地方でヒエ、アワの穂や削り花を立てておくので、こう呼ばれたと言います。また、1月15日の『小正月』には木の枝にモチや団子を刺して豊作祈願するので『花正月』とも呼ばれ、稲の予祝を行うので稲の花にかけて『花の内』という説もあります。

 

真冬日(まふゆび)

近年、気象庁が使っている言葉で、1日の最低気温が0度未満の場合は『冬日』といいますが、最高気温が0度以上上がらない日を真冬日と呼んでいます。北海道、東北などの内陸部では今の時期に真冬日を迎える場所があります。

 

大寒(だいかん)

1月20日は二十四節気のひとつの大寒に当たります。立春の前の15日間、または、その初日で1年で寒さがもっとも厳しくなる時期です。明治35年の1月25日には映画で有名になった青森第五連隊の八甲田山遭難も起き、約200名の遭難者を出しました。

 

しばれる

東北から北海道にかけて使われる放言で、寒さのあまりじっとしていると手足の指が痛くなり、さらに耳や鼻も凍てつくほどの寒さを言います。

 

寒の内(かんのうち)

冬至の日から数えて15日目の1月5日が小寒。この日から始まる15日と大寒の15日の計30日間の立春の前日までが寒の内となります。1年で一番寒い時期なので寒中水泳や裸参り、寒稽古などの耐寒行事が全国で行われます。また、しみ豆腐造りなども始まり、昔の人の寒さの厳しさをいかした知恵を感じます。

 

夜ばなし

冬の寒い夜には炉端などに集まって物語の話しを聞くこと。雪国の人にとっては雪に閉じ込められたこの季節では、数少ない娯楽のひとつでもあった。そんな形で民話などが語り継がれていった。

 

冬晴(ふゆばれ)

大平洋の気候で厳寒の頃の澄み切った晴天。野外の空気はひんやりするほどに冷たく、まわりの風景が鮮明にみえる。

1月のキーワード

【自然】

小寒・大寒、 霜くれ、みぞれ、 異常乾燥、冬型気圧配置、 北西の風、つらら、雪雲、寒気、初富士、初日の出、初鳩

 

【暮らし】

年始の挨拶、年賀状書き、整理、新年会、お正月の後始末、防火対策、年計、仕事始め、鏡開き、晴着の手入れ、年玉、能初、初荷、獅子舞、初伊勢、十日戎、歌留多、双六、福笑い、独楽

 

【健康】

暴飲暴食に注意、ビタミンCの摂取、加湿器のカビに注意、しもやけ、あかぎれ、感冒、薄着、高血圧、脳卒中、心筋梗塞、気管支炎

 

【花】

ハナウメ、ハナミズキ、ピラカンサス、雪割草、寒菊、福寿草、牡丹、冬桜、寒椿

 

【園芸】

整枝 ハナモモ

施肥
・環状施肥法
根の回りに幹の5~6倍の直径、株立ちのものでは株元直径の3~5倍の直径で、輪状の溝を掘って肥料をすき込む。

・ツボ状施肥法
環状施肥法と同じ位置に、深さ50cmくらいのツボ状の穴を3~4ヵ所掘って肥料を与える。

・病害虫防除
ウメ、サクラ等の落葉花木は、害虫の卵や巣、病気にかかっている部分を見つけやすい時期、ツツジなどの表皮や枝の分かれ目を調べる。

 

【季語】

初春、若水、橙飾る、初日、冴ゆる、雪、寒月

 

【誕生石】

ガーネット(貞操、友愛、忠実)

 

【誕生花】

福寿草(思い出)、すみれ(高尚)、梅(優雅)

 

【時候の挨拶】

厳寒 厳冬 寒気 寒風 真冬 降雪 霜柱 木枯らし 初春 新春 松の内

1月の旬【魚】

【蜆 (しじみ) 】
寒さが一段と厳しさを増すこの頃に食べ頃になるのがシジミ。シジミの旬は冬と夏だが、寒シジミは1月が美味。小粒より大粒を選び、口が閉じているのが鮮度がよい。シジミは黄疸を直す薬効があるといわれ、味噌汁の具にすると旨みやエキスが出ておいしい。必須アミノ酸、カルシウム、ビタミンB2、B12も豊富で肝臓、貧血に効果がある。

【鮟鱇 (あんこう) 】
旬は冬から早春。味はフグに比較される。からだが柔らかくぬめぬめしているので、アンコウの口の骨にカギをかけて、つるし切りする。野菜や豆腐と一緒に割り下で煮込んだアンコウ鍋がおいしい。実ばかりか皮や内臓もあますところなく食べ、特に肝臓(トモ)、胃袋(水袋)、卵巣(ヌノ)、ほお骨(柳肉)、エラ、ヒレ、皮は、アンコウの「七つ道具」といわれ、珍味としてもてはやされている。

【金目鯛】
タイと名が付いているが、タイ科の魚ではない。旬は冬だが、6月頃も脂がのっており、その刺し身はプリプリした歯ごたえと脂の甘さがあっておいしい。
煮魚の場合は、目玉の回りのトロリとしたところまで食べるのがよい。頭とヒレの付け根の肉は歯ごたえもあり美味。

【赤魚鯛 (あこうだい) 】
産卵期前の晩秋から冬にかけて味がよい。水分が多く、身が崩れやすいので、煮付けたり、味噌や粕に漬けてから焼いたりすると、身が締まっておいしくなる。

【鮒 (ふな) 】
小鮒は、甘露煮や昆布巻きに利用される。大きな活魚は洗いや辛子味噌和えに、特に寒鮒が美味。

【眼抜 (めぬけ) 】
赤魚鯛の一種で、両者を混同して売っていることも多い。濃いめの味で煮付け、空揚げ、粕漬けなどに向く。脂肪が多いので、鍋物や汁物にする時は湯通しするのがコツ。

【ほうぼう】
白身で締まった肉質を持ち、味も鯛に匹敵する高級魚。市場には秋から春にかけて出回るが、旬は冬。淡白な味のため、どんな料理にも向く。生きの良いものは薄作り、昆布じめなどにするほか、ちり鍋、魚すき、ブイヤベースなどにする。

【牡蠣】
流通しているカキは、養殖物が主流とはいえ、やはり冬場がおいしい。カキの旨さは、二枚貝の中でも脂質、グリコーゲンを多く含むためである。
グリコーゲンは、肝臓の働きを助ける効果がある。また、銅や鉄などの無機成分や脂溶性、水溶性のビタミンを多く含み、貧血にも効果がある。

【鰤 (ぶり) 】
天然物は冬が旬。現在では天然物をブリと呼び、養殖物をハマチと呼んで区別することが多い。脂ののった寒ブリはおいしく、刺し身、塩焼き、照り焼きなどにする。

【ずわい蟹】
山陰地方では松葉ガニ、福井では越前ガニと産地によって呼び名が変わる。
メスはオスに比べ小さい。特に卵を抱いているものは珍重され、未成熟卵の内子(うちこ)を持っているものは市場価値が高い。オスは足の肉は多く、しかも甘くコクがあるので、グルメにとってはカニの王様といわれる。

1月の旬【野菜】

【薺(なずな)】
正月の七草の一つ。七草粥に入れて食す。花は春に咲き、ぺんぺん草とも呼ばれる。

【芥子菜】
ピリッとした辛みと香りがあり、葉や茎は漬物に、種子は香辛料(マスタード)に利用される。ザーサイは茎を漬物にしたもの。

【白菜】
春と秋から冬の年2回収穫されるが、11月終わりから2月までは甘みが出て一番おいしく、鍋物の需要も高く出荷量が多い。白菜は見るからに栄養分が少なく感じられるのだがビタミンCはみかんと同じくらいで、カルシウムの量は人参やセロリ程度は含んでいる。そのうえ大量に食べてもカロリーは少ないので太らない。のぼせを下げて便通をよくするので、高血圧の人におすすめである。

【ほうれん草】
年中出回ってはいるが、根元が赤くなる冬が旬。冬場のほうれん草の赤い根元は栄養価が高く、貧血症に効果があるマンガンが含まれる。

【大根】
産地と品種を変えて1年を通して出回っているが、多く出回るのは10月~3月。
デンプンを消化する働きをもつアミラーゼを含んでいるので、ご飯のおかずにピッタリである。

【京菜】
京菜は水菜の一種で、京都が原産地といわれる。出盛り期は1月~3月。京菜にはカロチンやビタミンCが多く含まれており、関西や九州では新鮮なものを鍋物(クジラ肉や油揚げと煮る)に用いたりする。霜が降りた頃のものは味も風味もよい。

【芹(せり)】
春の七草の代表的な水菜。旬は早春から初夏。葉にはビタミン類も含まれており、食欲増進や冬場のビタミン補給に役立つ。また、発汗作用や補湿作用もある。

【ブロッコリー】
冷涼な気候を好むブロッコリーの旬は、冬から春先。ビタミン類、鉄分をふんだんに含み栄養価が高い。ゆですぎるとビタミンの損失が大きくなるので
気を付ける。

1月の旬【果物】

【金柑】
最盛期は12月~2月にかけての真冬。皮にはビタミンCが多く、丸ごと食べるとかなりのビタミンCがとれ、風邪予防にもなる。

【凸柑(ぽんかん)】
12月~3月に出回る。頭の先端がコブのように突き出しているのが特徴。果汁が多く、甘みと香りも強くておいしい。

【ネーブル】
ネーブルオレンジは、早生種で、11月~4月頃に出回る。ビタミンCを多く含み、皮は砂糖漬けやシロップ煮、マーマレードにも適している。

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